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炎の中へ  作者: 春日彩良
第7話【烽火(ほうか)】
41/85

(1)

 どこか遠くの方から、ピピピピ……と無機質な目覚まし時計の音がする。


 瞳の裏を指す淡い陽光がまぶしくて、思わず伏せた瞼の上から手をかざすと、隆志は「うーん」と一声唸り、寝返りをうった。

 その途端、果てしなく下まで落下していくような錯覚に囚われて、隆志はギョッとして目を覚ました。


「痛っ!」


 時すでに遅しで、気付いた時には隆志は毛足の短い絨毯の床にしたたか頭をぶつけた後だった。


「あ! ライダーのおじちゃん、おはよう」


 その時、先ほどまで隆志が寝ていたであろうソファーの陰から、実が飛び出してきた。

 理穂子のものを借りたのか、着ているパジャマの手足はブカブカで床を這っていたが、顔色はすっきりと健康な様子を取り戻していた。


「お前、熱下がったのか? ちょっと、来い」


 隆志が手招くと、実は素直に隆志の元にちょこちょことやってくる。

 隆志が実の秀でた額に手をやると、熱はキレイに引いていた。


「ねぇねぇ、おじちゃん。俺、いいもの見せてあげようか?」


 実は熱で皮のめくれた唇を不器用にしきりに舐めながら、好奇心いっぱいの顔をして隆志を見上げた。


「ちょっと、来て」


 実は小声でそう囁くと、小さな手で隆志の右手を握った。

 体温の高い実の手がじんわりと温かさを伝えてきて、隆志は胸の奥がジンとした。

 実は隆志の手を引いたまま、寝室らしきところへ入っていく。


「あ、おい! ここは……」


 理穂子の寝室にとまどいながら抵抗を試みようとした隆志だが、実の手は意外に強い力で握られていて、隆志がまごまごしている間に振りほどくことが出来なかった。

 隆志は思わず両目をギュッと瞑ってその部屋に入ったが、隆志の思いとは裏腹に、中央に置かれたベッドは、主の身体の形を残しながらも、もぬけの空となっていた。

 先ほど隆志が夢の中で聞いた目覚まし時計の音は、この部屋から聞こえているらしかった。

 隆志はベッドの横に置かれたサイドテーブルの上で鳴り止まない目覚まし時計を、そっと止めた。

 ベッドの向こうでは、実の姉の葵の癖のない黒髪の頭が覗いている。


「何してるの?」


 不思議に思って隆志が尋ねると、手をつないだ実が肩をすくめて「えへへ」と笑った。


「理穂ちゃん先生のペットだよ。俺たち、友達なんだ」


 葵も顔を上げて、ベッド越しに隆志を見て微笑んだ。


「おじちゃんも、餌あげる?」


 そう言った葵の手にはキャベツの欠片が握られている。

 隆志がベッドを挟んで向こう側に回りこむと、葵の前に小さな鉄製の檻があり、その中に小さなウサギが一匹、大人しく座って葵のやったキャベツを食んでいた。


「キキって言うの。男の子だよ。かわいいでしょ?」


 檻を覗き込む隆志の横から、葵が説明する。

 ウサギはまだ子ウサギと呼んでもよいくらい小さく、怯えたような黒目勝ちの瞳は、どことなく理穂子に似ていた。

 その時玄関の開く音がして、隆志の手を握っていた実は、サッとその手を離して玄関に飛んでいった。


「理穂ちゃんせんせー、お腹すいたよー!」

「ごめんごめん、朝ごはん何もなかったから買いに行ってたんだ。実、もう起きて平気なの?」


 ガサガサとビニール袋を玄関に置く音が響いている。

 隆志は理穂子の寝室に無断で入っていることに対する気恥ずかしさから中々顔を出すことに躊躇していたが、思い切って葵と一緒に廊下へ出て理穂子を出迎えた。


「……あ、その……勝手に入って、ゴメン」


 頭を掻きながら決まり悪そうに立ち尽くす隆志に、理穂子は何の屈託もない笑顔を向けた。


「島貫君、起きたんだ。よく眠れた? すぐに朝食作るからね」

「え?」


 まるで昨日のことなど何もなかったように、理穂子はいっぱいに中身が詰まった買い物袋を手にリビングに入っていった。

 

 理穂子はそのまま台所に立ち、手早く朝食の用意を整えた。

 居間でウサギのキキを抱きながら遊ぶ葵と実の傍らで、隆志は複雑な気持ちで理穂子の背中を追った。


 穏やかな朝である。


 少しずつ日差しには春の陽光が混じり始めている。

 まるで幸福な家庭の朝の一場面を切り取ったかのような光景に、理穂子の作る味噌汁のかぐわしい香りが色を添える。

 絵に描いたような「幸福らしさ」が、隆志には何とも表現のつかない違和感として残った。



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