弔火(1)
「若い男性が、酔狂なことですね――」
綺麗に手入れされた小さな墓の前で手を合わせていた男は、不意に背後からかけられた声に顔をあげた。
「今日、こんな場所にいるなら、クリスチャンでないことは確かでしょうけど」
そう言って男の横に進み、笑顔を見せるのは、この寺の住職だった。
「毎年、あなたの姿を見かける度に『ああ、今日はクリスマスイブだった』って、思い出すんですよ。まるでサンタみたいだ」
軽口を叩く坊主に苦笑して、男も祈るのをやめて立ち上がる。
二人並んで、しばらくその小さな墓を眺める。
「――あれから、十年、ですか」
ポツリとそう呟いた住職に、隣の男――島貫隆志も頷いた。
この十年間、隆志はクリスマスイブの弔いを欠かしたことがない。
ここは、理穂子の産まれることがなかった二人の子どもが眠る場所だ。
そして、あの日、業火に焼かれて亡くなった哀れな幼い姉弟の魂も、隆志はこの場所で弔い続けている。
「……ご結婚は、されないんですか?」
唐突な問いに隆志は面食らったが、先ほどの軽口へ応酬してやろうと口を開いた。
「僕も、僧侶になるつもりなので」
キョトンとした顔で隆志の言葉を聞いた住職は、一瞬の間ののち、笑い出した。
「アハハハ……失礼。あなたでも、冗談を言うんですね」
「クリスマスイブに寺にいるような男に、野暮な質問でしょう」
隆志がそう返すと、住職は頷きながら笑いを深くした。
「でも、あれから十年だ――いい加減、自分のことを考えても……」
言いかけて、不意に口を噤む。
「いえ……やはり、野暮でしたね。僧侶としての立場だから、言ったんです。私の本心じゃない」
隆志が住職に視線を移すと、彼は微笑んで見せた。
「これの由来、あなたに話したことはなかったですね」
そう言って、法衣から覗く火傷の痕を見せる。
「あなたも、噂を聞いたことがあるでしょう? 本当は、彼女と無理心中を図ったのではないんですよ」
そう言って、住職は静かに自分の過去を語り始めた。
その昔、極道に身を置いていた頃に、恋に落ちた娘がいましてね――
結婚を約束していましたが、周囲の反対に負けて、身を引こうとしたんです。
でも、彼女は受け入れられず、思いつめた結果、私もろとも焼き殺そうとした――
「……そんな顔、しないでください」
何と言葉をかけていいか分からず、戸惑う隆志に向き直ると、住職は眉を下げて笑った。
「強すぎる思いは、やがて自分自身の身を滅ぼす」
流れる詩の一篇のように紡がれた言葉に、隆志の遠い記憶の断片が、チリッと音を立てる。
「地獄の業火の話……覚えていますか?『隆志くん』」
その言葉で、寺に預けられていた時の、忘れかけていた記憶が、急に色を持って蘇ってきた。
「死してなお、焼かれ続ける永遠の苦しみ……そんな地獄に堕ちないよう、説法するのが私の仕事です……でもね、今でも時々思うんです」
冬の凍てついた風に法衣をなびかせて、住職は続ける。
「地獄で焼かれるひとたちは、本当に不幸なんでしょうか?」
だって私は――そう言うと、住職は愛おしそうに自らの火傷の痕をなぞる。
「彼女をそこまで追い詰めたのが、私の業なら、一緒にその炎の中へ身を投げて、永遠に焼かれ続けたかった……そう思うんですよ」
そう言って微笑む住職の顔は、このうえなく穏やかだ。
「あなたも、私と同じなのではないですか?」
その問いに答える代わりに、隆志は自身の内に眠る炎に想いを馳せる。
永遠の苦悶は、同時に最愛のひとと共にする、永遠の歓喜でもあった。
「これから、どちらへ?」
記憶の中の炎に飲まれそうになっていた隆志は、住職の言葉で現実に引き戻された。
今はまだ昼下がりの時間帯――本格的なイブはこれからである。
「『不知火』に……」
答えて、隆志は言葉を続けた。
「一緒に、どうですか?」
住職は笑って首を横に振りかけたが、思い直したように頷いた。
「ご一緒させていただきます。どうせ、生臭ですから」
そう言うと、目を細めて笑った。
※
店の扉を開けた途端に、飛び出してきた少年が勢いよく隆志にぶつかる。
「隆一! お店で走り回るなって言っちょるやろ!」
それと同時に、店の奥から怒号が響き渡る。
「やべっ!」
少年は舌を出すと、ぶつかった隆志を見上げる。
その途端、パアッ――と顔を輝かせる。
「隆志おじちゃんだっ!」
その声を聞いて、奥にいた女が慌てて店に出てきた。
「隆志っ?!」
「相変わらず、賑やかだな。亮子」
隆志はそう言うと、割烹着を来た亮子に向かって笑った。
「もう、来るなら来るって言いんしゃいよ。夜からだと思っちょったから、油断しよっと」
まずい場面を見られたと苦笑する亮子の背中を、情けない男の悲鳴が追いかけてくる。
「亮子ーっ! ナナがウンチした」
亮子はその声に振り向くと、隆志がいることも忘れて、先ほどよりも大きな声を響かせる。
「何年父親やっちょるん! 娘のウンチくらい、自分で変えんしゃい」
「おしっこは変えてるじゃんかよぉ」
奥から聞こえる声は情けなさを増し、ますます亮子のこめかみを怒りにひくつかせる。
「あら、来てたの? 早かったわね」
その時、騒がしい店内の様子をうかがいに、この店のママ、アカリも奥から顔を出した。
「珍しいお客様も連れて」
そう言うと、先ほどから隆志の後ろで笑いをこらえていた住職に向かって微笑んだ。
「隆志おじちゃん! 遊ぼうぜっ!」
先ほど隆志にぶつかった少年が、隆志にしがみついたまま目を輝かせる。
今年7歳になる彼――隆一は、亮子とこの店の用心棒、マサとの間に産まれた男の子だ。
一年前には、第二子となる女の子も産まれ、ますます賑やかになった。
「座って、座って!」
そう言って隆一は隆志の腕をひっぱり、カウンター席まで案内する。
「ハァ……まいったまいった」
洗った手を拭きながら、奥から出てきたマサに、隆志が声をかける。
「すっかりパパ業が板につくようになったね、マサさん」
隆志の言葉に、マサは首をすくめる。
「パパっていうか、下僕に近いよな。毎日亮子に怒鳴られて……」
そう言うと、声を落として隆志に耳打ちする。
「九州の女ってのは、なんであんなに気が強いんだろうな」
「何か言った? マサ」
「いえっ! 何にも」
隣りで聞いていたアカリの突っ込みに、マサは慌てて首を横に振る。
「第一さ、息子の名前まで『隆志が一番』で『隆一』なんてさ……俺のこと、ないがしろにしすぎじゃね」
もはや定番となった、何度となく聞かされているマサのボヤキのネタに、隆志も住職も苦笑を返すしかない。
「それを承知で結婚したんは、あんたやなかろうねっ!」
聞いていたのか、すかさず奥から、今日何度目になるか分からない亮子の怒鳴り声が響きわたる。
「なんだかんだ、お似合いだよ。二人は」
隆志は笑いながら、馴染んだ店内を見渡す。
店の中はキレイにクリスマスの飾りつけが施され、活気づいていた。
それは、店内に隆一がいて、赤ん坊のナナもいることも大きかった。
子どもがいる光景は、それだけで空気が変わる。
隆志はそんなことを思いながら、アカリが出してくれたコーヒーに口をつけた。
「今年も、届いたのよ」
そう言うと、アカリはカウンターの上に、一枚のカードを差し出した。
クリスマスの色に縁どられたその美しいカードには、短い祈りの言葉とともに、斉木智之のサインが入っていた。
「相変わらず、住所は書いていないけどね」
そう言ってため息をつくアカリの前で、隆志は静かにそのカードを手にする。
「……元気でやってるんだね」
近況も何もない、その短いメッセージに、隆志は差出人の想いのすべてを感じ取る。
毎年、送られてくるクリスマスカードに綴られる祈りもまた、あの事件を間近で見ていた智之の、彼なりの弔いの術に違いなかった。