(5)
(父親にまで色目を使う、恐ろしい子)
(生まれつきの淫売)
今まで他人に好き放題に言われてきた自分の評価。
あがいてもあがいても、それを拭えないのなら、いっそ他人が望むような人間になってやろう、そう開き直って生きてきた。
男たちが自分を巡って争う様を、嘲笑しながら見てきた。
だが、徹司の言葉で初めて、そうやって生きてきた自分自身が一番深く傷ついていることに気がついた。
その日から、徹司のことが気になって仕方なくなった。
「ちょっと、いい?」
帰港したばかりの徹司の船を見つけると、他の漁師の目を盗んで、美華は網をしまう徹司に駆け寄った。
「女がチョロチョロしよったら怪我するばい。下がってろ」
すげなく言う徹司に負けずに、美華は食い下がった。
「この間のこと、考えたの」
「ああ?」
「自分の生き方決めるのは、自分自身だって」
「ああ、それか」
徹司は急に赤くなると、火に焼けた首の後ろをポリポリ掻きながら照れくさそうに言った。
「偉そうなこと、半分は俺自身に言った言葉でもあるんよ」
「え?」
「両親の期待背負って、言われるまま漁師になった。海のこと以外、何も知らん男になった。俺は自分のこと、どんだけ自分で決めよったか思うたら、あんたに偉そうなこと言える立場やない」
「これから決めればいいよ。私も、真剣に考える。自分がどう生きたいのか、今までそんなこと考えたことなかった。ううん、考えることなんか許されてないって思ってた。でも、違う。あんたが、教えてくれたから。自分で決められるって教えてくれたから」
その時、徹司は初めて美華に向かって笑顔を見せた。
大きな口を開けてニッと豪快に笑う姿は、真夏の太陽のように強烈な輝きを放って美華の心を捉えた。
二人が恋に落ちるのに、時間はかからなかった。
***
冬がすぎ、春を見送り、夏が巡ってくると、徹司は美華を夜の船出に誘った。
それまで決して女を船に乗せることはしないと断言していた徹司だったが、その夜だけは違っていた。
「お前に、特別なもん見せちゃるばい」
それだけ言うと、誰の目にも触れないように美華を船に乗せて、深夜に出港した。
大分船を漕いで、岸がもう見えないというところまで来た時、美華は水平線の向こうに一列に並ぶ、不思議な青い炎を指差して尋ねた。
「あれは何?」
「お前に見せたかった不知火ばい。俺らの海では、死んだ人間の魂じゃて言われとる。強い思いを残して死んだ、人間の魂じゃて。小さい頃から、あの炎を見るたび、俺もいつかあの一つになれるんじゃろかて思うちょった。怖いよりも、そんな強い思いを、抱いて死ねたら幸せじゃろって、そう思うちょった。俺には、そこまで何かを強く思う気持ちなんぞなかったから」
徹司は、そっと美華の腰に手を回した。
「ここで、お前抱きよったら、俺も不知火になれるんかの」
「え?」
「お前が、俺のこの世での未練になれるんかの。俺は、ずっと魂の一部が欠けちょるって思うちょった。優しい親父やお袋、可愛い妹に囲まれながら、家族や周囲の期待に応えながら、俺だけが本気やなかった。ありがたいと思いながら、愛してくれる人らに、俺だけが本気になれんかった。だから、昔から、自分はどんだけ薄情な奴なんやろて、ずっと居たたまれん気持ちやった」
美華は何も言わずに、そっと徹司の唇を塞いだ。
この人は、自分と同じだ。
ずっと欠けていた魂の欠片を、探し続けていた人なんだ。
生まれた場所も、生きてきた環境も全く違う二人だけど、自分は確かにこの男に出会うために生まれてきた。
徹司の筋肉で張った背中にそっと手を伸ばす。
徹司の肩越しに、遠くで揺れる青い炎を瞼の裏に映しながら、美華は徹司の頭を掻き抱いて、そのまま甲板に身を横たえた。
***
「……美華」
二人の熱情が去った後に、徹司はそっと美華の胸に冷たい金属の欠片を落とした。
「今日のこと、忘れんな」
美華は胸元に落とされた金属の欠片を握り締めると、コクリと頷いた。
何も纏わない姿のまま、二人で甲板の先へ出て、遠くに揺れる不知火を眺めた。
「……きれい」
不知火に見惚れて美華がそう呟いた瞬間、徹司がくれた金属の欠片――指輪が、美華の手の間を滑り落ちて、海の中へ消えた。
「あっ!」
美華は暗い海に身を乗り出して叫んだ。
「どうしよう……」
今にも泣き出さんばかりの美華に、徹司は優しく言った。
「心配せんでもええ。取ってきちゃる」
「え?」
美華が返事をする前に、徹司はいきなり美華の肩を抱き寄せて耳元に囁いた。
「俺は死んでも、不知火になってここにずっとおる。お前のことだけ思って、何よりも強い光で燃え続けちゃる。忘れんな。ずっと、忘れんな」
それだけ言うと、徹司は渾身の力で美華を突き飛ばし、美華の目の前で暗く渦巻く海への身を投げた。
翌朝、一人残された海の上で半狂乱になっているところを通りすがりの漁船に助けられた。港についた後、街中の船が総出で徹司を探したが、ついにその姿を見つけることは出来なかった。
街中のものに「人殺し」と後ろ指を差されながら港町を出た時、初めて、自分の中に徹司の命が宿っていることを知った。
同時に、船出する前日に徹司が美華宛に送っていた手紙で、徹司が病に侵され、余命いくばくもなかったことを知った。
(子ども産むくらい愛しちょったなら、なんで兄さんは死んだと?)
真っ直ぐな少女の目を思い出しながら、美華はそっと溶けかけた氷を入れたカルピスのグラスを指で弾いた。
それは、一生分の愛を、燃やしたから。
あの夜、あの船の上で、全てを燃やしていったから……