君の隣に居るために、今日も平気で嘘をつく
とある港町の酒場。
夜の喧騒に包まれ、酒と笑い声とケンカと告白と土下座が渦巻いている。
酔っぱらいの歌が響けば、皿が飛び、誰かが床に沈んでいく。
まさに、“酒場”。
そんな場の片隅に、明らかに空気の違う二人がいた。
ひとりは、見るからに美形な青年。リオンである。
整った顔立ち、サラサラな金髪、鍛えられた体つき。
立ってるだけで出会った女全てに惚れられそうなビジュアルだというのに…
その雰囲気は、驚くほどに暗い。
一方、その隣には同年代の女性がいた。
無言でグラスをくるくると回しながら、目元には薄くクマを宿している。
彼女の名はミーシャ。おそらく彼女は、“慣れている”。
2人はしばらく酒を飲んだ後、リオンが重いため息を吐いた。
「ミーシャ……まただよ……」
心地よい低音がカッコ悪い泣き言を放つ。
隣に座る女性…ミーシャは、もはや条件反射で返す。
「またフラれたの?」
「そう……そうなんだよ……!俺の、どこがいけなかったんだろうな……!」
リオンはグラスを手に、うなだれる。
その美形の顔に涙が滲んだ瞬間、近くのテーブルからひそひそと声が漏れる。
凄いよな、イケメンは泣くだけで人を惹きつけるんだから。
ミーシャはグラスをくるくる回しながら、いつもの質問を投げかけた。
「で、なんでフラれたの?」
リオンはふと遠くを見て、悲劇の主人公みたいなトーンで呟いた。
「……思ってたのと違ったって……」
リオンは椅子にもたれて、天井を見つめながら語りだす。
「……この前さ、夜の街を彼女と歩いてたら、なんか“カサッ”て音がして…… まぁ道の奥に猫が居ただけだったんだけど、気づいたら、俺……」
ミーシャが言い終わる前に言った。
「彼女を盾にしてた?」
「そう、それ! なにそれどっかで俺のこと見てた?それかエスパー?」
「彼女を猫の盾にしたのこれで三回目よ」
「……マジか。俺そんなに盾にしてる…?いやでもさ!?その後ちゃんと謝ったのよ!?土下座する勢いで!!」
「実際した?」
「視線は床に向けてた!!」
「それ“うつむいてた”だけね」
リオンはしょんぼりとグラスを見つめた。
「それが……最後の夜になったんだ……」
ミーシャは眉ひとつ動かさずに聞いた。
「で、今回は……交際何日目?」
「3日前に付き合って……で、さっき振られた」
「秒速で破局じゃない」
リオンは手元のグラスを見つめながら、呟いた。
「俺さ、思うんだ……なんで俺の中の“カッコよさ”は、外見までで止まったんだろうな……」
「中身がスカスカなのよ」
「んなこと言うなよミーシャ、俺の何がいけなかったんだよ〜…」
そんな甘い声の泣き言とともに、リオンがミーシャに思いっきりしがみつく。
それはもう、ハグというより抱き枕にすがるようで、周囲の視線もちらほらと集まってきていた。
あまり心地良くはなく、妬みに似た感情の様なものがヒシヒシと伝わってきた。
だから、ぐっぐっ、と身体を押し返した。
「なんでだよ、俺は友達だろ?」
「そうだけど…」
ミーシャはそう言うと、もはや表情筋ひとつ動かさずにうんざりした目をリオンに向けた。むしろ、感情が死んでいた。
初めてされた時は、身体中に伝わる暖かさと、鼻をくすぐる心地よい香りに心臓が飛び出るほどバクバクしていたが、今では平常心で受け止められた。
そしていつも通りに慰めるために背中をさすろうとして、腕をまわしかけていたが…
ふと、視界の隅で動くものに気づくと
「……ちょっと、トイレ行ってくる」
「えっなんで、行かないで……!」
ミーシャはリオンを力一杯椅子に押し返し、立ち上がる。
リオンは切れ長の目にいっぱいの涙を溜めてしがみついてきたが、そんなことは関係ない。
さっと引き剥がすと、足取りは静かだが、内心では全力ダッシュでこの場から逃げ出した。
…そして、すぐにそれは起きた。
リオンの隣に、すらりとした美女が現れたのだ。
長い黒髪に、大きく開かれた綺麗な瞳。モデルのようなスタイル。ワンピースが揺れて、光の中に立っているようにさえ見える。
そんな彼女が、リオンに微笑みながら声をかけた。
「……あの、泣いてたけど、大丈夫?」
一瞬で、リオンの涙腺が閉じた。
いや、乾いた。
「えっ、あっ、いや……その、ちょっと酔ってただけで……!」
さっきまで号泣していた男が、今は照れくさそうに頬をかいて笑っていた。先ほどまで元カノの未練にしがみついていたのが嘘の様である。
実はこれは初めてでは無い。
リオンに目をつけた女は、ミーシャが居なくなるとここぞとばかりに近づいていくのだ。
ミーシャはしばらくその2人を見つめていたが、
ふと、綺麗な女性と目が合った。
その大きな目が上から下までミーシャの姿を確認すると…
勝ち誇ったような笑みを浮かべられる。
“あなたには、ムリよ”
そう言われた気がした。
ミーシャは無言でため息をひとつ吐くと、踵を返してその場を去った。
少しだけ、酒場の喧騒が遠く聞こえた。
ミーシャは1人、夜道をさまよっていた。
先ほどまで無表情だったのはいっぺんし、目からはボロボロと涙をこぼしている。
ミーシャはリオンのことがずっと好きだった。
2人が初めて出会った、まだ小さな頃から、成長した今日のいままで、ずっと好きだった。
そして、ずっと失恋の連続だった。
どんなに失恋を重ねても、初めてのあの日のことは忘れられない。
「ミーシャ、ミーシャ!
僕好きな子が出来たんだ!」
内緒話があるからと連れられた、当時の2人の秘密基地で、丸くふくよかな頬を赤く染め、照れ臭そうにつげるリオンを目の前に、
「…す、好きな子?」
彼にプレゼントしようとして必死に選んだ花の指輪を隠したミーシャがいた。
おもえばそれは、彼の初恋だったのかもしれない。
教えられたその子の特徴を聞いてみれば、ミーシャとは正反対。
くすむ様な焦茶の髪をしていること以外に、強いてあげられる様な特徴がないミーシャにとって、とても叶う様な相手では無かった。
リオンとその子。2人が並べばまるで絵画の様で、美しく思えたのをよく覚えている。
そんな事を思い出している彼女に、
「僕、その子に告白しようと思うんだ…応援してくれる?」
弾む様な、それでいて不安のこもった声で、リオンは可愛らしく残忍な言葉を告げた。
その言葉を発した時のリオンの表情は、不安が滲んではいたがとても輝いていて、自分では引き出したことが無く
あぁ、私じゃ駄目なんだな
そう思わせるには十分だった。
そして、その願いを拒めば自分は側にいることは出来ないのだと、理解するのは簡単だった。
「えぇ、ええ。もちろんよ…」
唇を噛み締めながらも、なんとか言葉を口にする。
その言葉に、リオンはパッと晴れる様な笑顔を浮かべて、
「ありがとう、ミーシャ!僕達は…ずっと友達だもんね!」
それは、呪いの言葉だった。
それから彼は、その子に思い切って告白して
見事に実らせることに成功した。
当然リオンは嬉しそうにしてミーシャに報告しにきて、そして、
ミーシャの前に現れることが無くなった。
いや、近づこうとしたら、その子が嫌がったから来なかった。
当然である。付き合ってる男が他の女の子と一緒にいるなんて、誰でも嫌なことだ。
だから、実ることが出来なかったこの気持ちに蓋をして…。
だが、完全に蓋が閉じる前に、リオンは戻ってきた。
突然ミーシャの手を引いて。駆け出した。
そしてあの日の秘密基地へと振り返らずに走り続けていって。
「…ミーシャ、ミーシャ。僕、あの子に嫌われちゃった」
そして止まると、あの時の嬉しそうな顔は嘘の様に消えて、ボロボロとその宝石の様な瞳から雫が溢れ出ていた。
「僕、僕…あの子の好きになれなかったみたい。
僕のこと、違うって…
だから、もう嫌なんだって…」
そう言うと、彼は何も話さなくなりうずくまってしまった。なんて声をかけたら良いのか分からなかった。
…けど
そんな彼をみて、嬉しく思ってしまった自分がいた。
そしてそんな自分が酷く醜い存在だと、知った。
だから、私は
「…だいじょうぶ、そう、大丈夫よ。リオン。
私はずっと側にいるわ。だって。」
リオンの小さく縮こまった背中に手を当てて
「だって私たちは、ずっと友達だもの」
唇を噛み締めながら、あなたの呪いを口にした。
それから彼は、何度も何度も、恋をした。
好きになる子は決まって当然、彼の隣にピッタリな可愛い女の子だった。
だけど彼の中を知るたびに、何度も何度も失恋をしていた。
そしてその度に、私は彼の側にいた。
彼は、もし私からこの気持ちを伝えたら
どう思うのだろうか…
でも、分かることはただ一つ。
きっと私は今までの彼女達のように、彼の側には居られなくなるのだろう。
「ねーね。おにいさん。
どうして泣いてたの?」
自分の隣には何故か、知らない女がミーシャの席を奪ってそのまま居座っていた。
本来ならば、このまま背中をさすってもらって、もっと一緒にいることが出来たのに。
なんとも邪魔なタイミングで出てくる奴である。
出てくるならもっと後…
そう、ミーシャと解散しないといけない時とかに。
先ほどまで情けなく泣いていた美しい青年。
リオンは甘いマスクに笑顔を浮かべながらも、冷たい感情で女を見つめていた。
ずっと、彼は別に恋を繰り返していた訳では無かった。
ずっと失恋したフリを繰り返していただけだった。
だってそうすれば、傷ついた自分を慰めようと、彼女が側に居てくれるから。それ以外に理由なんてない。
そのために自分は、好きでも何でも無い女と会話をミーシャの目の前でしてるのだから。
思えばこれは、ずっと前…あの小さな恋から始まっていた気がする。
“あの子が好きかも”と信じ込んだあの日から、ずっと、失恋を演じて甘えていたのかもしれない。
思い出してみれば、当時周りから「あの2人はとてもお似合いだ」という言葉を間に受けて、自分から告白しにいったのだ。
自分の中では、今では笑い話になっている。
それにしても、みんな外だ中だとうるさい連中だ。
求める事と少しでも違えば騒がしく文句を言ってくる。
まるで理想と離れることは許さないとばかりに。
そんな事を考え、彼は幼馴染の顔を思い浮かべる。
自分を優しく見守ってくれる緑の瞳。
太陽の光を浴びて健康的に焼けた肌。
本人は気にしているが、落ち着いた髪色は自分の心を惹きつけて穏やかにしてくれるし、
自分に呆れた様な表情を浮かべても、ずっと側に居てくれたところが好きだった。
ミーシャは外も中も関係ない。どんな自分でも受け止めてくれる。
だからずっと試す様に、わざと頼りなく情け無い男を演じて、自分の側から彼女が離れない事を確かめていた。
案の定、ミーシャは絶対に離れなかった。
それを見ては安心し、心が満たされていく感覚がした。
そんな自分の思惑に気づかずに、ずっと側に居てくれる彼女を思い出すだけで、荒んだ心は落ち着いていった。
…彼女が居ない酒場に用はない。
代金をその場に置き、酒場のドアが軋む音を残して、リオンは外へ出た。
夜風は酔いの残る体を少し冷やしてくれて、
街の喧騒が遠くなると、代わりにヒールの音が近づいてきた。
「ねぇ、ねぇ、待ってよ。もうちょっとだけ話そ?」
先ほどの女だ。ミーシャの席にずっと居座っていた女。
細い指先で、リオンの腕を軽く引き寄せようとする。
リオンは振り返りもせず、静かにその手を振りほどいた。
「悪いけど、いまはもう君に用は無いんだよね」
ミーシャがいないのなら、こんな女とくっつく必要はない。後もう少しでミーシャに撫でてもらえたのに。
使えない女だ。
…あぁ、でも一つ言えるこの女のいいところは、
しっかりミーシャの視界にある場面で近づいてきた事ぐらいだろうか。
これでまた、失恋が出来る。
次はどんな理由にしようか。
ミーシャによれば、猫の話はもう三回使ってる様だ。
もっと話を丁寧に考えた方が良いかもしれない。
あぁ、きっと彼女は呆れながらも、自分の話をきっと聞いてくれるだろう。そしてまた、背中をさすってもらうのだ。
想像するだけで自然に頬は上がっていく。
そんな事を考えながら、呆然とした顔で自分を見つめる女の事など無かったように、
リオンは酒場から去っていった。
酒場の夜は、今日もざわめいていた。
笑い声とグラスの音が交差し、どこかに失恋の痛みを紛れ込ませるにはちょうどいい、そんな空間。
その片隅、カウンターの席でリオンとミーシャは並んで座っていた。
「で?また振られたの?」
ミーシャはグラスの縁を指先でなぞりながら、無関心を装うような声で言う。
リオンは苦笑を浮かべて、少し目を伏せた。
「うん。“あなたって、カッコよくないのね“って、そう言われた」
そう告げる声には、悲しみと少しの疲れが混じっているようにも聞こえる。
──ああ、本当に落ち込んでいるんだ。
ミーシャはそう思った。
そう思って、胸がきゅっと締めつけられる。
けれど、それは悲しさだけじゃない。
──うれしかったのだ。
また彼は、戻ってきた。
彼の“特別な誰か”にはなれなかったけれど、彼の帰ってくる場所にはなれた。
ミーシャはため息をつくように、グラスの中の琥珀色を見つめたまま言った。
「…… 私達は友達だもの。私はずっと側にいるわ」
唇を噛み締めながら、そう呟いた。
言ってから、胸の奥がひどく痛んだ。
それは、彼がこのまま失恋を繰り返してしまえば良いのにって…そんな思いから出てきた言葉だった。
なんて酷いことを考えてるんだろう。
誰かを好きになって、誰かに傷つけられて…
それを慰めてあげる、それがうれしいなんて──
そんな自分、最低だ。
それでも口には出せなかった。
リオンの肩が自分に寄りかかるその温もりに、何も言えなくなってしまった。
「…ミーシャ。慰めてよ。今日はさすがに立ち直れそうにないんだ。」
彼が甘えるようにそう言うと、ミーシャはふっと笑って、そっと彼の頭に手を置いた。
「はいはい、いつも通り情けないね、あんた。」
「……ごめん。」
その声はいつもより少しだけ、明るく聞こえた。
リオンは、まるで“本当に救われた”みたいに、微かに笑っていた。
こんな繰り返しの中で、傷つくたびに安心してしまう自分がいることを、ミーシャはちゃんと分かっていた。
どんなに醜いと思っても、
どれだけ呆れても、
やっぱり、彼がここにいてくれることが嬉しかった。
グラスの中の氷が音を立てる。
ミーシャは、リオンを肩に体を預けさせたまま、目を閉じた。
ミーシャの手が、ゆっくりと髪を撫でる。
その指先は、昔から変わらず優しくて、温かくて…
だから、余計に酷くなっていく。
リオンは、目を閉じながらそっと笑った。
ほんとうに……俺はどうしようもない人間だ。
誰かを好きになった“ふり”をして、そしてフラれた“ふり”をして。
悲劇の主役を演じて、彼女の前に現れる。
…それで、慰めてもらう。
彼女の手が、背中に触れてくれるだけで、心が満たされる。
本当に求めていたのは、変な女との恋なんかじゃなかったんだ。
ただ、ずっと──この手が、君が欲しかっただけ。
けれど…
ねえ、ミーシャ。俺が君を好きだって言っても、ずっと側にいてくれるのかな?
心の中で問いかける。
声に出すことはできない。そんな資格、まだない。
だって
君を愛すには、誠実さが足りない。
でもきっと。そんな僕を君は許してくれるはずだ。
だって分かるよ。ずっと一緒にいたんだから。
「……ごめん。」
そう言って、唇を噛み締める彼女を愉快そうに見つめて、ほくそ笑んでいた。
ミーシャは嘘をつく時、唇を噛み締める癖があります。
それはどんな時に出てきましたかね。