弔火(2)
※
10年前――
隆志の裁判が始まる前に、斉木理穂子の証言によって、事件は一変した。
智之に付き添われ、自首した理穂子は、一躍世間を騒がせることになった。
裁判が始まると、早川洋介の理穂子に対する仕打ちだけでなく、彼の母親の代まで遡る、ねじれた早川グループのスキャンダルが明るみになり、マスコミはこぞって面白おかしく書き立てた。
その中で理穂子は、早川のみならず、隆志まで誘惑し罪を被せようとした悪女として、マスコミの格好の餌食となった。
理穂子が早川との間の子どもを二度も亡くしていること、その妻の瑠璃によって精神的に追い詰められていたことに同情的な声もあったが、裁判に出廷した早川夫妻は、理穂子に極刑を望んだ。
その冷淡さにも世間の批判が集まり、夫妻は裁判が終わるのを待たず、産まれたばかりの赤ん坊を連れて、逃げるように姿を消した。
だが、その後、彼らが離婚することはなかったという――
理穂子は極刑を求刑されながらも、犯行に至るまでの経緯に情状酌量の余地があるとされ、無期懲役を言い渡された。
彼女は控訴せず、そのまま刑が確定した。
※
アカリに断り、一服するために店の外に出ると、隆一が追いかけてきた。
「隆志おじちゃん! 夜までいるの?」
遊び相手に飢えている隆一は、目を輝かせて隆志を見つめている。
「そのつもりだけど」
隆志の答えを聞くやいなや、隆一はバンザイしそうな勢いで喜びをあらわにする。
「やった! 隆志おじちゃんは、彼女、いないんだね」
やけに断定的な隆一の言葉に、ついさっき、住職にも似たようなことを言われたことを思い出す。
「なんでそう思うの?」
「クリスマスに、こんなところにいるから」
自分という人間は、そんなにも独り身の寂しげな姿をさらしているように見えるのか――そう思ったら、我ながら可笑しくて、隆志は思わず吹き出した。
「だから、隆一と遊べるんじゃないの?」
そう言ってやると、隆一は嬉しそうに隆志に抱きついた。
「うん! 良かった! おじちゃんに彼女がいなくて」
無邪気に酷いことを言うものだと思いながら、隆志は隆一の頭を撫でる。
「――ずっと、好きな人がいるから」
「……好きな人?」
隆一が首をかしげる。
「誰?」
遠慮のない無垢な瞳に見上げられ、隆志は苦く笑う。
「隆一の知らない人」
はぐらかされたと思ったのか、隆一は頬を膨らませる。
「どんな人? 僕にも教えてよ」
ねえ、ねえ!と言い募る隆一に、隆志は短く答える。
「……とてもキレイな、炎みたいな人」
それは隆一に向けてではなく、自分自身の心に語りかけるような呟きだった。
「僕も、会える?」
隆志は静かに首を横に振り、ポケットから煙草を取り出す。
「もう、会えないんだ」
小さく呟く隆志に、隆一は神妙な顔で尋ねた。
「寂しい?」
隆志は微笑んで、マッチに火をつける。
「寂しくないよ。会えなくても……いつでも、この火の中で会えるから」
矛盾する言葉に、不思議そうな表情を浮かべる隆一の前で、隆志は生まれたばかりの小さな炎を、大切に掌の中に抱えて、口に咥えた煙草に灯した。
※
暗い雑居房の中に、不釣り合いな温かい火が灯る。
申し訳程度に切り取られた、小さなケーキの上に灯されたその火を見て、その部屋の住人が笑う。
「こんなに寒い獄中でも、クリスマスは特別なんだね」
そう言って、部屋の隅で膝を抱えている、もう一人の住人に向かって皿を差し出す。
「食べないのかい?」
声をかけた相手が動かないので、仕方なく手にした皿を床に置く。
「ああ、もう火はこりごりか」
その言葉に、部屋の隅にいた女は初めて顔を上げた。
小さな炎が、ゆらゆらと部屋の中に陰を落として揺れている。
(……島貫君、マッチ擦れるの?)
(きれい――さっきの空の花火よりきれいだね)
幼い自分の声が蘇る。
そして、彼と重ねた手の中で燃えていた、あの日の小さな炎の思い出も。
「火は嫌いかい? あんな事件を起こしたあんただもんね」
先にケーキにありついていた女が憐れむように呟く。
「……そうですね。でも――」
女はそう言うと、火傷に引き攣れた手を伸ばし、静かに蝋燭を立てたケーキの皿を手に取った。
「温かい火があることも、知っているから」
目の前にかざした灯火は、焼けただれた傷をも癒すように、優しく女の顔を撫でていく。
「……それを、教えてくれたひとがいるから」
そう言って微笑む女の瞳は、チラチラと揺れる小さな炎を映して濡れ、やがて光の玉がこぼれるように、溢れた涙が、その頬を静かに伝って落ちた。
※
君のために、僕は火を焚く――
いつか君の身が朽ちて、灰に帰る時。
僕の焚いた火で、君の凍えた身体を温めることが出来たなら。
君は僕の炎――
僕の情熱。
僕の、生きる意味。
炎の中へ【完】