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炎の中へ  作者: 春日彩良
第6話【火種(ひだね)】
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(7)

 亮子は近づいてくる人影に向かって走り出した。

 人影のすぐ脇を一気に駆け抜けようとしたのだ。

 しかし、亮子がすれ違う瞬間、突然声をかけられた。


「待って!」


 五メートルほど行き過ぎた亮子は、学生鞄を胸に抱いて恐る恐る振り返った。無意識にまだ膨らんでもいない未発達の胸を守る。


「……不知火の海はこの辺りですか?」


 しかし、男から出てきたのは予想外の言葉だった。「胸を触らせてくれますか?」と来たら、間違いなく手に持った鞄を男の顔面にぶつけてやろうと身構えていた亮子は、拍子抜けしながらもまだ警戒の色を解かなかった。


「不知火?」


 亮子が怪訝な顔をすると、男は決まり悪そうにうつむいた。


「不知火は、夏にならんと見られんよ。この辺りじゃ常識ばい」


 亮子の不信に寄せる眉間の皺が深くなった。


「こんな時期に観光? あんた、土地の人間には見えんもん」


 男は曖昧に視線を逸らすだけで、亮子の問いには答えようとしない。


「……変な人」


 亮子は思わず呟くと、踵を返してとっとと男から離れようとした。しかし、その時思いがけず、男はもう一度亮子を呼び止めた。


「何?」


 胡散臭そうに亮子が振り返ると、男はズボンのポケットから何やら紙切れのようなものを取り出し、クシャクシャの皺がよったままのソレを亮子に突きつけた。


「じゃあ、この人の家知らないですか? この辺りだと思うんだけど」


 その紙の切れ端に顔を近づけてそこに書かれた文字を読み取ったとき、亮子の顔色が変わった。


「……あんた、何の用でこの家探しとると?」


 亮子の切れ長の瞳に下から覗きこまれてたじろぎながらも、男はしどろもどろに『親戚だ』と呟いた。


「親戚?」


 亮子の疑いの眼差しはますます鋭くなった。


「祖母ちゃんは親戚一同ほとんど亡くなったって言うとった。あんたみたいな親戚がおるなんて、聞いたことない」

「祖母ちゃんって……君、三波ハルさんの?」

「孫ばい」


 間髪入れずに答えた亮子に、今度は隆志が驚く番だった。


「親戚なら、証拠見せんしゃい」

「証拠?」


 亮子は鼻の先をピンと上に向け、心もち高飛車に言い放った。


「そう。あんたが祖母ちゃんの親戚や言う、動かん証拠ば見せんね」


 男は顎の下に手をやり、しばし考え込むような仕草を見せてから、やがて顔を上げていった。


「証拠はこの顔だよ。だから、ハルさんに会わせてくれ。会えば、分かる」


 男のキッパリとした物言いに、亮子は少々面食らった。最初に会った時の印象とまるで違う、強い光が目に宿っていた。


「……会わせてやってもええけど、ウチの隣はすぐに交番があるんやから。変なこと考えよったら痛い目見るとよ?」


 男は笑いながら、安心してくれと肩をすくめた。

 亮子は男に付いてくるようにと顎で示すと、早足で男の右前方よりに少し離れて歩きながら、時折振り返っては横目で男の様子を観察した。


 首に巻かれたマフラー代わりの赤い手ぬぐいは、汗染みが浮き出て首周りを汚していた。着ている物も何となく薄汚れていて、これでは不審者と間違えられても無理はなかった。

 しかし、耳を覆うほどに長く伸びた髪が顔の半分を隠していても、男の精悍な顔つきは、無精髭を伸ばし放題にした顎のラインからも伺い知ることが出来た。


(……背ぇが高くて、汚いカッコしとるけど、ええ男やった……かな?)


 友の言葉が突然頭の中でこだまし、亮子は小さな咳払いを一つすると、足を早めて家路を急いだ。



「祖母ちゃん、ただいま!」


 玄関のドアを開けるなり、亮子は大声で部屋の奥に向かって声をかけた。


「あんた、遅かったやないとね。どこで道草しとった?」


 奥からは、足腰のしっかりした老婆が転がるように玄関へ出てきた。


「……この人は?」


 老婆は孫娘の後ろに立つ長身の男に気がつくと、急に不安げに声を潜めた。


「祖母ちゃんの親戚や言う、怪しか男やったから連れてきたとよ。お祖母ちゃんが自分の顔見れば分かるち言うて」


 老婆の視線は、男に釘付けになった。

 頭の上から足の先まで、よくよく男の姿を眺める。その間、男は決まり悪そうにしながらも、老婆から視線を外さずに、先ほど亮子に見せた紙を老婆にも差し出した。


「……この字は」

「八代アカリの店から勝手にくすねてきた」


 男の言葉に、老婆の顔色が急変した。


「アカリ? あの子のところから来たとね?」


 老婆の手が男に向かって伸びる。

 水っけの全くない干からびた手が、男の無精鬚だらけの頬をゆっくりと行き来する。


「……あんた、もしかして、徹っちゃんの?」


 男がコクリと頷くと、老婆の手がにわかに震えだした。


「信じられん。徹っちゃんの若い頃にそっくりばい。徹太郎もエイさんも、生きとったらどんなに喜んだか」


 そう言いながらも、老婆の目からはポロポロと涙が溢れ出す。


「祖母ちゃん、話が見えんのやけど。この人は、何者ばい?」


 老婆はこぼれる涙を割烹着の袖口で拭いながら、亮子に向かって言った。


「祖母ちゃんの弟の、徹太郎じいちゃんの孫ばい。あんたの『はとこ』になるんよ」

「はとこ?」


 初めて耳にする言葉と、免疫のない『男』が家の中にいることで、亮子は落ち着かない気持ちになりながら、隣に立つ男にもう一度視線を向けた。

 涼しげな奥二重の瞳とシャープな顎の輪郭は、なるほど自分と似ていなくもない。


「お母さんは、どうしたん? あの、綺麗な女の人は?」


 老婆が尋ねると、男は黙って腕の中に抱えたままの陶器の壷に視線を落とした。


「……まさか」


 息を呑む老婆に、男はコクリと頷いた。


「だから、帰しに来たんです。母が一番帰りたがってた場所に」


 老婆は神妙に頷きながら鼻を啜り上げると、玄関先に立ったままの男を家の中に招きいれた。


「何にせよ、長旅は疲れたじゃろ。上がりんしゃい。そんで、まずは風呂でも入ってからご飯食べんしゃい……ええっと、えっと……」


 老婆は額に手をやり、考え込むポーズをとった。


「た……」

「たあちゃん!」


 男が言い終わるより早く、老婆は突如として思い出したように大きな声で男の名を呼んだ。

 男は言われた途端、頬を染めて俯いた。



***



「亮子、たあちゃんに着替え持って行ってあげんね。じいちゃんの若い時のばい、入るかしらんけど」


 居間に寝転んで流行の歌番組を見ていた亮子は、好きなアイドル歌手の歌の時に用を言いつけられたので、ふてくされながら身体を起こした。


「ばあちゃんが行けばええやない。男一人の部屋になんか、危のうて行けん」

「何バカなこと言っちょるか。たあちゃんは、あんたの兄さんみたいなもんばい。早く着替え持っていってあげんしゃい」


 ぶーぶー文句を言う亮子に隆志の分の着替えを押し付けると、ハルは厳しい顔で早く行くように亮子に向かって顎をしゃくった。

 死んだ祖父の箪笥から引っ張り出した時代遅れの古びた寝巻きは、樟脳しょうのうの匂いがツンと鼻をついた。


「ねえ、お祖母ちゃん?」

「何ね?」

「あの人が持ってた壷ん中って、本当に人の骨が入っとると?」


 亮子は先ほど祖母の肘をつついて聞いた話の真意を、怖る怖る尋ねてみた。骨壷を見たこともなければ触れたこともない亮子にとって、突然現れた不審な男が持つ、人の骨が入っているというなぞの壷の存在は、おどろおどろしくも興味惹かれるものだった。


「バカッ! 不謹慎なこと言うて、このバチ当たり娘が。早く、行きんしゃい!」


 ハルの逆鱗に触れた亮子は、すごすごと居間を後にした。




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