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炎の中へ  作者: 春日彩良
第8話【送火(おくりび)】
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(7)


***



 空が高くなった――

 隆志は目を細めながら、西の稜線に沈む、皐月の夕焼け空を見上げた。

 気付けばGWが終わり、五月も半場を過ぎていた。

 瑠璃とのやり取りから傷ついた理穂子を病院に担ぎ込んだ3月の終わりは、まだ肌寒く、春も浅く感じられたのに、二ヶ月もしない内に、今では動けば薄っすらと汗ばむほどの陽気に包まれていた。

 原付バイクのエンジンを止め、隆志は日課と化した、理穂子のアパートの下でバイクから降りる。

 春夏秋冬代わり映えのしない古びたジーンズに履きつぶしたスニーカーの足で、トントンと二階へと駆け上がる。

 ついこの前までは、こんな風に気軽に上がることなど出来なかった。

 いつでも、まるで覗き見ているような罪悪感に似た居たたまれなさを感じながら、アパートの下で理穂子の気配を窺うのがせいぜいだった。

 だが、今は堂々と――否、緊張する相手の不在を知っているからこその、弛緩した気持ちが、皮肉にも彼の足を軽くさせる。

 理穂子はアパートにはいない。

 入院して二週間もしない内に、彼女は誰にも告げずに、一人黙って病院を出て行った。


「あ、ライダーのおじちゃん」


 俯き、ジーンズのポケットに両手を入れたまま猫背気味に階段を上がってきた隆志の前に、すっかり顔馴染みになった二人の姉弟がいた。


「お前ら、こんなところで何してんだ?」


 夜間まで預けられている二人は、本来なら今頃は、理穂子の勤め先である保育園にいるはずの時間だった。


「ルルちゃんがね、そこにいるの」


 郵便受けに手を伸ばして、懸命に中を覗き込もうとしていた葵が答える。

 隆志が寄っていくと、確かにアパートの玄関の扉を、前足で蹴るかすかな音が聞こえて来た。


「ルルちゃんのお家にね、ご飯がいっぱいあったんだけど、全部食べちゃって、お家を倒して、出てきちゃったんだと思うの」


 葵は真剣な顔で隆志に訴える。

 隆志は理穂子の薄暗い寝室で、ケージに入れられた小さなウサギの姿を思い出していた。


「ルルちゃん、きっとお腹すいてるのよ。可哀相」

「かわいそう」


 葵に続いてそう訴える実の視線を受け、隆志は頭を掻いた。


「もしかして、それで保育園抜け出して来たのか?」


 隆志が呆れたように呟くと、二人は揃ってコクリと頷いた。


「しょうがないな……ちょっと、待ってろ」


 隆志はそう言うと、今上ってきた階段を音を立てて再び駆け下りた。

 暫らくして隆志は、キャベツの葉や芯が山盛り入った、ビニール袋を提げて帰って来た。


「そこの八百屋で残りモンもらってきた。ちょっと、どいてろ」


 隆志はビニール袋に手を入れると、掴みだしたキャベツの葉を一枚、郵便受けの中に落としこんだ。

 トサッと、幾分湿った音を立てて落ちたそれの行く末に耳を澄ませると、すぐさまパリパリと勢いよく咀嚼する音が聞こえて来た。

 郵便受けを人差し指で全開になるまで押し上げて中を覗くと、薄暗い玄関で、微かに蠢く白い背中が見えた。


「食ってるよ」


 隆志が葵と実を振り返ると、二人は顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。


「実もやりたいっ!」


 すかさず実が手を上げると、葵も弟に負けじと手を上げた。


「分かったよ。順番な」


 隆志はビニール袋の中のキャベツを一枚ずつ二人に握らせると、交代で抱き上げて、郵便受けの合間から、ルルのエサやりをさせてやった。

 これからどんどん陽が長くなってくる。

 夏に向かおうとする季節の中で、隆志は不意に思考を止める。

 理穂子の子は、無事だろうか。萌えいずる深緑のように、理穂子の腹の中で確かに育っているだろうか。

 その存在が、どこにいるとも知れない理穂子を支えてくれているだろうか。

 幼い姉弟がはしゃぐ声の間から、控えめだが強かな、小さな獣の咀嚼の音が聞こえてくる。


「良かったね、実。ウサギさんも、食べるものがなきゃ可哀相だよ」

「……も?」


 不意に呟かれた葵の言葉を聞きとがめて、隆志が尋ねる。


「だって、ウサギさんはいつも、食べられちゃう方なんでしょ?」


 真っ直ぐな瞳で、キョトンと自分を抱き上げている隆志を振り返る。


「ウサギを、食べる?」


 ギョッとするような話だが、姉に続いて実も答える。


「理穂ちゃん先生から聞いたお話」


 そう言うと、葵はまるで暗唱するように、理穂子から聞いたという童話を語り出した。




 昔、昔――

 或る森の奥深くに、道に迷った旅人がありました。

 旅人は傷を負い、お腹を空かせて、今にも死んでしまいそうでした。

 森に住む狐と猿とウサギが、この哀れな旅人を見つけました。

 三匹は、何とか旅人を助けたくて、それぞれ自分に出来ることを探しました。

 木登りが得意な猿は、早速森の木に登り、沢山の木の実や果物を取ってきました。

 鋭い爪を持つ狐は、川へ行き、新鮮な魚をどっさり捕まえて来ました。

 そして、ウサギの番になりました。

 猿のような身軽さも、狐のような鋭い爪も持ち合わせていないウサギは途方にくれました。

 自分は、お腹を空かせて死にそうな旅人のために、何もしてあげられない。

 しかし、ウサギは気付きました。

 たった一つだけ、ウサギにも旅人のためにしてやれることがあったのです。

 それに気付いた途端、ウサギは嬉しくて居ても立ってもいられなくなって、森の中を駆け出していました。そして、乾いた小枝や落ち葉を沢山拾って戻ってきました。

 何をするつもり?――そう尋ねる猿と狐に、ウサギは嬉しそうに答えました。

「僕に出来る、たった一つのことだよ」

 そう言って、小石を擦り合わせて火を付けると、拾った落ち葉や小枝を積み上げた山の中へ放り込みました。

 炎は勢いよく燃え上がります。

「ねえ、旅人さん。僕には身軽な身体も、鋭い爪もありません。だけど、僕は僕をあげられます。僕の肉はきっと美味しいから、残さず食べて、早く元気になってね」

 そう言うと、ウサギはあっという間に炎の中へ身を投げてしまいました。




「おじちゃん? ライダーのおじちゃん?」


 ツンツンと上着の裾をつままれて、隆志はハッと我に返った。


「どうしたの?」


 気付けば青ざめた顔の隆志を、幼い二人の姉弟が心配そうに見上げていた。


「……何でもないよ」


 隆志は額を拭うと、ビッショリと嫌な汗で濡れていた。

 葵の話を聞いている時、不意に炎に身を焼くウサギの像が浮かんできた。言い知れぬ不吉な予感は、未だドアを隔てて伝わる小さな咀嚼の音に合わせてどんどん膨らんでいくようだった。

 隆志は頭を振り、葵と実を振り返った。


「ほら、エサもやったし、これでしばらくは安心だろ。送ってってやるから、脱走がバレない内に帰った方がいい」

「ライダーのバイクに乗れる?」

「ああ」


 頷いてやると、実は大はしゃぎで階下に向かって駆け出した。


「こら、実! 一人で先にいっちゃダメでしょ!」


 やんちゃな弟を叱りながら、葵も後に続いて下りていく。

 二人の背中を見送りながら、自身も階下へと向かって歩みだそうとした隆志だったが、一瞬、視界が不安定にグラリと揺れた。

 ルルの咀嚼の音が、気のせいか大きくなったような気がする。

季節は初夏へ向かっているというのに、隆志の背には冷たい汗が一筋、流れ落ちていた。




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