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炎の中へ  作者: 春日彩良
番外編【海に眠る】
20/85

(3)

 女に促されるまま部屋にあがったアカリは、ちゃぶ台の前にチョコンと正座をして女を見上げた。

 女は流し場に背を預けるような格好で、腕を組み、アカリを見下ろしている。


「……姉ちゃん」

「隆志は向こうの部屋に行ってなさい!」


 先ほどのゲームの続きをしようとアカリに寄ってきた子どもに、女はピシャリと言い放つと、有無を言わさず子どもを部屋から追い出した。


「それで、今更私に何の用があるって?」


 女は組んでいた腕をほどいてウエーブのついた長い髪をかきあげながら尋ねた。フワリと花の香りが漂うような、美しい姿だった。


「用も何も、兄さんが死んだ日から、ずっとあんたに会いに来ようって決めてたとです」


 アカリは昔から兄によく似ているとされていた切れ長の瞳で、真っ直ぐに女を見据えて言った。


「兄さんを、殺したのはあんたかもしれん。私は、ずっと疑っちょったとです。今更、警察どうのは言いやしません。ただ、本当のことが知りたいとです」

「私が、殺した?」


 女は目を丸くしてまじまじとアカリを見たかと思うと、急に腹を押さえて笑い出した。


「あははは! 私があの人を殺したかもしれないって? それで、兄さんの仇を討ちに、こんなところまで来たっていうのね」


 女は笑いの発作が中々収まらない様子で苦しげに息を継いでいたが、やがてクルリとアカリに背を向けると、調理場で作業しながら、背中越しにアカリに語りかけた。


「思い出したわ。あんたのこと。あの人の側にずっとくっついて離れなかった、小さな女の子がいたわね。おかっぱ頭の、気かんきそうな娘だったわ。随分、大きくなったもんね」


 女はコップを片手に、再びアカリの方を振り返ると、アカリの前に手にしていたコップを置いた。

 乳白色のカルピスには、氷が三つほど浮かんでいて、女がちゃぶ台に置いた瞬間、カランッと涼しげな音を立てた。


「私はあんたの兄さんを殺したりしてないわ、悪いけど。もっとも、あんたたち家族から兄さんを『奪った』ってことには、違いないかもしれないけど」

「どういうことですか?」


 女は少し自嘲気味に笑うと、アカリから目を逸らし、窓の外に揺れる夏の木漏れ日を見つめながら言った。


「あんたの両親にあの子を奪われそうになって、初めて肉親を『奪われる』辛さに気付いたのよ。同時に、奪った者に対する憎しみにもね」

「うちの両親に奪われそうになった? あの子を? 一体何の話しちょるとですか」


 アカリの混乱を見て取って、女は肩をすくめて見せた。


「何も、知らないのね」


 しかし、アカリは机の上に身を乗り出し重ねて尋ねた。


「あの子、あの子どもは、やっぱり、兄さんの? 兄さんの子ども、あんたは、産んでたとですか?」


 女は否定も肯定もせず、机の上に肘を乗せ、相変わらず外の木漏れ日に見入っている。


「子ども産むくらい愛しちょったなら、何で兄さんは死んだと?」


 女はそれに答えず、アカリの元へ視線を戻すと、笑顔とも泣き顔ともつかぬ顔で、溶けてゆくカルピスの氷を見つめていた。



     ※

    


 アカリは重い足取りで、駅前の公衆電話ボックスに入った。

 何枚もの十円玉を積み上げて、のろのろと受話器を握る。


『……もしもし』


 潮騒の音と共に、聞こえてくる故郷なまりの叔母の声。


『もしもし』


 アカリが何も答えないので、向こうの声が高くなる。


「何で、隠してたと?」


 アカリは低い声で、ボソリと呟いた。


『アカリちゃん?』


「あの人が兄ちゃんの子産んでたの、叔母ちゃんは知ってたとやろ? 父ちゃんと母ちゃんが、あの人から子ども奪おうとしたって、何ね? 私、何も知らんかったとよ。どういうことね!」


 受話器の向こうの声は、黙ってアカリの言葉を聞いた後、ポツリと言った。


『……帰っておいで、アカリちゃん。全部、話しよるから』


 潮騒の音に混じって叔母の声は優しく、そして少し寂しげだった。



     ※



 美華は、さっきまでそこに座って飲んでいたアカリのカルピスのコップに残った氷の欠片を見つめながら、そっと目を伏せた。

 長い睫毛が痩せた白い頬に影を落とし、窓から吹き込むそよ風がその上をなぶっていく。


(悪いが、調べさせてもらったとよ)

(あんたに、子どもを育てるんは無理ばい)


 あの日の言葉一つ一つが、今でも美華の心を抉り、血を流させていく。


(子どものクセに、色目使って誘うような真似して。厭らしい子だよ、この子はっ!)


 過去の別の女の甲高い声が、美華の記憶の逡巡に割りこんでくる。


「……勝手なことばかり、言うんじゃないわよ」


 あの日も、そんなセリフを吐いた。

 今のように投げやりにではなく、ほとばしる激情に駆られて、ほとんど叫ぶように言ったのだけれど。


 隆志を取り返しに行った旧家で、愛しい男が生まれ育った封建的なあの家で、ひんやりと冷たい畳の感触を膝に受けながら、ひた隠しにしてきた自分の過去を突きつけられた。



 痛みは今も消えない。




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