(9)
「お迎えの人? ちょうどよかった、連れて帰ってくれますか」
抱えていた男の一人が、玄関に立つ智之の姿を見つけて声をかけた。
「何かの間違いじゃないですか? 僕は、隆志君が倒れたと聞いて来たんですが」
戸惑う智之が電話のところに立っている隆志を指さすと、男二人は顔を見合わせた。
「お前、誰に電話した?」
「え? だって、若い団員っていったら島貫君だって、山田さんが……」
二人とも、まだこの消防団に入って日が浅い人物だった。
「俺はさっきからここにいますけど」
隆志がそう言うと、ますます困惑した顔をして、二人は広間を振り返った。
「それじゃあ、誰ですか? コレ」
すると、先ほどまで隆志の前に陣取っていた団長が、手洗いのために広間から出てきた。
「団長、ちょっと! この人、知ってますか?」
そう言うと、抱えていた男をもう一度担ぎなおし、項垂れた頭を団長の方へ向ける。
「うん? ああ、この前副団長が連れてきた新しい団員だよ。若い子は貴重だからねぇ」
「俺は山田さんに島貫君だって聞いて、家に電話したんですが」
男の一人がそう言うと、団長はそこにいた隆志と潰れた青年を交互に見比べて笑い出した。
「山田のじいさんに、若い子の見分けなんかつかないよ。聞いた相手が悪かったな。でも、初めての宴会で潰れたのか? ちょっと指導が必要だな」
そう言って豪快に笑うと、今度は隆志に向かって言った。
「島貫君、まだ話は終わってないんだから、すぐ戻って来いよ」
隆志の肩をバンバンと叩くと、「そうだ、便所、便所っと」と呟きながらそのまま厠へ消えてしまった。
「何だよまったく……ああ、間違えてすみませんでした」
酔いつぶれた人間の介護を任されたまま、未だ解放されない二人の男は、うんざりとした溜息を吐きつつも、玄関の智之に詫びた。
「どうする?」
「どうするも何も、部屋の端に転がしとこう。迎えが来るまで抱えたままじゃいられないだろう。酒も飲めないし」
そう言うと、「よいしょ」の掛け声とともに、再び男を抱えなおし、宴会場の向こうへ消えた。
「智之さん、斉木は?」
二人がふすまを閉めると同時に、隆志は智之を振り返った。
「家にいるよ。君の方が一大事だと思ったから」
「電話に出ないんだ」
智之が言い終わらぬ内に、隆志が智之に詰め寄る。
「トイレかもしれないだろう。そんなに心配しなくても、家はすぐそこなんだから」
隆志の剣幕に押されて、智之は戸惑いがちにそう答える。
智之の言う通り、確かに集会所から隆志の家までは、歩いて5分もかからない場所だった。
「俺、帰る!」
「え? 隆志君?!」
智之が振り返る間もなく、隆志はその脇を抜けて家に向かって走り出していた。
コートも着ずに飛び出して、冬の暗い道を全力で駆け抜ける。
嫌な予感に、心臓がこれ以上ないくらいに早鐘を打っている。
あの角を曲がれば、隆志たちが暮らす長屋がある。
まだ明かりが着いていたことにほんの少し安堵しながら、隆志は玄関の引き戸を勢いよく開け放した。
「斉木っ!」
息を切らせながら、理穂子を呼ぶ。
奥の部屋から返事はない。
靴を乱暴に脱ぎ捨てて、隆志は部屋の中へ駆けあがった。
「斉木っ、斉木っ!」
居間の炬燵にかけた布団は、いつも理穂子が座るその場所が少しめくれていて、ついさっきまで、そこに彼女がいたことを物語っていた。
「……斉木」
炬燵の上には、いつの間に折ったのか、理穂子が戯れの手遊びに作った、もみの木を模した小さな折り紙が置かれていた。
置手紙のようなそれを、隆志は震える手で拾い上げる。
狭い長屋の中に、すでに彼女の気配はどこにもなかった。
「なんでだよ……」
唇を噛み、崩れ落ちる隆志の手の中で、まるで彼女の代わりに詫びるように、小さな折り紙が、カサリと乾いた音を立てた。
※
『理穂ちゃん、おうちに誰もいないの――葵と実、ふたりだけ。クリスマスなのに、寂しいよ』
智之が隆志を迎えに出たすぐ後、電話が鳴った。
隆志から、もう電話に出るなと言われているのに、電話の相手が誰かも分かっているというのに
――理穂子は、無視することがどうしてもできなかった。
聞けば、ヘルパーの女は、クリスマスに騒ぐ世間の陽気に当てられたのか、幼児二人を放り出して外出中だという。
冬の夜――石油ストーブも燃える早川の自宅の中で、幼児二人での留守番は危険すぎる。
何より、一番楽しいはずのクリスマスの夜に、早川も含めた大人たちに置き去りにされた二人が不憫だった。
気づいたら、そこにあった智之のコートを羽織り、ほとんど荷物も持たず、駅に向かって夜道を走っていた。
ちょっと、様子を見に行くだけ――
ヘルパーの女が戻るまで、ご飯を作って、寝かしつけて……そしたらすぐに帰ろう。
帰って、約束を破り、黙って飛び出してきたことを隆志に謝ろう。
心の中で、そう忙しく言い訳をしながら、理穂子は車窓から流れる夜景を見つめていた。
生まれ育った灰色の街を背に、傷ついた思い出しかない、ネオンに染まった東京を目指す。
この先の自分に何が待っているのか、理穂子は考えることをやめ、冷たい窓に額をつけ、静かに目を閉じた。