(5)
「とにかく、そんなにひっつかれてたんじゃ、話も出来ないわ。隆志君から離れて、あんたも座りなさいな」
「いやや! 折角探して見つけてやっと会えたんじゃもん。うちは離れんばい」
亮子はイヤイヤをするように、隆志の首にかけた腕にますます力を込める。
「仕方ないお嬢ちゃんね。マサ!」
アカリの命を受けたマサは敬礼ポーズをとると、店の奥に向かって声を張り上げた。
「ヒロ! 出番だ!」
マサがそう言った途端、店の奥からノッソリと黒い大きな影が現れた。
前掛けをかけたその大男は、眉間に深い刃物傷があり、短く刈られた頭は板前のようだった。
ヒロと呼ばれたその大男は無言でカウンターを越えて亮子の腕を取ると、ヒョイッと捻りあげて、隆志の隣の椅子に亮子を押し付けた。
「痛い! 何するんね、このアホ!」
亮子は驚いて叫び声を上げたが、男の圧倒的な力の前には叶わなかった。男は最初から最後まで無言で、涼しい顔をしたまま亮子を椅子に押さえつけている。
「俺の弟分なんだ。よろしくしてやってくれよ」
マサが隆志に向かってウインクを投げる。
「亮子、早く熊本に帰れ」
隆志はようやく離れた亮子に向かって厳しい口調で言った。
「いや!」
「いやって、高校はどうするんだよ。今は冬休みだからいいけど、ずっと休むわけにはいかないぞ」
「高校なんか、辞めてきたばい」
「何だって?」
今度は隆志が驚く番だった。
「ウチは隆志と暮らせれば、学校なんか何の未練もないばい。隆志の行く場所が、ウチの行く場所ばい」
「ふざけるなよ。卒業まであと一年じゃないか!帰れ! 今すぐハル婆のところへ帰れ!」
「いや!絶対にいや!」
「アカリさん、すぐハル婆のところへ電話して。亮子、力ずくでも帰らせるからな」
「いやや、隆志のバカ!! 絶対に帰らんもん。隆志の側におるもん!!」
亮子は泣き叫びながら、ヒロに押さえつけれて自由が利かない腕にイライラして、床をドンドンと踏み鳴らし暴れた。
「ちょっと、落ち着きなさいよ」
アカリが呆れ顔で、涙で顔をグシャグシャにした亮子を見つめた。
「あんたの気持ちはよく分かったわ。熊本に帰りたくないなら、帰らなくてもいい」
「アカリさんっ?!」
咎める隆志を制して、アカリは続けた。
「ただし、ここにいたいなら条件があるわ。まず、この夜はこの店を手伝うこと。そして、昼間は近くの高校へ通って必ず卒業すること」
亮子がポカンと口を空けてアカリを見ている。
「いくら親戚だからと言って、年頃の娘が、隆志君と二人で暮らすのは、ハル叔母ちゃんに代わる保護者代理として、絶対に許可できなわね。あんたに選択肢は二つしかないわよ。隆志君の側にいたいなら、私の条件を飲むか、イヤならすごすごと熊本の田舎に帰るかね」
亮子は唇を噛みしめて俯いた。どうすべきかを思案しているのだ。
やがて決意したように顔を上げると、口を真一文字に引き結び頷いた。
「……分かった。あんたの条件、飲むばい」
「アカリさん」
困惑する隆志に向かってアカリは有無を言わせぬ調子で言った。
「隆志君も、それでいいわね? この娘の面倒は、私が責任をもって見るわ」
「でも、そんなら約束して! 隆志、もう黙っていなくなったりせんって。その約束ば守ってくれんかったら、ウチ、このおばちゃんの言う通りになんかせんもんね」
「……この娘には、一から目上の者に対する礼儀を教えなきゃね」
アカリのコメカミがピクピクと震えるのを見て、マサはアカリに気付かれないように、隆志に向かって「おっかねー」と首をすくめて見せた。
「……分かったから亮子。ちゃんとハル婆に連絡しとけよ。あんまり、心配かけるな」
亮子はウンウンと素直に頷くと、また隆志の腕に寄り添いピタリと張り付いて離れなかった。
客も引き、人気の消えた店内で、隆志はカウンター越しにアカリと向き合っていた。
智之やマサ、マサの弟分のヒロは、とっくに店の裏にある従業員用の控え室で酔いつぶれて眠ってしまっていた。
隣では、ビール瓶を何本も開けた亮子が、あらかた胃の中身を吐き出し終えた後、青ざめた顔をしてテーブルの上に突っ伏し鼾をかいている。
「……悪い、アカリさん。面倒かけて」
アカリは隆志の持つグラスにビールを注ぎながら、鼻を鳴らして笑った。
「久々にいい刺激になるわよ。それにしても、気の強い娘ね。誰かさんの若い頃にそっくり」
そう言うと、アカリは苦笑まじりに肩をすくめた。
「これから、どうする気?」
隆志の酌を受けながら、アカリは五年前にも、旅立つ隆志を前にこんな質問をしたことがあるのを思い出した。
思えば、自分はこの子を見送ってばかりだ。そう思った。
「……東京に、出ようと思う。亮子との約束、破ることになるけど」
ナナちゃんに会いに?
アカリはあえて口に出しては聞かなかった。
隆志は深々とアカリに向かって頭を下げた後、寝息をたてる亮子のクセのないショートの髪を優しく撫でた。
「……こいつのこと、よろしくお願いします。ワガママで意地っ張りでうるさい奴だけど、寂しがり屋で無理しちまう奴だから」
「火の国の女は強いから、心配いらんばい。任せんしゃい」
アカリがそう言って胸を叩くと、隆志はようやく寂しげな微笑を浮かべて、店の出口に向かって踵を返した。
コートの襟を立てて外の凍て付く寒さの中へ消えていった隆志を見送ると、アカリは改めて、カウンターの上に突っ伏して眠る亮子に視線を移した。
幼さの残る丸い頬には、涙の跡が光っていた。
「……女はね、男の背中を見送る運命なの。そう決まってるの。だから、いつまで待っていてあげられるか、それが大切なのよ」
隆志が注いでくれたビールを煽る。
ほろ苦い味が喉を伝っていく。
「……なんてね、まだネンネのあんたに、そんなこと納得できる筈もないのにね」
アカリは客のための膝掛けを取り出し、寝息を立てる亮子の肩にそっとかけてやった。