(3)
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整備されたばかりの駅前の歩道には、まだ若い街路樹が電飾を施されて、キラキラとした光の雨を降らせている。
「きれいねぇ」
そんな溜息交じりの声を漏らしながら行きかう人の群れに、うっかりすると流されそうになるため、おぼつかない足取りで目に入ったショーウィンドウまで近づいて、すがるように手をついて息を吐いた。
冬の冷たい空気に晒されてすぐに白く変わったそれは、ショーウィンドウを弱々しく曇らせた。
視界が晴れた先には、大きなクリスマスツリーと玩具、小さなマネキンに着せられた可愛らしい子ども服がディスプレイされていた。
「斉木!」
その声で、ハッと我に返る。
振り返ると、息を切らせた隆志が立っていた。
「驚かすなよ。駅前の広場で待っててって言ったのに」
隆志は理穂子の華奢な肩に手をかけて、もう一度ハアッ……と大きな息を吐いた。
「……ごめん、私が喉乾いたって言ったから、買いに行ってくれてたのに」
そうだよ――と呆れたように笑う隆志のコートのポケットは、二人分の缶コーヒーで膨らんでいた。
「こんなところまでフラフラと、何見て……」
そう言って初めて、隆志は理穂子の背後にあるショーウィンドウに目を移した。
「……」
「キレイだね、島貫君。いつの間にか駅前もこんなに……なんだか、知らない街にいるみたい」
理穂子はそう言って、一瞬言葉に詰まった隆志の困惑をわざと振り払うように明るい声を出して、電飾された街路樹を見上げた。
街で唯一の国鉄の駅と、駅を隔てて栄える歓楽街、一日中灰色の煙を吐くだけの工場以外に何もなかったこの街も、数年前から駅前の開発が進み、この一角だけが取ってつけたように整備され、都内に店舗を持つ店の系列店が軒を連ねるようになった。それまで、洒落た店などとは無縁で、ショッピングに出たければ何駅か先の急行停車駅まで出かけなければならなかった若者たちは、この開発を喜んで受け入れたが、古くからこの灰色の街で暮らしてきた者たちは、多くがこの急激な変化を受け入れられずにいた。
『不知火』のアカリもその一人で、彼女の言葉を借りれば「田舎モン丸出しでカッコつけてるお上りさん」のような街に成り下がったそうで、最近では酒を飲むたびに嘆かわしいとボヤいている。
「……クリスマスだね」
理穂子がショーウィンドウに向き直って呟く。
「圭子に、送ってあげようかな。バタバタしてて、まだ出産祝い送ってなかったから」
隆志に背を向けたまま、理穂子は明るい声を出し続ける。
圭子はこの秋、健吾との間に第一子となる男の子を出産していた。健吾は大学を辞めて結婚を強行したことで実家から勘当同然になっていたが、よくある話で、孫の誕生とともに、その状態は急速に雪解けしていた。
出産のためにこの街に里帰りしている圭子の元に、東京で働く健吾は週末になる度に足しげく通っている。
「送る必要ないんじゃないか? 伊藤が親バカ丸出しで、いらないものまで買ってくるって怒ってたぜ」
「ハハハ……伊藤君らしいね」
夏に退院したその足で、隆志と智之は理穂子を再びこの街に連れ帰っていた。
かつての隆志の家で暮らす三人での生活は、端から見れば奇妙なものに違いなかったが、それでも表面上、理穂子は少しづつ落ち着きを取り戻しているように見えた。時折『不知火』のアカリも顔を出し、理穂子の話し相手になってくれたり、男所帯の足りない部分を補ってくれたりもしていた。
「親になると、バカになるのな。伊藤見て、初めて知ったよ」
「伊藤君は、昔からあんなだよ」
「昔から、バカってこと?」
アハハッ……と、先ほどより強く噴き出す理穂子は、可笑しさが後を引いたようで、クククッと微かに肩まで震わせて笑った。
「……島貫君も、伊藤君みたいになるのかな」
「え?」
笑いの波が引いた後で小さく零された言葉に、一瞬、何のことか分からなかった隆志が問い返した。
「……ごめんね」
隆志に背を向けたままの理穂子の肩が、そのまま小さく震えだす。
「私は、島貫君を……バカにしてあげられない」
ショーウィンドウに映った理穂子の瞳から、小さな光の粒が零れ落ちる。
隆志はそのまま、理穂子が着ていたダッフルコートのフードをひっぱり、グイッと乱暴に理穂子の頭に被せた。
「けっこう長い付き合いなのに、知らないのかよ」
震えないように注意しながら、努めて明るい声を出す。
「俺もバカさ加減なら、昔から伊藤に負けないよ」
「……そっか」
「これ以上、バカにされたら困る」
「そうだね」
「そうだよ――って、斉木も結構ヒドイな」
フードを被ったまま俯いて笑う理穂子の声も震えていたが、隆志はそれに気付かないフリをした。
「帰ろうぜ。今夜は鍋だって智之さん言ってた」
「……うん」
隆志が差し出した手に、弱々しくも理穂子も自身の手を重ねる。
もうすぐ迎えるクリスマス――それは、本来であれば理穂子の子どもの出産予定日でもあった。