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炎の中へ  作者: 春日彩良
番外編【海に眠る】
23/85

(6)


***



「隠しとったわけじゃないとよ。けんど、アカリちゃんには、すまんこつした」


 短い休暇を終えて故郷に帰ってきたアカリを、叔母の三波キヨは静かに迎え入れた。

 腕には一歳になったばかりの孫娘の亮子を抱いている。

 近所に住むキヨは、アカリの父親の末の妹で、アカリたち兄妹を幼い頃から可愛がってくれていた。


「徹っちゃんの子どもを兄さんが連れ帰って来ちょった時、それを追いかけて来たあん人んこつは、今でもよう覚えとるばい。あん人は、一度は子どものことば、諦めたとよ」


 腕の中の孫娘は、無邪気に笑い声を立てる。それをあやしながら、キヨは続けた。


「兄さんらも必死やった。それを責めたりできん。けんど、人として耐えられんような、一番知られたくない過去を、兄さんらはあん人に突きつけて、あん人の尊厳を奪ったとよ。そいで、徹っちゃんの身代わりば、手に入れようとした」


 一番知られたくない過去――

 そう言われても、高校生のアカリには想像できるはずもなかった。


「子どもに別ればしに来よった時、あん人は花柄の綺麗なワンピース着ちょってなぁ。まるで、映画の中に出てくる女優さんのこつあった。涙一つ流さんと、子どもに背を向けたばい。けんど、あん人の背中を小さい徹っちゃんの子どもが必死に必死に追いかけてなぁ。振り返った時には、あん人もグシャグシャに泣いちょった。その姿見せられたら、もう街のもんも何も言えんかった」


 キヨは上機嫌で笑う孫娘の亮子をアカリの手に渡しながら呟いた。


「どげん親でも、子どもと引き離されるんは、死ぬより辛か」


 亮子の両親――キヨの娘夫婦は、昨年の春、生まれたばかりの亮子を残して交通事故でこの世を去った。

 一人残された亮子を、キヨが引き取り世話をしている。

 キヨの呟きは、自分の亡くなった娘に対する言葉のようでも、小さい愛娘を残して死んだ娘の気持ちを思ってのことのようにも聞こえた。


 亮子は赤ん坊らしい、ミルクと陽だまりの匂いをさせてアカリの胸を熱くする。

 命が確かにそこにあり、呼吸して、生きている。

 徹司の命も、確かにあの美しい女の元で、受け継がれている。


「……高校卒業したら、うち、あの街へ出るばい」


 理屈ではなく、「血」という不確かで陳腐な言葉でもなく、アカリはどういうわけか、あの親子にどうしようもなく強く惹かれている自分を感じていた。

 腕の中の亮子が、コロコロと笑い声を上げた。



***



 高校を卒業した後、両親の反対を押し切り、アカリは上京し、言葉通り隆志たち親子の住む街で生活を始めた。


 『不可侵』の約束――


 上京したアカリに美華が突きつけたのはそれだった。

 お互いに全く干渉しないこと。それを守るなら、側で暮らすことにも目をつぶる。

 しかし、この約束を最初に破ったのは以外にも美華の方だった。

 

 上京したアカリは、小料理屋で給仕の真似事をしながら暮らしをたてていたが、そこで出逢った妻子ある男と恋仲になった。

 その男はあちこちに女を囲っていることで有名な色好みの実業家だったが、まだ若く愚かなアカリには、そんなことは知る由もなかった。

 やがてアカリは男の子どもを身ごもり、それを機に男に呆気なく捨てられた。

 その時のショックで、子どもを亡くし二度と子どもを望めない身体になった時、冷たい病院のベットに付き添ったのは美華だった。

 実家の両親には、口が裂けても言えるはずもない悲しみに押しつぶされそうだった時、美華は慰めも同情の言葉もなく、ただ淡々と側にいてくれた。

 それが、当時のアカリにとって、どれだけありがたかったか知れなかった。

 後に、アカリを捨てた実業家が、街外れの小路に引きずりこまれ半死半生の目にあったという噂を耳にした。

 それも、犯人は当時美華に夢中になっていた、街のヤクザ者であった。

 

 美華は何も言わない。

 そういう女だった。



***



「ほんなこつて、叔母ちゃん。ウチもたいがい忙しいとよ。うん、うん。分かった。盆には一回、帰っるばい。うん、叔母ちゃんも、体大事にしんしゃい。もう、ええ年なんじゃから」


 チン……と受話器を置いたアカリの横顔を、マサは店のカウンターに腰掛けてニヤニヤ笑いながら見ている。


「何笑ってんのよ、あんたは」

「いやぁ、アカリさんのお国訛り、新鮮だなぁと思って」

「バカ!」


 アカリに軽く額を小突かれ、マサはすきっ歯をのぞかせて「ヒヒッ」と笑った。


「熊本、お盆に帰るんですか?」

「さあね、分からないわ」

「……隆志の奴、今頃どうしてるのかな」


 マサの一言で、二人の間に沈黙が下りる。

 不知火の海に帰る――

 と言い残して隆志が一人この街を去ってから、半年が過ぎていた。


「大丈夫でしょ、あの子なら」


 アカリは気を取り直すように顔を上げると、マサの頭をポーンと軽く叩いて言った。


「さ、辛気くさい顔してないで、開店準備よ! マサ!」

「おっす!」


 マサも立ち上がり、カウンターの中へ滑り込んだ。



 夕暮れと共に、今夜も『不知火』には、一日の疲れを癒しにくる客たちを迎え入れるべく、暖かい灯がともる。




【炎の中へ 番外編「海に眠る」完】




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