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炎の中へ  作者: 春日彩良
第2話【花火(はなび)】
3/85

(1)

 パン パン パン…


 乾いた音が、教室の窓枠を震わせる。

 開け放した窓から、夏の匂いと熱気が入り込んできて昼下がりの教室を満たせば、子ども達はいてもたってもいられない。


 そんなことは、今年大学を卒業したばかりの新米教師にも簡単に分ることだった。

 生徒に背を向けて黒板に向かっていても、背後で子どもたちがクスクス、ソワソワする様子が手に取るように伝わってくる。


「おい、集中!」


 日頃から子どもたちに向かってよく口にするお決まりの台詞も、余計に子どもたちのクスクス笑いを引き起こし、逆に奇妙な高揚感を高める結果となった。

 

 無理もない…。


 今日はこの街で年に一度の、花火大会の日だった。


仕方なく、新米教師は終業時刻残り5分のところで、授業を切り上げた。

 途端に歓声があがった。


「おい、隣のクラスはまだ授業やってるんだからな。チャイムがなるまで教室の外には出るなよ。それから、今夜の花火大会、必ず保護者同伴でいくこと!子どもがふらふらしていていい時間じゃないぞ!」


 どんなに大声を張り上げても、子どもたちの耳にはもう届いていなかった。

 

 終業の挨拶もそこそこに、はしゃいで隣の生徒と小突き合う者、今夜の花火大会の打ち合わせに興じるもの、夏の熱気と高揚感が教室中に溢れかえっていた。


「まったく」


新米教師は少々大仰にため息をついて見せたが、口の端には「何だかんだ言っても、子どもたちに人気のある『ものわかりのいい教師』である自分に、満足する色が浮かんでいた。


 キーンコーン カーンコーン


 待ちに待った終業のチャイムが鳴るや否や、子どもたちは限界ギリギリまで興奮の渦を抱え込んだ教室の扉を勢いよく開け放ち、まるで空気の玉をギュウギュウに詰め込んで発射するおもちゃの鉄砲玉のように、散り散りに教室から飛び出していった。


「ほら! 廊下は走らない」


 新米教師の声は、きかん気な空気鉄砲たちにはもはや届かない。

 明日の職員会議で、また隣のクラスの初老のベテラン教師から嫌味を言われるんだろうな…と苦い気持ちになりながらも、新米教師は子どもたちの熱気に当てられ、自分もワクワクする胸騒ぎを押さえきれなかった。


 河川敷で行う年に一度の花火大会は、まさにこの街唯一の「祭り」であった。


 大企業の下請け会社が主な産業であるこの街においては、滑稽な程「社会的な階層の差」が歴然としていた。

 中小企業の経営者とその労働者――

 「雇う者」と「雇われる者」。


 それは子どもの社会においても同じである。

 より素直に残酷に、親の価値観を投影する子どもたち。

 もとからが決して豊かではなく、貧しい中からそれでも「この街ではそこそこの成功者」である親たちは、少々行きすぎなほどに、上を目指すことに固執する。

 

 そんな親たちが決まって顔をしかめるのが、街で唯一の国鉄の駅の裏手に広がる、歓楽街の存在だった。

 工場の労働力として、出稼ぎの日雇い労働者を囲っているこの街は、その男たちを迎える女たちも、また多く抱えていた。

 かくいう新米教師も、幾度となくそんな女たちに世話になったことがある。

 若く独り身で、こんな娯楽のない街に赴任してきたのだから、それぐらいは許容の範囲内…。

 それは、同じ小学校で唯一の20代である年上の女性教師に抱く淡い想いとは、また別の次元の話…。


 そんなことを考えながら、ふと教室の隅を見やると、まだ熱気の名残を残しつつも、閑散とした教室で一人、ノロノロと帰り支度をする少年の姿が目に入った。


「おお、島貫。お前も花火大会行くのか?」


 突然声をかけられた少年は、ビクッとするわけでもなく、帰り支度をするその緩慢な動作そのままに、億劫そうに顔を上げると、やる気のない目で教師を見つめ返した。


「…別に」


 ボソッと一言だけそう呟くと、少年はまたノロノロと担任に背を向け、教室を後にした。

 少年の骨ばって華奢に丸まった背中を見送りながら、新米教師はため息をついた。

 

 陰気な生徒だ……。


 この街の小学校に初めて赴任して来た時、子どもたちは若い男の担任に興味深々だった。口うるさい老いぼれた教師たちばかりでは、子どもたちも身体ごとぶつかっていけず、フラストレーションが溜まる。だから、身体を張って遊んでくれる若い新米教師は、自分でいうのも何だが、人気の的だった。

 

 しかし、そんな中で一人だけ、皆と様子の違う生徒がいた。内気で気恥ずかしさが先にたって、教師に近づかない生徒もいる。しかし、彼はそう言った類の他のどの生徒たちとも違っていた。

 簡単に言ってしまえば、彼は無関心だった。

 小学校4年生の男子生徒が興味を持ちそうなこと…漫画、野球カード、駄菓子屋…他の男の子たちが、ある一時期、喉から手が出るほど欲しがるような宝物たちも、彼の前にあっては、何の価値も見出せないような代物に成り下がるようだった。

 

 彼はいつも、明らかにサイズの合っていないブカブカの運動靴を素足に引っ掛け、片方の肩紐が取れたランドセルをぶら下げて登校していた。

 擦り切れたデニム地の短パンに、襟首のところに茶色の汗染みを浮かべた、着古したTシャツかトレーナーといういでたちは、真冬でも変わることはなかった。

 彼の目には、光がなかった。

 子どもらしからぬ虚無感に満ちた様子を見て、心配した新米教師が親子面談を持ちかけても、彼の親は一度も学校へ顔を見せることはなかった。

 

 前担任から受け継いだ彼の家庭状況についての書類には、小学校から川を挟んだ向こう側にある、貧しい長屋の集落の一角に、母と二人で暮らしていると記されていた。


    ※


 汚れた上履きを脱ぐと、同じく煮しめたように茶色く汚れのこびりついた運動靴を下駄箱から取り出し、無造作に足元へ放った。

 埃っぽい昇降口の床は埃を巻き上げ、大きな運動靴と、サイズの合っていない小さな素足を受け入れた。

 少年は、ブカブカの運動靴が脱げないように、屈みこみ紐をキツク結んだ。

 

「汚ったねぇ」


 その時、少年に向けられた悪意に満ちた言葉に顔を上げると、昇降口の入り口のところに、昼下がりの夏の日差しを逆光にして、三つの影が立ちはだかっていた。


「そんな汚ねぇ靴で歩くなよ。学校が汚れる」


 影の一つが吐き捨てるように言った。

 三つの影はジリジリと少年の方へ近づいてくると、薄暗い昇降口の中で、その輪郭を露にした。


「やれ! 没収だ」


 リーダー核の小太りな少年の掛け声と同時に、寄り添うように立っていた二人の少年は、あっという間に運動靴の少年の背後に回りこみ、羽交い絞めにした。


「やめろよ! やめろ!」


 押さえ込まれた少年は、身体をメチャクチャに動かして抵抗したが、もともとがサイズの合っていない運動靴は、簡単に剥ぎ取られてしまった。


「うーっ、くっせー」


 運動靴を剥ぎ取った小太りな少年は、汚いものを摘むように、わざと靴紐の端を掴んで、ブラブラと揺らしながら思い切り顔をしかめて見せた。


「返せよ!」


 羽交い絞めにされたまま、少年は小太りな少年を睨んだ。睨まれた少年は、他の仲間と目配せしニヤニヤ笑うと、突然向きを変えて、そのまま昇降口の外へ駆け出した。

 少年を押さえていた仲間たちも、勢いよく少年を突き飛ばすと、走り出したリーダー格の少年の後に続いて走り出した。


「待て!」


 突き飛ばされた衝撃で下駄箱へしたたか胸をぶつけ咳き込みながらも、少年は靴を奪って行った少年たちの後を懸命に追いかけた。


 三人の少年は、グラウンドを横切り、校庭の外へ出ようとしていた。少年は素足のまま、焼けた校庭の砂がジリジリと足の裏を傷つけるのもそのままに、夢中で三人を追いかけた。


 リーダー核の小太りの少年は、学校の前を流れるドブ川の土手の前で急に立ち止まると、手にしていたボロボロの運動靴の靴紐をグルグル振り回し、勢いをつけて川へ放り込んだ。

 運動靴はゆっくりと放物線を描きながら、見事ドブ川の真ん中へ墜落した。

 

 追跡空しく、その様子を目の前で見せられた少年は、同時に足の裏を抉った激痛にバランスを崩し、舗装されていない道路へ派手に身体を打ち付けて転んだ。


「汚いゴミは捨ててやったからな。母ちゃんに新しい靴買ってもらえよ」


 小太りの少年は、転んだままの姿勢で悔しげに顔を上げた少年を見下ろしながら言った。


「貧乏すぎて買ってもらえないってよ」


 仲間の少年の一人がケラケラ笑いながら言うと、小太りの少年は大仰に肩をすくめて見せた。


「そんなことないだろ。こいつの母ちゃんは、この街一番の金持ちだぜ。街中の男たちからいっぱい金を巻き上げてるって、ウチの母ちゃんが言ってたもんな」


 三人は、道路に身体を投げ出したままの少年の周囲をグルリと取り囲むと、口を揃えて言った。


「インバイ」


 小太りの少年が屈みこみ、額から血の滲んだ少年の顔を覗き込んで更に付け加えた。


「お前の母ちゃんみたいな奴のこと、そう言うんだってよ。ウチの母ちゃんが言ってたよ」


 少年は立ち上がると、他の少年二人を引き連れ、去っていった。


 残された少年は、ズキズキと痛む右足を引き寄せ、恐る恐る痛みの原因である足の裏を覗き込んでみた。

 足の裏には、ガラスの破片が突き刺さり、血が滲んでいた。

 少年は歯を食いしばると、力を入れ、その破片を引き抜いた。

 途端に、血が噴き出す。


 痛む足を押さえながら靴が放り込まれたドブ川を見やると、哀れな運動靴は、ヘドロやゴミを蓄え悪臭を放つ川の中州に紐を引っ掛け、腐ったゴミと共にユラユラと汚水に揺られていた。




 ジャポ…チャポ…

 

 歩くたびに、運動靴は腐臭を漂わせ、間延びした水音をたてた。

 ヌルヌルした靴底は不快だったが、一足しかない運動靴を汚水の中へ捨ててくる訳にはいかなかった。ガラスで切った足の裏を思えば、素足で帰ることも出来なかった。


 古びた木造の長屋が立ち並ぶ自宅までどうにか歩いてくると、既に太陽は西の空へと傾いて、粗末な長屋の群れを緋色に染めていた。近所の子どもたちが水浴びをした後らしく、長屋の集落の周りは、水を含みぬかるんでいた。


「きゃっ!」


 その時、長屋の影から突然走り出てきた女が、ぬかるみに足を取られ、少年に思い切りぶつかった。

少年は反動で思わず手を出すと、その華奢な身体を支えた。


「…びっくりしたぁ。何だ、あんただったの」


 少年の腕に支えられながら身体を起こした女は、少年の顔を見て一瞬微笑んだが、すぐに眉根を寄せて顔をしかめた。


「何? その格好」


 女は少年の泥まみれの姿を見て言った。そして、続けて鼻をヒクヒクさせると、少年の身体に顔を寄せ、次の瞬間、大げさとも思える動作で飛びすさった。


「あんた! 何なの、この匂い!」


 少年はふて腐れた様に、ボサボサの髪を掻きながら口を尖らせた。


「ドブ川に落ちただけだよ。遊んでたら、間違えた」

「間違えた?どこまでバカなのよ、あんたって子は。ちょっと、寄らないでよ。こんな匂い移されたら、店 から追い出されちゃう」


 女は呆れ顔で少年から離れると、小さなハンドバックから取り出したアトマイザーを、熱心に胸元に吹きかけた。


「…これから、仕事?」


 恨めしそうな少年の声に、女は自分のコンパクトを覗き込みながら、赤く引いたルージュを上塗りする手を止めずに答えた。


「そーよ。今日はお祭りでしょ。外からもいっぱい客がくるのよ。年に何回もない稼ぎ時!」


 女はパチンッとコンパクトを閉じると、少年の額を、唇と同じく赤く塗られたツメで軽く弾いた。


「あんたは、花火大会行かないの? 友達に誘われなかった?」

「…別に」


 少年が目を伏せると、女はほんの少し哀れみを宿した目で少年を見つめて言った。


「おみやげ買ってくるわよ」

「別に、いらない」

「隆志の好きな焼きソバ」

「いいって」

「いい子にしてんのよ」


 女は、自分の手が汚れるのも構わずに、少年の鳥の巣のような頭をグシャグシャと撫で回して言った。


「じゃーね」


 女はヒラヒラと手を振ると、夕日に染まった長屋を後にした。

 女の去った後には、いつまでも安物の香水の残り香が漂っていた。



     ※


 初めてマッチを擦れるようになったのは、5歳の時だった。


 預けられていた託児所は、寺の住職が片手間に運営しているようなお粗末なしろものだったが、むやみに他人に干渉しない気風を母は気に入り、隆志は生後間もない頃からそこで育てられた。


5歳にもなれば、一緒に育った仲間も皆、幼稚園や認可の保育園に移ってしまい、同じ年頃の子どもはいなかった。5歳の隆志は、一人ポツンと乳児に混じって、いつも一番最後まで母の帰りを待っていた。

 隆志が火遊びを覚えたのは、丁度そんな頃だった。


 昼間は寺の境内の一角に立てられた掘っ立て小屋の中に赤ん坊たちと一緒に閉じ込められるが、日が傾いてくると、一人また一人と母親に連れられ帰っていく。

 昼間、赤ん坊の泣き声や笑い声が充満し、息苦しささえ感じるほどの空間が、徐々に温度を失い、黄昏に合わせて沈み行く様子は、子供心に何ともいいがたい寂しさを呼び起こさせた。

 始めはちょっとした冒険心だった。

 

 託児所の園長である住職の妻は、隆志以外の子どもを保護者に引き渡すと、決まって託児所の外へ一服しに出かけた。

 託児所の窓ガラス越しに覗いた、住職の妻の手の中で灯る小さな赤い炎と、吐き出される白い煙の光景は、幼い隆志の目に何とも魅惑的なものに映った。


 ある日こっそりと、隆志は脱ぎ捨てられた住職の妻のエプロンから、小さなマッチ箱を抜き取った。

 手の中にスッポリと納まるその魔法の箱を抱えて、隆志は夢中で託児所の裏の林の中に逃げ込んだ。

 胸がドキドキしていた。


 箱からマッチ箱を取り出し、見よう見まねで小さな箱と棒を擦り合わせてみる。何本かのマッチをダメにしてから、突然、シュッ…と鋭い音がして、隆志の手の中で火花が弾けた。

 思わず声を上げて、マッチを箱ごと投げ捨てると、小さな命を持った火は、隆志の足元の乾燥した草をチロチロと生まれたての赤い舌で舐めて、消えた。


 幼心に、魅入られて動けなかった。



 それからは、ちょくちょく託児所の職員の目を盗み、母が迎えにくるまでの孤独な時間を、日暮れの薄暗い林の中でマッチを擦って遊ぶことでやり過ごしていた。


「隆志ちゃんは、一人遊びが上手で、手のかからないいい子ねぇ」


 昼中赤ん坊の面倒を見て疲労困憊の住職の妻は、無関心で助かった。誰も隆志の火遊びに気づいて、咎める者はいなかった。


 その頃から夜の商売もスタートさせた母は、隆志を託児所から連れ帰ると、出来合いの夕食を食べさせ、寝かしつけてから、そのまま長屋に隆志を置いて、仕事へ出かけた。

 

 目覚めると母がいない。

 大声で泣いても叫んでも、暗い部屋の中には自分一人しかいない。

 やがて隆志は、家でもマッチを擦るようになった。

 こっそり部屋を抜け出し、長屋の裏手にある共同の水汲み場の影にしゃがみこみ、小さく千切った新聞紙の欠片を並べる。

 シュッ…という、マッチの擦れる音、ボウッと炎の燃えあがる音。千切った新聞紙が燃えて空中に溶けていく様は、隆志の心も暖かく溶かした。

 小さな悪戯から生まれる小さな火は、母がいない不安な長い夜を癒してくれた。


 ある日、ちょっとばかり得意になって、長屋の古いガスコンロの火をつけるのに苦戦していた母の手からマッチ箱を取り上げて、母の目の前でマッチを擦ってみせたことがあった。

 母の度肝を抜かれたような顔を見て、「よく出来た」と褒められるものとばかり期待していた隆志の頭の上に、鋭い拳骨が飛んできた。

 以来、「火遊び」は硬く禁止されていたが、もうその頃には、中毒のようになっていて、とても止めることなど出来なかった。母の目を盗み、この隆志の悪習は、四年生になった今でも続いていた。

 

 隆志は耐えられない程の悪臭を放つ服を脱ぎ、下着のランニングシャツと、小さくなってピチピチの短パンに着替えた。短パンは歩くたびに尻に食い込んで不快だったが、贅沢は言っていられなかった。

 雨水を張った洗面器に汚れた運動靴を浸けると、玄関に放置されていた大きな雪駄を引っ掛けた。

 

 二週間前まで母の男で、勝手に隆志たちの家に転がり込んでいた出稼ぎ労働者の置き土産だった。

 母の半年分の稼ぎをすべて持ち逃げしたのだから、置き土産と言っても割りには合わないが、今の隆志には有難いものだった。


不快な服を着替えただけでも、少し気分は楽になった。

 夏の夕暮れの風を受けながら、隆志はいつものように水汲み場の影にしゃがみ込んだ。

 長屋の住人は皆、祭りに行ってしまったのだろうか。

 あたりはシンと静まり返っていた。

 

ピチピチの窮屈なズボンのポケットから、マッチ箱を取り出す。今ではもうすっかり慣れた手つきで、最初の一本を擦ってみた。

 マッチ棒を垂直に立て、熱くて我慢できなくなるギリギリまで指で掴み、小さな炎を凝視した。

 いつもは隆志の心を暖かく包んでくれる炎が、今日に限って心に響いてこなかった。

 もう一本擦ってみる。

 シュッと音を立てて短い一生を終える火を見ても、隆志の弾まない気持ちは同じだった。

 風に乗って、祭囃子が聞こえてくる。

 原因はコレだった――

隆志は観念して、マッチ箱を窮屈なズボンのポケットにねじ込むと、立ち上がった。

 祭囃子が聞こえてくる方へ、ゆっくりと歩き出した。


    ※

 

 沈む日と入れ替わるように、夜店は生き生きとその存在感を主張しだし、にわかに活気づいていた。

 提灯の明かりの下で、色とりどりの袋に詰められた綿菓子や射的屋や輪投げ屋の景品は、影を帯びて揺れていた。はしゃぐ子どもや大人たちの声に混じって、客を呼び込む夜店の主人たちの声が飛び交う。

 夜店から漂う醤油の焼ける香ばしい匂いに、隆志の腹の虫もギュルギュルと反応していたが、ポケットの中には小さなマッチ箱一つだけの隆志に、何一つ買えるわけもなかった。


 その時、金魚すくいの夜店の中に、見覚えのある顔を見つけた。隆志は咄嗟に、釣り下がる綿菓子の袋の陰に身を隠した。

 金魚すくいの小さな桶の前では、先ほど学校で隆志に絡んできた三人の少年たちが陣取り、浴衣姿の少女たちを取り囲んでいた。取り囲まれた少女たちは、明らかに迷惑そうな顔で少年たちを追い払おうとしていたが、三人はめげずにしつこく少女たちにちょっかいを出し続けていた。

 とうとう我慢できなくなった少女の一人が、小太りな少年の肩をトンッと軽く押し返したその時、少女の背後で無邪気に金魚すくいの網を動かす少女の横顔が見えた。

 隆志は思わず、「あッ」と声をあげた。

 同じクラスの、斎木理穂子だった。





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