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炎の中へ  作者: 春日彩良
第4話【篝火(かがりび)】
10/85

(3)

「殺されたってこと?」


 隆志がゴクリと唾を呑み込むのを見て、女はクスッと笑った。


「まさか。でも、惑わされた……のかしらね」


 だからね、隆志君……アカリがそう言って、隆志の元に水割りのグラスの一つを押しやる。「飲め」ということらしい。

 戸惑っていると、ジッと隆志を見つめている。それを飲まない限り、その先を話さない気らしい。隆志は思い切って目をつぶり、グラスを一気に煽った。

 焼けるような熱さが喉を駆け抜けていく。


「『らしくない』ことをして、命まで落とす人間もいるってこと。でもね、それが本当に、その人にとって不幸なことかどうかは誰にも分からない。『らしくない』ことが、本当の『らしさ』かもしれないじゃない」


 謎かけのようなアカリの言葉が、先ほど流し込んだ琥珀色の液体と相まって、隆志の酩酊を一層深めた。


「あら、強いじゃない」


 アカリは倒れこまない隆志を見て、満足そうに微笑んだ。


「ナナちゃんより強いわよ」

「斎木を……探しに行かなきゃ」

「ナナちゃんなら今頃、店の裏路地で寝てるわよ。裏に積んである、お店のビールかっくらってね」

「道路で寝るのが趣味なんだよな」

キヒヒッと、給仕を終えて戻ってきたマサも悪戯っぽく笑う。

「……俺、行くよ」


 ヨロヨロとカウンターから立ち上がり出て行こうとする隆志の背中に向かって、アカリは言った。


「ナナちゃんのお母さん、再婚するらしいわよ」

「え?」


 隆志は振り返ってアカリを見た。


「数少ない、ナナちゃん情報。酔っぱらって、前に一度だけ話してくれたのよ」


 アカリはそれだけ言うと、新たにカウンターに座った客の相手を始めた。



     ※



 隆志はアカリの言葉通り、一度地下の店から出ると、そのまま店が入っている雑居ビルの裏手に回った。

 野良猫が店の残飯を漁る横で、隆志が探す少女は、黄色いビールケースに身体を預けて、スヤスヤと寝息を立てていた。

 横には空になったビール瓶が転がっている。

 

 隆志がそれを足で蹴飛ばすと、ビール瓶は派手な音を立ててプラスチックのゴミ箱に当った。猫が驚いて逃げて行く。


「斎木」


 隆志は少女の肩を揺すった。少女は泥酔していて、一向に目を覚ます気配もない。


「バカ!本当に、知らないからな!」


 そう言って少女の肩を押しやり、乱暴に離れようとした隆志の手が、不意に少女の頬に触れた。

 濡れていた。


「……パパに……会いたい」


 不意に漏れた少女の言葉は、隆志の動きを止めた。

 しかし、少女はまた何事もなかったかのように、スヤスヤと規則正しい寝息を続けている。


「……斎木」


 泣きつかれて眠る少女をじっと見下ろしていた隆志は、次の瞬間、有無を言わさず少女の両手を掴んで、身体を引き起こした。

 頭がガクンと後ろに倒れ、驚いた少女は、まだ酔いの最中にある目で隆志を見上げた。


「な……何?」

「行こう、斎木。今から智之さんに会いに行こう!」

「え?……ちょっと……キャッ!!」


 少女の返事も聞かずに、隆志はグンッと強い力で少女の手を引っ張ると、足のもつれる少女にもお構いなしに、路地を駆け出した。


 蔦の絡まる古びたアパートの前に、隆志は理穂子の手をしっかりと握り締めたまま立っていた。


「ここだよ」


 隆志は理穂子に向かって顎をしゃくる。


「102号室、智之さんの部屋だ」


 隆志が指差す腐りかけた木戸には、黄色く変色した紙に「斎木」と書かれただけの表札が貼り付けてあった。


「……こんなところに?」

「知らなかった?」


 理穂子はコクリと頷いた。


「私たちの住んでた家を、追い出されたのは知ってたの。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが話してるの聞いたから。でも……」


 理穂子は実際にこの目で見た、智之が置かれている現状にショックを隠しきれないようだった。

 


 理穂子の父、智之はこの街一番の家財道具屋を営む「斎木家」の入り婿だった。地元の商業高校を出た後に就職した理穂子の祖父の会社で、見込まれてその家の長女と結婚し、養子に入った。

 智之の裏切りは、妻と一人娘のみならず、自分の身を立ててくれた恩人である理穂子の祖父母への裏切りでもあった。

 智之に会社を譲った後、祖父母は一線から退き、次女の大学進学に合わせる形で東京へ移り住んだ。

 一代で築き上げた家財道具屋の一切を、若い娘婿に託した形になっていた。

 実際、智之の経営手腕は中々のもので、店も繁盛していたその矢先、あの信じがたい事件が起こったのである。

 

 理穂子たち母子が東京へ身を寄せると同時に、智之は住む家も、ここまで情熱を傾けて育ててきた店の経営権も全てを失った。

 隆志たちと短い期間を共に過ごした後は、今の粗末なアパートに移り、タクシー運転手をして日銭を稼いでいる。

 理穂子たちが街を出て行ってからの智之を取り囲む状況は、隆志の方が詳しく把握していた。

 

 隆志は木戸をノックして、智之の名を呼んだ。

 理穂子が逃げようと身体を引くが、隆志は握った手を引き寄せてそれを拒んだ。


「智之さん?いないの?」


 しばらくノックしても返事がない。


「風呂に行ったのかな?」


 風呂なしトイレ共同のこのアパートの住人は、皆近所の小さな銭湯へ通っている。

 隆志がそっと木戸のノブを回して押すと、簡単に開いた。


「あっ」


 隆志と理穂子は顔を見合わせた。


「来なよ」


 隆志は理穂子の手を引いて、暗くヒヤリとした部屋の中へそっと入った。

 

 六畳一間の小さな部屋に、簡単な炊事場が付いただけの、簡素というにはあまりにも寂しい部屋だった。

 持ち物と言えば、一人用の小さなちゃぶ台が一つ、壁に立てかけられているだけだった。

 しかし、窓辺に吊るされた仕事着であろうワイシャツには、几帳面にアイロンが当てられ、その袖口には品のいいカフスボタンが並んでいた。それは、この部屋の主の、どんなに身を落としてもそこに染まることのない、生まれもっての気品を言わずもがなに物語るものだった。

 実際、智之はそういう男だった。

 

 理穂子はおずおずと智之の部屋を見回し、流しの横に置いてある煙草の箱に目を留めた。


「これ、まだ吸ってたんだ……」


 蓋の開いた赤いパッケージを取り上げる。中から、一本取り出すと、理穂子はそれを細い指の間に挟んで、そっと口の端に咥えた。


「斎木」


 隆志が咎めるような視線を送ると、理穂子は苦笑して言った。


「フリだけだよ。私、マッチ擦れないの知ってるでしょ?小さい頃、煙草吸ってるパパにふざけて抱きついたら、パパの火でスカート焦がしちゃったことがあって。それから、火付けるの怖くなっちゃったの。見るのは好きなんだけどね」

 

 煙草のパッケージを弄ぶ理穂子の横で、隆志はいつも持ち歩いているマッチ箱を取り出して、火をつけた。

 暗い部屋の中に灯る、小さなあかり。

 隆志は何も言わずに、理穂子に向かって大切な火を手で守りながら差し出した。

 理穂子もそっと、顔を寄せる。

 煙草一本分の距離で二人の視線が出会い、その間に小さな火が点火されると、二人はまた無言で離れた。


「……パパの匂いだ」


 理穂子は細く長い煙を吐き出しながら呟くと、慣れない煙にむせるフリをしながら、瞳に溜めた涙を拭った。


「斎木が煙草を吸うときは、俺を呼んでいいよ。いつでも、火つけてやるから」

「私、ヘビースモーカーかもよ?」


 理穂子が笑う。



「……おばさん、再婚するって?」


 隆志は言い出しにくい問いを思い切って投げかけてみた。

 理穂子は自嘲気味に笑いながら頷いた。


「そう。ママの妹の結婚相手が養子に入ってくれることになったから、ママももう気兼ねせずに、お嫁にいけるってわけ。私も名字が変わるし、年の離れたお兄ちゃんもできる」

「嬉しくないみたい」

「嬉しいわよ。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、また新しい跡取りが出来て、出戻り娘も片付いてくれる。やっと世間体を保てて、万々歳よ。再婚相手はまたお金持ちだから、生活能力のないママも、胸を撫で下ろしてる。お祖父ちゃんたちが死んじゃった後にも、頼るべき相手ができたってね」

「……斎木は、幸せじゃないみたいだね」


 隆志の問いに、理穂子は答えなかった。無言で、自分が吐き出す煙の行方を追っている。


「名前……何になるの?」

「早川」

「これから、何て呼べばいい?」


 理穂子は流しのヘリで咥えていた煙草をもみ消すと、小さな声で言った。


「……斎木って、呼んで。島貫君が呼んでくれなかったら、もう誰も呼んでくれなくなっちゃう」


 智之も離婚した後も「斎木」の姓を名乗り続けている。

 隆志は何も言わなかったが、理穂子の気持ちはよく分かった。


「斎木……」


 もう一度、確かめるようにそう呼ぶと、理穂子は小さく肩を震わせた。





    ※





 文化祭当日は、多くの客が集まり盛り上がりを見せていた。

 フィナーレであるキャンプファイヤーの準備に、文化祭の実行委員である生徒たちはてんてこ舞いしていた。


「島貫ぃ!頼む、運ぶの手伝って!」


 特大のキャンプファイヤーのポスターを貼った看板に押しつぶされそうになりながら、萩原圭子は瀕死の鶏のような声をだして、隆志に助けを求めた。


「何で今頃運んでるの?」

「伊藤のバカが、懲りずに昨日の夕方プロレスやって、看板の上に転んで真っ二つよ!信じられる?朝から校門前に飾る予定だったのに。修復に1日かかって、他のクラスの出し物、全然見られなかったんだからぁ」


 そう言いながらも本当に潰されてしまいそうな圭子を助けるために、隆志は慌てて看板の反対側に潜り込んで、片側を支えた。


「ありがと。助かる」


 二人して力を合わせ、汗だくになりながら看板を運んだ。途中から何人かの生徒が加わり、ようやく校門前に運ぶことができた。


「いっせーの!!」


 掛け声と共に、大きな看板が顔を起こし、校門の前に取り付けられる。

 

 完成した特大ポスターを、隆志は初めて真正面から見た。

 理穂子が小学六年生の時に書いたというデザイン。


「すごいでしょ」


 隣でポスターを見上げていた圭子が隆志に話しかけた。


「迫ってくるみたいでしょ」


 隆志は無言で頷いた。

 あの時、この街を去って行く直前、どんな思いでこの絵を描いたのか――


「理穂子に見せたかった」


 キャンプファイヤー開始の校内放送を遠くで聞きながら、圭子は肩を落として呟いた。


「連れてくる」

「え?」

「斎木、連れてくるから」


 隆志はそう言うと、呆気にとられる圭子を置いて駆け出した。

 



 まだ、間に合う――

 



     ※



 智之のアパートに無断で上がりこんだあの夜、結局理穂子はそのまま智之の帰りを待たず『不知火』に帰ってしまった。

 無理に引き止めることも、東京へ返してしまうことも出来ず、結局隆志は理穂子をアカリの元まで送り届けただけだった。

 アカリは暫らくそっとしておいて、その間の理穂子の生活は心配ないと請け負ってくれたが、隆志にはどうにも歯痒い気持ちだけが残った。


すっかり覚えてしまった『不知火』までの道のりを、隆志はひたすらに走った。

 地下の扉に体当たりするように店の中に飛び込むと、開店したばかりの店は相変わらず混雑していた。


「おっと!この前の少年!」


 顔見知りになった客の妨害を器用に避けながら、カウンターに近づく。カウンターの中にはいつものように小粋な着物に身を包んだアカリと、ヘラヘラしながらグラスを磨くマサ、そして、カウンターに突っ伏して眠る理穂子の姿があった。


「あら、隆志君。どうしたの?」


 アカリが隆志に気付いて艶やかな笑顔を見せた。


「走って来たの?駆けつけ一杯」


 そう言って押し出された琥珀色の液体を、以前の経験から学習した隆志は軽く押し返す。


「斎木を連れて行きたいんだ」


 マサが面白そうに身を乗り出す。


「駆け落ちか!?やるじゃねぇか!」


 間髪入れず、草履を履いたアカリの足がマサの脛を蹴り上げる。苦悶の声を上げるマサを無視して、アカリは尋ねた。


「ナナちゃんは一度眠っちゃったらなかなか起きないけど、どうする?」

「背負ってく」


 隆志はそう言うと、理穂子の手を自分の肩に回した。


「ふふ……」

「何?」


 アカリのこぼす笑いに隆志が顔を上げた。


「『らしくない話』の続きを思い出したのよ」


 隆志が怪訝に眉を寄せると、アカリは一層笑みを深くして続けた。


「一人で戻ってきた女鬼のその後……話してなかったわね。彼女が一番『らしくない』ことをしたのよ」


 アカリはカウンターに肩肘をついて、隆志の耳元まで顔を寄せると、そっと囁いた。


「不知火の港町を離れた女は一人、遠く離れた自分の故郷で、漁師の子どもを産んでたの。色んな男を惑わせてきた女が、たった一人の男の子どもをね」


 隆志が困惑した顔で、すぐ傍にあるアカリの目を覗き込む。


「漁師には、まだ幼い妹が一人いたわ。妹は、大人になったら、不可解な死を遂げた兄の仇を討ってやろうって、ずっとその女鬼の行方を捜してた」

「アカリさん……」

「初めて見つけた時、あんたはまだ七つかそこらの、痩せっぽちの気弱そうな子どもだった。でもね……」


 アカリは顔を離して、隆志を真正面から見据えて言った。


「その目は、兄さんの目だった。火の国の、頑固で無骨な男の目。それだけで、高校を出てから上京して、何となくこの街に店を開いて居ついちゃったんだから、私も相当『らしくない』わね」


 隆志はあまりの告白に何と言っていいか分からず、ただアカリの顔をまじまじと見ているだけだった。


「さ、昔話はこのくらい。どこへ連れて行く気か知らないけど、行きなさい。自分が思う通りになさいな。それを『らしくない』なんて、誰も言わないわ」


 隆志はアカリの言葉に頷くと、理穂子を背負って歩き出した。


 


 隆志の背中の緩やかな振動に夢現に身をゆだねていた理穂子は、突然その振動が止まり、夢の世界から引き戻された。



「着いたよ、斎木」


 隆志の声で我に返る理穂子。


「……ここは?」


 そう言った瞬間、理穂子の目に、赤・黄・橙で塗られた、見る者を飲み込まんとするばかりにうねり燃え上がる、大きな炎の絵が飛び込んできた。


「覚えてる?」


 隆志の言葉に小さく頷く。


「……『篝火』よ。私が、描いた……」


 理穂子の瞳から、静かに涙が零れ落ちる。


「夜の漁猟の時に、船が道に迷わないように、魚を見失わないように、焚く火のことだって本で読んだの。私も、道も見失わないような、確かな何かが欲しかった。でも、それも叶わずに、大事なもの全て無くして、自分の居場所さえ分からなくなってたから、いっそその炎で、何もかも焼き尽くしてしまえばいい……そう思いながら、描いたのよ」


「道、見失ってなんかないじゃない」


 隆志がそっと囁く。


「この『篝火』が、斎木をこの街に戻してくれたんだ。智之さんに会いたくて、ここまで来たんだろ?」


 理穂子は小さく頷いた。


「ママの再婚が決まって、もう会えなくなるって思ったの。いてもたってもいられなくなって、東京で知り合ったロクさん――マサさんの知り合いだけど――ロクさんがこの街の出身だって知って、帰るっていう日に無理やり一緒について来たの」

 

 その時、校門の前で佇む二人の姿を、通りかかった萩原圭子と長田さゆりが見つけた。


「理穂子!!」

「……さゆ、圭子……」

「あんた今まで手紙も寄こさないで!!」


 さゆりと圭子は二人して、勢いよく理穂子に抱きついた。


「バカ、バカ!心配させて。何よ、この髪、この格好は!」


 さゆりと圭子は、赤い理穂子の髪と派手な水商売風のワンピースを指して言った。


「ごめん……二人とも、ごめん」


 三人は抱き合いながら、ワンワン涙を流していた。


「行こう、理穂子。みんな喜ぶよ。まだキャンプファイヤー間に合うよ」

「うん」


 さゆりと圭子は理穂子の手を取って促す。理穂子は躊躇いがちに隆志を振り返った。

 隆志は軽く微笑んで、小さく理穂子に向かって手を振った。



 行って来いよ――


 

 いつまでも隆志を振り返りながら、さゆりと圭子に押されてキャンプファイヤーへ向かう理穂子の背中を、隆志は黙って見送っていた。



「お!斎木だ!何で?何で?」


 さゆりと圭子に連れて来られた理穂子の姿を目ざとく見つけた伊藤健吾は、例によってピョンピョン飛び跳ねながら、理穂子の周りをぐるぐる回りだした。


「俺と踊ってよ、踊って!」

「伊藤は引っ込んでなさいよ」


 圭子ともめながらも、健吾は理穂子の元から離れようとしない。他のクラスメートも久しぶりに会う理穂子の周囲を取り囲んで離さなかった。

 

 クラスの男子ほぼ全員分の申し出を快く引き受けてダンスを踊った後、理穂子は不意に名前を呼ばれて振り返った。


「理穂子」


 キャンプファイヤーの輪から外れた暗がりには、隆志と一緒に懐かしい智之の姿があった。


「……パパ」


 目に涙をいっぱいに溜めて、理穂子は智之の腕の中に飛び込んだ。

 仕事先から走って来たのであろう、理穂子が腕を回したシャツの背中は、汗で濡れていた。


「ごめんよ、理穂子。ごめん……会いに来てくれてありがとう」


 智之も泣きながら、力の限り愛娘を抱きしめた。


「踊ってきなよ」


 隆志に促されて、智之と理穂子は手を取り合って炎の輪へと加わった。

 美しい親子二人のダンスを見ながら、隆志は一人離れた暗がりでそっと目を閉じた。

 ほんの少し物悲しさを感じさせる音楽に合わせて、炎が薪を弾く音が聞こえてくる。



『さて、今夜のキャンプファイヤー、最後の曲となりました……』



 アナウンスの声が校庭中に響き渡る。

 皆、最後のダンスは特別な相手と……と、にわかに活気付くのが分かる。

 隆志はそっと、暗がりでもたれかかってきた木から背中を離し、帰路に着こうと踵を返した。


「隆志君」


 その時、呼ばれて振り返ると、智之が立っていた。


「ウチの娘が、君にラストダンスを申し込みたいそうだよ」


 智之がいつものふわりとした笑みを浮かべる。


「受けてくれないかな?女の子の方から、勇気を出したんだよ」


 見ると、炎の輪から少し外れたところで、理穂子が恥ずかしそうにこちらを見ている。


「さあ、行って」


 智之の笑顔に見送られながら、隆志はぎこちなく理穂子の元へ行った。



『はい、パートナーが決まったら手をとって。音楽スタート!』



 隆志の緊張などお構いなしに音楽は鳴り出し、ラスタダンスが始まった。

 隆志は不器用に理穂子の手をとり、炎を囲んだ輪の中で静かに踊りだした。


「……あ……えーっと、その……」


 しどろもどろしている隆志に、理穂子もうつむいて何もしゃべらない。


「もう、チビ!足踏まないでよ。何でこんなに下手クソなのよ、バカ!最後の相手があんたなんて、冗談じゃないわ」

「お前がデカイだけだよ、男女!俺だって、斎木と踊りたかったんだよ。何でお前なんか!」


 隣で騒がしく踊る健吾と圭子のやりとりが聞こえてきて、隆志と理穂子は思わず顔を見合わせてクスッと笑った。


「……島貫君」


 理穂子が小さい声で呟いた。


「……ありがとう」


 小学生の時は、同じくらいの背の高さだったが、今は高い位置から理穂子を見下ろしている。

 胸の開いたワンピースの襟元は、キャンプファイヤーの炎に照らされ、膨らみかけた胸を淡く彩っていた。

 隆志はドギマギしながら視線を逸らし、ただそっけなく頷いた。




     ※




 少しづつ大人へ近づき、道も別れて行く僕ら。

 ただ、君が「もう必要ない」と言うまで、

 君の行く道を照らす「篝火」になれるのならば、


 僕は喜んで、自分の身を燃やすこともいとわない。

 君と踊った奇跡のようなラストダンスの中で、僕はそう願ったんだ……










~第4話「篝火」<完>~

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