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炎の中へ  作者: 春日彩良
第9話【業火(ごうか)】
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(6)


『人殺し。天罰が下ればいい』


 あの日毒のように流し込まれた言葉が、理穂子の耳の奥に巣食って離れない。

 ふとした瞬間に、自分の意志とは関係なく蘇り、傷口を無理やりこじ開けるように再生される。


「智之さん、ちょっといい?」


 先ほどから、虚ろな表情で縁側に座り込む理穂子の横顔を見守っていた智之は、隆志の声で我に返った。


「隆志君、出かけるのかい?」


 玄関先ですでに靴を履き終えている隆志に気付いて、智之は慌てて駆け寄った。


「買い出しに行ってくる。ついでに、アカリさんに呼ばれているから『不知火』にも寄ってくるよ。そんなに遅くならずに帰るけど」

「分かった。ご苦労様だね」


 実際、理穂子を東京から連れ帰ってからの隆志は、この家の大黒柱として、日雇いの仕事から家事炊事に至るまで、目まぐるしく良く働いた。智之も手助けしているとは言っても、とても隆志の働きには叶わないと、いつも心の中で舌を巻いていた。あまりに働き過ぎて、隆志の方が倒れないかと心配になるほどに。


「智之さん……俺がいない間、斉木から目を離さないで」


 隆志は視線を伏せて、少し言いづらそうにそう呟いた。


「分かってるよ。でも、理穂子も段々落ち着いてきたから、そんなに心配しなくても大丈夫……」

「そうじゃないんだ」


 智之の言葉を遮り、隆志は目を上げた。


「二三日前に、変な電話が来たんだ」

「電話?」

「俺が出た時にはもう切れてたけど、その電話を取ってから斉木の様子がおかしい」


 智之は不意に脳裏に浮かんだ苦々しい男の顔に、思わず眉間の皺を深くする。


「まさか、また」

「いや、早川じゃないと思う。この家のことなんて知るはずないし、向こうの家や会社にバレて修羅場になってる中で、わざわざ斉木の居場所を調べさせる余裕なんてないと思う」


 隆志の言い分はもっともな気がしたが、それなら他に誰が理穂子に電話をかけてくると言うのか。ここ数日の理穂子の様子を思い返して、智之は首をひねる。確かに、せっかく復調してきたと思っていた理穂子だったが、ここ数日は魂を抜かれたような顔で、虚ろに座っていることが多かった。

 今だってそうだ。


「とにかく、斉木から目を離さないで。電話にも近付けないで」


 隆志は改めてそう言うと、玄関の扉に手をかけた。


「分かったよ。任せてくれ」


 智之がそう言うと、隆志は背中越しに振り返り、確かめるように軽く頷いてから出て行った。



「理穂子、お茶にしないかい?」


 夕時、智之はまだ縁側に座りこんだままだった理穂子に声をかけた。


「ほら、風も冷たくなってきたから、身体に触るよ」


 今日は天候に恵まれ、日中は12月とは思えないポカポカとした陽気に包まれていたが、さすがに日が傾いてからは一気に気温が下がり始めていた。


「パパ……」


 理穂子はまるで今初めて智之がそこにいるのに気が付いたとでも言うように、虚ろな目のまま視線を上げる。


「ほら、立てるかい?」


 智之は理穂子に手を差し伸べ、身体を起こすのを手伝った。


「島貫さーん、お荷物ですよー。お留守ですかー?」


 その時、玄関先から呼ぶ声が聞こえてきた。


「あ! はーい、いま出ます」


 玄関の向こうで宅配業者が踵を返す気配があったので、智之は慌てて声を張り上げた。


「理穂子、寒いから炬燵に入って待ってて。パパはちょっと出てくるからね」


 そう言うと、智之はバタバタと玄関に向かって走っていった。

 玄関の扉が開いて、智之が外の砂利を蹴って駆けだす音が続いたので、おそらくせっかちな宅配業者が、留守だと決め込んで去っていくのを追いかけていったのだろう。


 ひとり取り残された家の中で、理穂子は所在無さげに立ち尽くした後、智之に言われた通り、炬燵に入って待っていようと座りかけたその時、ジリリリリ……と、再び廊下の電話が鳴った。

 数日前の電話を一瞬で思い出し、理穂子の鼓動は跳ね上がった。


 隆志も智之もいないこのタイミングを見計らったかのような呼び出し音に、吐き気を伴うほどに心臓が早鐘を打つ。

 理穂子はその場で耳を塞いで首を横に振ったが、電話の音は理穂子が出るまで許さないとでも言うように、執拗に鳴り続ける。


 どれくらいの間、そうしていたのだろうか。


 ジリッ――根負けしたように、短い音を残して電話が切れた。


 耳を塞いでいた手をゆっくり下し、ホッとしたのもつかの間、間髪置かずに再び電話がけたたましく鳴り出した。

 智之が戻ってくる気配はない。

 根負けしたのは理穂子の方だった。


 ゆっくりと廊下の床を軋ませながら、しつこく鳴り続ける電話の元へ向かう。電話の前に到達する前に、切れてくれないか――だが、そんな理穂子の淡い

期待を嘲笑うかのように、電話は鳴り続けたまま、理穂子の到着を待ち受けて

いた。


「……もしもし」


 乾いて喉に張り付いた声を絞り出した瞬間、電話の向こうで幼い声が弾けた。


『理穂ちゃん先生?!』


 思いもかけないその声の主に、理穂子の思考回路が止まった。




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