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炎の中へ  作者: 春日彩良
第7話【烽火(ほうか)】
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(10)


***


「昼間はあんなに晴れていたのに……」


 高層ビルの最上階、VIP専用のスイートルームの窓から都会のネオンの海を見下ろしながら、早川は荒れ狂う風の音を聞いていた。

 ビルの隙間を吹きすさぶ風は、人間の悲鳴のように、細く長く哀れな声音を響かせる。


「君は雨女ならぬ、嵐女?」


 振り返った早川は、年齢に似合わぬ幼い笑顔を浮かべる。

 普段は男性用へアートニックでバックに撫で付けた髪を、シャワーの後はさらりと前髪をたらしている。

 そのせいで、風呂上りの早川は、いつもまるで理穂子と同世代かそれ以下の少年のように見える。

 それがまた、理穂子の胸を締め付ける。

 理穂子はベッドの端に軽く腰掛けたまま、忌々しげに窓辺の早川を睨みつけた。


「そんな怖い顔しないでよ。理穂子に会う時はいつも嵐だったなぁって、思っただけ」


 早川は屈託なく笑うと、また荒れすさぶ街の様子に目を移した。


「初めて会った時も、嵐だった」


 覚えてる?

 そう尋ねるように、早川はガラス窓に映った視線越しに、理穂子に向かって首を傾げる。

 理穂子は舌打ちをすると、ギュッと手元のシーツを握り締めた。


 覚えているか、なんて。

 どんな恥知らずな顔をして今更尋ねてくるのか。

 忘れられる筈がなかった。


 自分は初めてこの男に会った時から、囚われていたのだ。

 どんなに抗っても抗っても、自分の意思さえも押し流して、運命はこの男を連れてきた。

 嵐とともに。

 理穂子に逃げる術などなかった。


 今日のように、墓参りの後、実や葵を早川の自宅に送り届けた後、なじりながらもホテルに誘う早川の後を付いてきてしまった。

 この男が寂しそうな顔をするのは、狡猾さ故なのだと気づかないわけではない。

 理穂子を意のままに操るための作戦で、自分はまたしても体よく遊ばれているだけなのだと。

 それは、理穂子の自尊心をズタズタにするのに十分な仕打ちであるのに。


 分かっている。

 分かっているのに。


 なぜ今なお自分はこうして、都会から遠く離れた天上の隠れ家で、この男と向かい合っているのだろうか。


「シャワー浴びてきたら? シーツまで濡れちゃうよ」


 早川が苦笑しながら理穂子が腰掛けているベッドを指差す。

 確かに、このホテルに逃げ込む前に雨に降りこまれた理穂子と早川は、全身濡れねずみになっていた。

 早川はいち早くシャワーを浴びたが、理穂子は頑なにベッドにへばりついていた。

 春はまだ遠いこの時期、雨で濡れた身体は徐々に冷えてきて、やせ我慢をしていても、理穂子の唇は色を失ってきていた。


「風邪引くよ、ほら」


 見かねた早川が自らの首にかけていたタオルをとって、理穂子の濡れた頭に乗せる。

 咄嗟に振り払おうとしたが、それより早く、早川がタオルの両はじを持って、理穂子の頭をすっぽりと覆った。

 間近に近づいた早川の顔に、無意識に理穂子の呼吸が止まる。

 シャワーを浴びた後なので、あの理穂子をいつも悩ませる胸が詰まるムスクの香りの代わりに、仄かな石鹸の清潔な香りが漂ってくる。


 この匂いの方が早川には似合っている――


 咄嗟にそんなことを考えてしまう自分を、理穂子は心の中で大きく叱責した。


「理穂子はいつも、タオル持ってないね」


 早川の瞳が優しく緩む。


「雨はいつ降るか分からないんだから、いつ濡れてもいいように準備しておかなきゃ」



 そんなことできっこない。



 もし、そんなマネが出来たら、自分は早川と出会う前に様々な予防線を張れただろう。



 決して堕ちないように。

 囚われたりしないように。

 なのに……



 突然の嵐のように、この男は現れた。

 理穂子が濡れないための傘も、濡れた痕を拭い去るためのタオルも、用意できないうちに。



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