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炎の中へ  作者: 春日彩良
第7話【烽火(ほうか)】
43/85

(3)


「あ! おじちゃんも来たんだね!!」


 部屋に入ると、ピアノの前に葵と並んで座っていた実が隆志を見つけて振り返った。

 葵も実も、ピアノの下までまだ足が届かず、椅子に腰掛けたまま足をブラブラさせている。


「遊ぼうよ、遊ぼ! ね、おじちゃん!」

「こーら、実君、まだレッスン終わってないよ」


 眼鏡を光らせたさゆりにたしなめられると、実は口を尖らせて、また鍵盤に向き直った。

 隆志は理穂子と顔を見合わせて笑った。


「レッスンが終わったら、島貫君を連れて行きたいところがあるの」


 理穂子は、ふて腐れながらピアノに向かう実の後ろ姿を見つめたまま言った。


「どこ?」

「ひみつ。でも、きっと島貫君、驚くと思うよ」


 理穂子の話を聞いて、さゆりも振り返る。

 二人は目配せをして、可笑しそうに肩をすくめた。その仕草は、二人が女学生だった頃と何ら変わりなく、つられて思わず隆志まで笑顔を漏らした。



***



 理穂子が実と葵を二人の自宅まで送り届けている間に、さゆりは最近購入したばかりという日産ブルーバードを玄関の前まで回し、隆志を助手席に案内した。


「これ……旦那さんが?」


 いくら世情に疎い隆志でも、新車のブルーバードがどれ程値が張るものか、知らないはずがなかった。

 さゆりは「そう」とも「違う」とも言わず、ただ軽く肩をすくめて、ポケットから取り出したジッポに火をつけると、窓を細く開けて煙を吐き出した。


「旦那様は奥さんにどんなものを買ってやるか、着せてやるか、いかに自由にしてやってるっていうのをアピールできるか、そういうことが、すごく大切なんだって。こういう世界の存在は知ってたけど、まさか自分が結婚して、その仲間入りをするなんてね」


 さゆりは指に煙草を挟んだまま、エンジンのキーを回した。

 小刻みな振動から、やがて車体が命を持って息を吐く。


「くだらない」


 さゆりは鼻で笑うと、窓の隙間から指に挟んでいた煙草を投げ捨てた。


「今時、身分の差なんて流行んないよ、島貫君」


 さゆりは真っ直ぐ前を向いたまま、アクセルを踏み込む。


「理穂子に会うために、戻って来たんでしょ?」


 隆志は何も答えられず、黙って助手席で俯いた。


「……あの子を……理穂子を、助けてあげてね」

「助ける?」


 眉根を寄せる隆志に、さゆりはそれ以上何も言わず首を横に振った。


「……いまに、分かるよ」


 隆志とさゆりを乗せたブルーバードは、無言で都会の中を疾走していった。



***



 さゆりに連れられて行った先は、高級ホテルのラウンジだった。

 オフィス街からは少し外れたその周囲は、似たような高層ホテルが立ち並び、美しく着飾った男や女が黒塗りの車から出てきては、ホテルまでの短い道のりを、ベルボーイらに付き従われて闊歩していた。

 さゆりも慣れた調子でホテルの前に車を横付けすると、隆志を下ろした後、迎えに出てきた馴染みのボーイに車のキーを渡し、面食らっている隆志を手招きしてホテルの中へと入って行った。


「驚くことないから」


 さゆりが肩をすくめて苦笑する。


「友達と会うときでも、私はお店さえ選べないの。どこで誰が見てるか分からないから、私はプライベートな時間でも、旦那に見合う「それなり」のところへ行かなくちゃならないんだって」


 さゆりはわざと茶化すような口調で言いながらも、その目は少しも笑っていなかった。


「私が外で今でも会うのは、理穂子とこれから来るサプライズゲストだけよ。こんな気詰まりなところにしかいられないなら、せめて自分の好きな人たちだけに会いたいって思わない?」


 隆志はこちらを振り返ったさゆりを、改めて見つめなおした。

 眼鏡を外し、髪をアップにして上質のベルベットのコートを羽織った彼女は、隆志の記憶の中の、中学・高校時代のどことなく垢抜けないお下げ髪の少女と比べたら、別人のように美しく洗練されていた。


 しかし、内気そうでいながら、いつも好奇心いっぱいで、目をキラキラ輝かせて理穂子たちとはしゃいでいた彼女の方が、今よりも遥かに生きる力に満ち溢れ、幸せそうに見えた。


「サプライズゲストって、何だよ?」

「だから、それはお楽しみ……あ、理穂子が来てる!」


 ラウンジのボーイに羽織っていたコートを手渡すと、さゆりは伸び上がって一番奥の窓際の席に向かって手を振った。

 向こうのテーブルからも手を振り返してきた。隆志が目を細めて、その席を見やると、黒いパンツスーツ姿の理穂子がこちらに気付いて、照れくさそうに軽く肩をすくめて微笑んだ。


「……驚いた」


 隆志はぎこちなくテーブルまで近づくと、頬杖を付き無邪気にこちらを見上げる理穂子に言った。


「パンツなんか、履くんだ」

「一張羅だけど、似合ってる?」


 おどけて笑う理穂子に、隆志は耳まで赤くなりながら曖昧に頷いた。


「私もパンツなんだけど、私にはお褒めの言葉はないの?」


 見ればさゆりも、コートの下は理穂子と似たりよったりのパンツスーツ姿だった。

 図ったような二人のいでたちに、隆志は困惑の色を深くした。そんな隆志を見かねて、さゆりがペロリと舌を出した。


「今夜の主役はね、実は私たちじゃないの。これからくるゲストが本当の主役。島貫君も一緒に祝ってあげて」

「祝うって何を……?」


 隆志が言い終わらないうちに、理穂子が先ほど隆志たちが入ってきたラウンジの入り口を指差して声を上げた。



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