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炎の中へ  作者: 春日彩良
第9話【業火(ごうか)】
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(4)


 ガシャーンッ!

 投げられたマグカップは、その的を外して、背後の食器棚に命中し、ガラスの扉を粉々に破壊した。


「……っ」


 飛んできたガラスの破片が頬を切る。


「瑠璃っ! 落ち着いてくれ」

「触らないでっ!!」


 肩を掴もうとする手をよけて、大きくバランスを崩し、ガラスの破片が広がる床に突っ伏しそうになった瑠璃を、早川は慌てて抱き留める。

 はち切れんばかりに大きく膨らんだ腹は、すでに臨月を迎えていた。


「……パパ?」


 凄まじい音を聞きつけて目を覚ました葵が、寝ぼけまなこを擦りながらリビングに顔を出した。


「来るんじゃない! 葵っ」


 思わず声を荒げた早川に、葵はビクッと肩を震わせる。

 リビングの惨状と、鬼気迫る両親のただならぬ様子に、一拍置いて、葵はたまらず泣き出した。


「うるさいっ! 向こうへ行って!」


 早川の腕の中でもがいていた瑠璃が、その泣き声に反応して金切り声を上げる。


「葵……いい子だから、部屋に戻って眠りなさい」

「何の騒ぎだ」

 その時、葵の背後から瑠璃の両親も顔を出した。

「瑠璃?!」


 一瞬でこの状況を理解した瑠璃の母が、止める間もなく瑠璃に駆け寄ろうとリビングに足を踏み入れる。


「痛っ!」


 途端に、ガラスの破片を踏んで悲鳴を上げる。


「大丈夫か?!」


 瑠璃の父に支えられ、二人は苦い顔で早川を睨みつける。


「こんなに興奮させて、どういうことだね? 君がどうしてもと言うから会わせたが、こんな風になるなら、もう君の訪問は受け入れないよ」

「出て行って! みんな出て行ってよ!」


 髪を振り乱し、早川の腕の中で再び瑠璃が悲鳴を上げる。

 そのままヒュッ……と息を吸い込んだ瑠璃の顔は、みるみる青く血の気を失っていった。


「瑠璃っ! 医者を、医者を呼んでください」


 瑠璃の名を呼びながら、早川が頬を張る。それでも、瑠璃は目を開けなかった。

 


 早川は隆志の要求通り理穂子の籍を抜き、理穂子は「早川姓」から「斉木姓」へと戻った。それと同時に、隆志が送った内容証明で、早川と理穂子の関係は、ついに瑠璃の知るところとなった。

 すでに第三子を身ごもっていた瑠璃はすぐに離婚は選択せず、葵と実の二人を連れて、実家に戻っていた。

 義父母は早川に対して当然ながら激怒していたが、身重の瑠璃を気遣い、彼女の意向を尊重した。早川は謝罪のために足しげく彼女の家に通っては、瑠璃の逆鱗に触れ、ヒステリックに当たられる日々を過ごしていた。



 大きなお腹をかばう様に、早川に背を向けて横向きで眠る瑠璃の傍らで、疲労の色を隠せない早川は、深く息を吐き眉間を揉んだ。


「洋介君……いいかね」


 過呼吸を起こして倒れた瑠璃を運び込んだ救急病院で、一緒に救急車に乗り込んだ瑠璃の父親が、病室の入口から声をかける。

 早川はもう一度眉間を強く揉んでから、声のする方を振り返った。


「……お義父さん、申し訳ないです」


 瑠璃を起こさないよう小さい声で呟きながら、早川は深々と頭を下げた。

 苦々しい表情を隠そうともしない瑠璃の父は、そのまま早川のすぐ側まで近づいて来て言った。


「もう臨月に入ったし、瑠璃の精神状態からも、医者はこのまま入院させた方がいいと言っている。私も妻も同じ意見だ。実と葵は家で引き受けるよ。異論はないね?」


 この期に及んで、何が言える立場でもない早川は、ただ頷くしかない。


「……本当に、なんとお詫びして良いか」

「詫びなら、私たちではなく、瑠璃や子どもたちに……だろう。一生、償っても許されるとは思わないことだよ。早川グループとの今後の取引きもすべて白紙に戻させてもらう。君との離婚話は、出産が終わって落ち着いてから……」


 瑠璃の父がそう言いかけたところで、こちに背を向けて眠っていたはずの瑠璃がガバッとベッドの上に起き上った。


「離婚なんか、しないわよ!」

「瑠璃?!」


 早川も父親も驚いて瑠璃を振り返る。


「私と離婚したら、大手を振ってあの女と一緒になるつもりなんでしょう?だから、早川の籍からも抜いたんでしょう? そんなことさせない! させるもんですかっ!」

「違う、そんなこと考えていないよ。瑠璃、そんなに興奮したらまた倒れ……」


 早川のシャツの胸元を、引き千切らんばかりの力で掴む瑠璃は、暗い炎を宿した目で早川を睨み上げて言った。


「自由になんてさせないから。あなたは一生私たちの側で罪を償うのよ」


 返す言葉に窮している早川を前に、瑠璃は一層低く声を落として続ける。


「……もちろん、あの女もね」





 数日後、東京の早川家に、瑠璃の姿はあった。

 瑠璃は実家の両親の反対を押し切り、半ば強引に葵と実も連れて東京に戻っていた。哀れな幼児二人は、すっかり人が変わってしまった母の顔色をビクビクしながら覗っている。


「奥様、お客様がお見えです」


 瑠璃の帰宅のために、急遽早川が雇ったヘルパーの女がリビングにいた瑠璃に声をかける。

 早川は仕事で不在だった。


「通してちょうだい」


 瑠璃は固い声でそう告げる。


「葵さん、実さん、こちらへいらっしゃい」


 客人を通すため、ヘルパーの女は二人を手招きした。

 心配そうに何度も振り返る葵と目を合わせることもなく、瑠璃はリビングのソファーに深くもたれかかったままだ。

 やがて子ども二人が出て行った後に、ひとりの男が書類の束を抱えて入ってきた。


「お調べの件ですが、結果が出ました」

「……そう」


 瑠璃は短くそう答えた。


「それで?」


 先を促す瑠璃に、男は書類の束から一枚取り出して、瑠璃の前に置いた。


「お探しの……斉木理穂子の居場所です。今は、父親の斉木智之と共に、島貫隆志という幼馴染の男の家に身を寄せています」

「……男?」


 うつろだった瑠璃の目に、僅かに暗い炎が蘇る。


「洋介さん以外にも、男がいたってわけ?」


 ハッ――と嘲るように息を吐いて、瑠璃はケラケラと笑い出した。

 男が差し出した書類には、様々な角度から、ダッフルコートを着た理穂子と、長身の若い男が、寄り添うように電飾の灯る繁華街を歩く姿が撮られていた。


 瑠璃は書類に手を伸ばし、そのままグシャリと手の中で握りつぶした。



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