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炎の中へ  作者: 春日彩良
第6話【火種(ひだね)】
31/85

(8)


***



 亮子が隆志にあてがわれた和室の戸を開けたとき、隆志はこちらに背を向けて寝息を立てていた。

 よほど疲れていたのか、隆志の呼吸は深く、側で聞いていると亮子まで心地よい眠りに引き込まれそうだった。

 亮子はハルに託された樟脳しょうのう臭い寝巻きを一揃え寝ている隆志の脇に置くと、押入れを開けて、薄いかけ布団を隆志の上にそっとかけてやった。

 春はまだ浅く、夜ともなればまだそれなりに冷え込む。

 ふと脇に寄せた文机に目をやった亮子は、その上に乗る小さな壷を見つけた。

 先ほどの祖母とのやりとりが頭を過ぎる。


 本当に、人の骨が入っているのか――


 亮子は一度頭を振って沸きあがってくる好奇心を締め出そうとしたが、結局「見てはいけない」ものほど見たくなる心理には抗えず、スルスルと文机の前まで膝を進めた。

 息を止めて、そっと被さっていた白い布に手をかける。

 陶器の蓋に手をかけ、食器がこすれるような音がしたその時……


「わっ!!」

「ッヒ!!」


 亮子は腰を抜かさんばかりに驚いて、思い切り後ろに尻餅をついた。


「……クッククク、アハハハハ」


 後ろでは先ほどまで寝入っていたはずの隆志が、腹をよじりながら苦しそうに笑いを堪えている。


「な、何よ! 何笑っとると!」


 亮子が真っ赤になって怒ると、隆志はとうとう堪えきれずに大声で笑い出した。


「アハハハ! さっきの顔。そんな驚いた?」

「何やの、いじわる!」

「ハハハ、悪かった。でも、人のモノ、勝手に見ようとするからだぜ」


 そう言われると、圧倒的に立場が弱いのは亮子のほうだった。


「……ごめんなさい」


 亮子が俯きながらも素直に謝ると、隆志は笑ってポンポンと亮子の頭を撫でた。


「ま、いいって。でも、見なくて正解だよ」


 そう言うと、隆志はそのまま亮子の脇から腕を伸ばして、亮子がずらした蓋を元の位置に納める。


「開けたら最後、お化けが飛び出す魔法の壷だから」

「なっ?!」


 亮子の頬がカッと熱くなり、隆志の背中を叩いた。


「子ども扱いせんでよ! そんなん嘘に決まっとる」


 ポカポカ背中を殴る亮子を笑いながら、隆志はそっと骨壷の白い布を元に戻した。




 隆志はその後しばらくしてから、近くの漁港で働くようになった。

 ハルの家に世話になることを、始め頑なに拒否した隆志だったが「おい先短い年寄りの最後の頼みだと思って」の言葉に、渋々ながら頷いた。

 しかし、ただで厄介になるのは嫌だと言い張り、数日もしない内に自分で漁港の仕事を見つけてきた。

 学校帰りに海岸線を眺めながら一人歩く、亮子の一日で一番好きな時間に、隆志はもう何年も前からそうしているかのように、自然に加わった。

 制服のまま隆志の働く漁港を覗いてみると、港での一日の仕事を終えた隆志がいつも船着場のヘリに腰掛けて煙草をふかしながら海を眺めていた。

 そんな時、亮子はすぐに声をかけるのをためらった。

 隆志の背中は夕日を受けて燃えるような輪郭を浮かべながらも、そのまま燃え尽きてしまうのではないかと不安になるような、見るものに焦燥に似た気持ちを抱かせる影をはらんでいた。

 家ではいつも亮子をからかい、ハルを気遣いながら陽気に振舞う隆志だったが、一人で海に向かっている背中は深い孤独を宿していた。


「隆志!」


 亮子が声をかけると、隆志は手にしていた煙草を長靴の底で揉み消して振り返った。


「何だ、亮子か。今帰り?」


 その顔はいつも通りの笑顔を浮かべている。足元には、いつもあの骨壷が一緒にある。

 亮子は隆志の隣に腰を下ろして、一緒に暮れゆく波の彼方に目をやった。


「何、見てたと?」

「別に何も」

「不知火は、夏にならんと出んよ」


 隆志は苦笑しながら「分ってる」と頷き、もう一本煙草を取り出した。


「私にも」


 亮子は人差し指と中指でピースの形をつくり、隆志の前に突き出した。隆志は新しく取り出した煙草を悠々と自分の口の端に加えると、煙草を挟んでやるかわりに、亮子の指を掴んでクイッと後ろに捻った。


「痛っ!」


 亮子は悲鳴を上げて、隆志の手から逃れた。


「煙草は二十歳になってから」


 隆志は口の端を曲げて笑うと、亮子の前で美味そうに煙をくゆらせて煙草をふかした。


「子ども扱いしてぇ」


 亮子は悔しげに歯噛みする。

 並んで座りながらも、隆志に追いつけないのが悔しかった。


 

***



 季節は巡り、海の上の太陽が出航する舟の甲板を焼き、男たちを炙る夏がやってきた。

 隆志は何枚も皮膚が剥がれるほど日に焼かれ、髪も潮焼けですっかり茶色く色が抜けてしまった。


「隆志! 今日あたり、鬼火が出るかもしれんぞ」


 コノシロがいっぱいに詰まった網を引き上げながら、同じ舟に乗る漁師の男が言った。


「鬼火?」

「お前がずっと気にしちょる『不知火』のことばい。やっぱり、血は争えんの」


 男は短く刈り上げた髪に汗の玉を光らせながら、白い歯を見せて笑った。亡き父の親友だったというこの男は、隆志が港で働くようになってからずっと、何かと隆志を気遣ってくれた。


「徹司も『不知火』に魅せられて命ば落とした。やっぱり俺は、あん光は何か人間のものとは違う、力が宿っとるんやないかて思う」


 網を引く手を休めずに、隆志は黙って男の言葉を聞いていた。



 夕方近くなり船着場についた隆志たちを、学校帰りの亮子が出迎えた。


「亮子、ホラ!」


 亮子の顔を見るなり、隆志はビニール袋を二重にしてくるんだ何かズシリと重いものを亮子に向かって投げて寄こした。

 生臭い匂いがプンと鼻を付き、亮子が思わず顔をしかめた。


「何? これ」

「魚のアラだよ。今日昼飯に大輔さんの奥さんがアラ汁作ってくれたんだよ。美味いって言ったら、その余りくれてさ、ハル婆に作ってもらおうぜ」


 隆志の後ろから、大きな体躯の大輔と呼ばれた先輩漁師が顔を出して微笑んだ。


「見た目は悪かけど、本当に旨いとよ。騙された思うて、食うてみぃ」


 日に焼かれ、陽気な海の男たちと過ごすうちに、亮子は、隆志が始めからこの海の街で育ったのではないかと錯覚しそうになる。

 それほどこの海に馴染んできた隆志に安堵すると同時に、この時間を失いたくないという切なる思いも、亮子の心の奥深く、まだ本人さえも自覚していないところで少しずつ芽生え始めていた。



 その日の夜、隆志たちがハル婆に作ってもらったアラ汁に舌鼓を打っていると、突然隆志の先輩漁師である大輔が飛び込んできた。


「おい、隆志! 出よったで。『不知火』が沖合いに出よった」


 隆志はアラ汁につけていた箸を思わず取り落とした。


「来るか? 俺の船、出しちゃる」

「はい!」


 大輔の言葉に勢いよく立ち上がると、隆志は大急ぎで奥の部屋へ向かうと、胸にあの骨壷を抱いて大輔の後に続いて玄関へ走った。


「たあちゃん?」

「ハル婆、心配しないで。ちょっと、行ってくる」


 オロオロするハルをチラッと振り返ったきりで、隆志はサッと身を翻した。


「ちょっと、待って! 私も行く!」

「亮子? 危ないから、やめんしゃい」


 ハルは次いで立ち上がった亮子を制止したが、亮子は聞かず、転げるように家を飛び出し、隆志たちの後を追った。




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