遠い記憶
「ゲホッゲホッ!す、すみません。……少し、むせてしまって」
「だ、大丈夫ですか?」
ジャンヌに背中をさすってもらいながら、ようやく呼吸を整えたソロが言葉を絞り出す。ミリィは心配そうだが、ジャンヌがソロの手当てをしているので、安心して汚れてしまったテーブルの掃除に取り掛かった。
ソロにとって、かつての異名は悪いものではないのだが、まさかこんな場所で聞かされるとは思ってもみなかった為に、衝撃が大きかったらしい。そもそも、その異名も自分から名乗っていた訳ではないので、若干の恥ずかしさもあるようだ。
ソロの背中をさすっていると、ふとあるものがジャンヌの目に留まった。本棚の一角にあるそれは薄汚れた絵本で、背表紙もかなり傷みが合り、持ち主が何度も何度も読み返したのだと一目で解った。そして、それを目にした途端、今度はジャンヌの手が止まって狼狽える様子が見える。
「その、本は……」
「え?ああ、それはこちらではあまり知られていないんですが、隣国の古い絵本です。私と主人は隣国の生まれでして、小さい頃から親しんできたお話なんですよ」
「そう、ですか」
『ぎんのまじょとぎんのきし』と書かれたその絵本の存在は、ジャンヌの心を激しく揺さぶった。その絵本にかかれた物語は、ジャンヌが誰よりもよく知る物語だ。何故ならそれこそが、彼女の不幸を現実のものとし、現在の境遇に落し込めた原因そのものだったからだ。
「おねえちゃん、このおはなししらないの?じゃあ、サシャがごほんよんであげるね!」
「……え?あ、うん。ありがと」
ジャンヌが躊躇いがちに答えたので、サシャはジャンヌが絵本の内容を知らないと思ったらしい。ソロが噴き出したり、アーデを見て驚いていたサシャは、自分も話に加われると思ったのか、ニコニコとした笑顔で本棚から絵本を取り出し、ミリィの膝の上に飛び乗って絵本を読み始めた。
――昔々、まだこの世界に、人を狙う怪物を産みだす存在が数多くあった頃。ある国に、それはそれは美しい銀色の髪を持つ、一人の若き魔女がいた。魔女は月の申し子と呼ばれるほど凄まじい魔力を持つ存在だったが、その力を以てしても、怪物を消し去ることは困難だった。しかし、長い時間の中で、人が怪物達と戦う事に疲れ果ててしまったことを嘆いた魔女は、ある一つの決断をする。それは、怪物を産みだす元凶となる存在を、自らの手で滅ぼすことだった。だが、それは無数に生み出される怪物達と、魔女が戦うという事でもある。そんな魔女を助けようと、彼女の幼馴染だった同じく銀色の髪を持つ一人の騎士が立ち上がり、二人は共に冒険の旅へ出た。
艱難辛苦の末、遂に二人はその怪物を産む元凶を封じたのだが、彼女を助けてくれた騎士は、戦いの果てに命を落としてしまう。命を懸けて戦った仲間であり、最愛の恋人の死を嘆き悲しんだ魔女は、最後に残った力を振り絞って自らと騎士の魂に呪いにも似た願いを込めた。いつか、自分が生まれ変わった時には、必ず二人共に生れ落ちて結ばれるように、と。――
サシャが読み語ってくれた絵本の内容は、ほぼこれが全てである。子供向けの絵本にしては、やや悲恋というか物悲しい終わり方をする結末だが、そうしたビターな内容がウケてか、隣国では大人でもこのお話を好む人々が多いらしい。サシャの両親はそうした人達だったようで、どちらかが子供の頃からこの絵本を大切にしていて、今はサシャに受け継がれているようだ。
「――おしまい。どう?おねえちゃん、おもしろかった?」
「う、うん。そうね、面白かった」
「そうでしょー?サシャもね、このおはなしだいすきなんだー!ねぇねぇ、おねえちゃん。ぎんのまじょさまは、ほんとうにきしさまとうまれかわって、いっしょになれたかなぁ?」
「え?……え、と、それは…………」
サシャのクリクリとしたつぶらな瞳が、期待に満ちたようにジャンヌを見つめている。ジャンヌは躊躇い、言葉を選びながら答えに迷っていた。そして、少しの間を置いて、ジャンヌはややひきつった笑顔で応えた。
「……うん、きっと一緒になれたと思うわ」
その夜、ジャンヌ達はサシャの強い勧めで、彼女の家に一晩泊まらせてもらうことになった。一晩で持ち金の半分以上を費やしたあの高級ホテルに戻る気にはなれなかったし、何より、ジャンヌもソロも、思わぬ所で過去に追われたせいか精神的に疲れが出たらしい。泊めてもらえるというのなら断る理由もなく、むしろ渡りに船という所だった。その深夜の事だ。
「…………」
「眠れないの?ソロ」
ソロとジャンヌに用意された部屋は一部屋だった。流石に別々のベッドだが、どうやらミリィやサシャにはジャンヌ達が恋人に見えているらしい。実際、年齢的にはそうであってもおかしくはないが、二人はそうした関係ではない。明かりの消えた部屋で窓際に立ち、ソロが静かに月を眺めていると、ジャンヌがそっと背後から声をかけた。夜風は冷たく、少し強いので窓が開いていると眠れないのは当然かもしれない。
「起きてたのか、ジャンヌ。それとも、起こしてしまったか?」
「私も眠れなかったから大丈夫よ。……まさか、こんな所であの話を聞かされるなんてね。びっくりしちゃった」
「俺も驚いた。まさか、あの頃の部下がこの国で花屋をやっていたなんて思いもしなかった。エンデュミオンを出て、もう五年も経ったんだから当然か」
「サシャちゃんのお父さんのこと、覚えてるの?」
「ああ、話を聞いて思い出したが、確かに面識があったよ。名前はヒューゴといったかな。俺が魔法師団長になってすぐの頃、彼は後方支援用の魔法開発を担当していて、中々ユニークな魔法を作っていたはずだ」
「そう。ソロは良い上司だったのね、えっと……猛禽の月卿、だっけ?」
「それは止めてくれ。拍付けに異名が必要と言われて考えたが、いいのが浮かばなくて適当に答えたんだ。そうしたら、同期が勝手に……」
むすっとした顔でそっぽを向くソロの様子に、ジャンヌはクスクスと笑った。ソロの方が年上なのだが、どうも彼は少し子供っぽい所がある。そんな所に可愛げを感じることもあるのだが、どうもジャンヌはソロの事を少し年の離れた兄のようにしか思っていないらしい。それは二人の出会いを考えれば当然ではあるのだが。
「それはそうと、昼間言ってた、気になる情報ってなんなの?後で話すって言って、そのままになっちゃってたけど」
「ああ、そうだったな。実は、最近この領内で行方不明事件が多発しているようなんだが」
「やっぱりそうなんだ。どこへ行っても情報提供を呼び掛けるビラが貼られてて、変だと思ってたのよね」
「俺が少し調べただけでも、この二カ月ほどの間に、解っているだけで100人近い数の人間が行方不明になっていた。小さな村から消えた人物も含めれば、その数はもっと増えるだろう。もちろん自主的に姿を消す人間もいるだろうが、それにしてもこの数は異常だと俺は思う」
「そうね。……私もおかしいと思うわ」
「それと、君が捕まえたモンドは、何者かに女性を誘拐するよう依頼されたと言っていただろう?それがどうも気になってな。アイツを引き渡した後、マーロに占ってもらったのさ」
「マーロに?いつの間に」
マーロというのは、ジャンヌ達のMIRAが使う情報屋の一人だ。通称『星読みのマーロ』といい、自らの加護『星読み』を使って普段は占い師をする傍ら、情報を集めたり、独自の占星術でアドバイスをする稼業を生業としている。占い、と言っても加護を用いた彼の『星読み』は予知や予言に近い技術であり、信憑性は高い。
「占ってもらったと言っても、遠隔の透視みたいなものだからハッキリはしないがな。……それによると、どうもモンドに依頼をした人物と、行方不明者の間に繋がりがあるようなんだ。そして、近い内に俺達がそれと関わる事になる、と、マーロに言われたんだよ」
「なによそれ……厄介事にも程があるじゃない。はぁ、大変なことになりそ」
うんざりした様子で月を見上げるジャンヌに、月明かりが優しく降り注ぐ。彼女のその予感が現実のものとなるのは、その翌朝のことであった。
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