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炎の中へ  作者: 春日彩良
第6話【火種(ひだね)】
25/85

(2)

「……隆志……君?」


 こぼれたネギやタマゴにお構いなしに、人影は一歩、隆志の方へ近づいた。

 逆光になっていた顔の角度がかわり、一人の男の輪郭があらわになる。


「隆志君!」


 男はいきなり、座り込んでいた隆志の胸に飛び込んできた。

 足元にタマゴの黄身が飛び散る。


「おかえり!おかえり……帰ってきたんだね、やっと帰ってきた!」


 隆志の耳元で鼻を啜りながら、その男はしゃっくりあげるように泣き出した。


「……なんで、あんたがこんなところにいるんだよ……智之さん」


 隆志は抱きしめられた気恥ずかしさから、男の肩を押し返しながら、ぶっきらぼうに言った。


「まさか、あんた、ここに住んでるの?」


 智之は鼻の下を擦りながら、あのフワリとした笑みを浮かべた。


「君が出て行ったすぐ後、ちょうどアパートの契約も切れる頃だったんだ。次のいい物件探してたから、転がり込めて調度良かったよ」

「ちゃっかりしてんのな」


 隆志は智之の笑みに、苦笑を返した。

 でも、嘘だ。

 分っていた。

 契約が調度切れる頃だったなんて作り話で、本当は五年もの長い間、隆志の帰りを待ちながら、この家を守ってくれていたのだ。

 布団を干して、綺麗に掃除をして……


「智之さんて、大食いなんだな」


 優しい人。


「え?」

「その量、いつも一人で食べてんの?」


 隆志が床に投げ出されたままの、食材がいっぱいに詰まった買い物袋を顎でしゃくる。


「あ、ああ。これでも肉体労働者だからね。食欲だけは若者並なんだ」


 優しい嘘の下手な人。



 いつ帰るともしれない俺を待って、バカみたいに毎日、食べきれない二人分の食事を作って待っていた。

 いつでも、俺を迎えられるように。


「今日はお祝いだよ!何が食べたい?隆志君の好きなもの、何でも作ってあげるよ」

「智之さん料理なんか作れたっけ?」

「一人暮らし歴の長い男をバカにするなよ!」


 智之は笑いながら、腕まくりをした。


「もうひとっ走り、店まで行ってくるからさ。何が食べたい?焼肉?ハンバーグ?」


 そう言いながら、智之はもう今の扉から身体を半分出して、飛び出して行こうとしている。

 隆志は少し考えてから、智之の背中に向かって言った。


「……タマゴかけご飯が、食いたい」


 智之が振り返って隆志を見る。


「……タマゴかけご飯?」


 そんなものでいいの?――と、智之は目を丸くする。

 隆志は恥ずかしそうに俯いてボサボサの頭を掻いた。

 智之はしゃがみこむと、黄身を染み出させて畳を汚しているタマゴの袋をそっと取ってみた。

 タマゴが三つ、まだ割れずに残っていた。


「よし!じゃあ、とっておきの作ってあげるよ」


 智之は隆志に向かって親指をたててニイッと笑うと、早速夕食の支度を始めるべく、台所へ消えた。

 隆志は智之の背中を追いかけながら、またボリボリと頭を掻いた。

 ふと部屋の片隅に目をやった時、懐かしい女の顔が飛び込んできた。

 永遠に老いることもなく、若く奔放で美しいまま、時間を止めた女。

 大輪の牡丹のように艶やかに微笑む女の前には、その微笑みとは対象的な小さな菊の花が、それでも美しく慎ましげに供えられていた。

 

「さあ、出来た!」


 智之は隆志のリクエスト通りの山盛りのタマゴかけご飯に加えて、小さなちゃぶ台には乗り切らないほどのおかずを用意して並べた。


「五回分の誕生日と成人式をお祝いしなきゃいけないんだからね!とりあえず、第一夜目はこんなところで許してくれよ」


 そう言うと智之は、新聞紙をくるくるっと三角に丸めて、隆志のボサボサの頭の上に被せた。


「なんだよ、これ?」 


 外そうとする隆志を制して、智之は可笑しそうに笑った。


「誕生日の主役が被る帽子だよ。よく、ハリウッド映画のホームパーティーのシーンなんかで、子どもがよく被ってるじゃないか」

「……俺、もう子どもじゃないよ」


 口を尖らす隆志に、智之は言った。


「子どもの時の分もまとめてだよ。ロウソクがないから、えーっと、美華ゴメン!ちょっと借りるよ」


 そう言うと、智之は美華の遺影の前にあるロウソクをロウソク立てごと奪って、隆志の前に置いた。


「縁起悪ぃよ、智之さん」


 隆志が顔をしかめると、智之は悪びれもせずに言った。


「いいからいいから。雰囲気出るでしょ。美華も君の帰りを喜んでるに決まってるから、ロウソクくらい気持ちよく貸してくれるよ」


 部屋を暗くすると、智之は手持ちのジッポで隆志の前のロウソクに日をともした。

 小さく瞬いた火花が命を持って、隆志の前で燃え上がる。


「ハッピバースディ、隆志君」


 智之が手拍子とともに歌いだす。


「ハッピバースディ、ディア隆志君」


 いつのまにか、智之の頭の上にも新聞紙で作った三角帽が乗っている。


「ハッピバースディ、トゥーユー!」


 歌が終わったとたんに、隆志も頬を赤らめながら目の前の炎を勢いよく吹き消した。


「五年分の誕生日と成人式、おめでとうー!」


 めちゃくちゃだ、と思わず頬が緩んだ。

 歌が終わるやいなや、二人して、智之が作った料理を貪るように平らげた。

 

「隆志君、ちょっとこっちへおいでよ」


 食後、折りたたまれた布団を背に、膨れた腹をさすっていた隆志を智之が手招きする。

 智之が手招きする先は、隆志の部屋があった場所だった。


「この部屋、もう見たかい?」

「うん。すごい埃被ってた」

「……この部屋にだけは、ずっと一度も入ったことがなかったんだ」

「何で?散らかってて、片付けるのが面倒だったんだろ」


 わざと茶化す隆志に、智之は少し悲しそうな目で微笑んだ。


「この部屋だけは、主を待っていたからね。他人がズカズカ入っていっていい場所じゃないだろう」

「こんな部屋、何もないよ。汚いだけだよ。そんなに気を使うことなかったのに」


 そう言うと、隆志はドアを開けて、部屋に入ってすぐの傷だらけの柱に手をかけた。


「背比べ」


 智之が隆志の手のすぐ下の傷に自分の手を添える。


「懐かしいね。覚えてるかい?」


 隆志は手を離し、部屋の中をぶらつきながら素っ気無く頷いた。



 十三歳――

 母に代わって、一緒に生活し始めたばかりの智之が刻んでくれた。

 十四歳――

 とうに母に捨てられていた智之。

 しかし、毎日のように一目美華に会おうと長屋に通い詰めていた。


 何度目かの恋人が出来て、その男の元へ通うようになった美華に、取り残されたもの同士、ぎこちない親子の真似事をしながら、二人で祝った隆志の十四歳の誕生日、その記念に刻んだ傷だった。

 そこで、傷は途絶えている。




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