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炎の中へ  作者: 春日彩良
第6話【火種(ひだね)】
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(17)

 隆志は、一瞬何か起きたのか分からずにいた。


 理穂子の甘い髪の香りが鼻腔をくすぐったが、そのまま理穂子は隆志の胸の中に倒れこむような形で、隆志の背中越しに部屋のドアを開け、アパートの部屋の中に雪崩れ込むと同時に思い切りドアを閉めて鍵をかけた。

 ドアを外から激しく叩く音と、男の罵声が響き渡る。

 理穂子は鍵をかけたドアの上から更に背中全体でドアを押さえ込んで、男が中に入ってくるのを拒絶しているようだった。

 隆志は無様に玄関先に尻もちをついた姿勢のまま、理穂子を見上げていた。

 泣きはらした目でしゃくり上げながら、扉に背中をピタリとつけて男の罵声に耳を塞ぐ理穂子は、あまりにも小さく頼りなく見えた。

 男はひとしきりドアを叩き叫び終えると、諦めたように大きなため息を一つ残し、革靴の底が古いアパートの床をコツコツと叩く音を響かせて帰っていった。


「……斉木」


 隆志は立ち上がると、そっと理穂子の肩に手をかけようとした。

 理穂子はビクッと身体を震わせて、一瞬隆志から身を引いた。伸ばしかけた隆志の腕が、虚空を掴んでそのまま行き場を無くして力なく落ちる。


「……ごめ……ごめん……島貫君」


 理穂子は自分の腕で自分を抱きしめてガクガクと震え始めた。そのまま玄関先にずるずると座り込むと、理穂子は組み合わせた両手の親指の爪を噛んで嗚咽を漏らした。

 隆志はなす術もなく、理穂子に視線をあわせてしゃがみこんだ。


「……無言電話は、君だろう?」


 理穂子は爪を噛んだまま顔を上げない。


「何から、助けて欲しかったの?」


 隆志は涙で顔にはりついた理穂子の細い薄茶色の髪の一房をそっとかき上げてやった。

 理穂子はくぐもった声で、何事かを呟いた。


「え?」


 隆志が顔を寄せると、理穂子は涙に濡れた目で恨めしそうに隆志を見上げた。


「……本当に助けて欲しい時に、島貫君はいなかった……この五年で、私の人生はメチャクチャになった」

「……斉木」


 隆志は戸惑いを隠せずに、理穂子が爪を噛む腕を取った。


「何が、あったの?」


 次の瞬間、理穂子の顔から血の気が失せ、隆志に取られた腕を凄い力で引き戻すと、口元を抑えて立ち上がった。

 もう一方の手で腹を押さえながら、理穂子は身体を二つ折りにして、よろめきながら玄関の右手にある洗面所に向かった。

 勢いよく蛇口からほとばしる水音の合間から、激しく嘔吐する理穂子の苦しげな息遣いが聞こえてきた。


「斉木!」


 急いで洗面所に飛び込もうとした隆志だが、ハッとしてそこで足を止めた。

 洗面台に顔を埋める理穂子の背中を見ながら、隆志の鼓動がまたも早鐘を打ち始めた。


「……斉木、まさか……」


 ピタリと動きを止めた理穂子の背中が、隆志にそれ以上の言葉を紡ぐのを許さなかった。

 勢いよく洗面台を濡らす水音だけが、二人の間を冷たく流れる。


「……心配しなくても、自分でどうにかするわ。もう、大人だから」


 わざと皮肉気に鼻を鳴らして笑ってみせる理穂子に、隆志は言った。


「……あの男を、愛しているの?」


 隆志の言葉に、理穂子の肩がビクッと震えた。理穂子は勢いよく振り返ると、隆志に向かって大声で叫んだ。


「愛してなんかいない! 殺したいほど憎いわ!」


 ギラギラと燃えるような色を宿した瞳を見た時、隆志は全てを悟った。



(人間の感情の中で一番強いものは?)



 高校時代、変り種で有名だった倫理の教師が、ある日授業の合間に気まぐれに生徒たちに向かって投げかけた言葉を、隆志はなぜか思い出していた。

「愛」だともっともらしく答えた生徒の一人に、その教師は悪戯っぽく人差し指を顔の前で左右に振って見せて、続けた。



(「憎しみ」だよ、残念ながらね。「愛」はその次。だから、「憎しみ」をはらんだ「愛」は、一番強いんだ)

 


 理穂子のギラギラ燃える強い瞳は、憎むのと同じ強さで「愛している」と語っていた。



***



 あてつけのように押し付けられた、最初で最後の君の唇が

 焼け付くような「恋」の火種を 僕の心にハッキリと自覚させた。

 そして同時に、僕は気付いてしまったんだ。

 憎むのと同じ強さで



 君は、恋をしていた――



~第6話「火種」<完>~




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