09
「わたくしのスイッチは靴かしら」
かかとが高いほどお嬢様モードになれる。前世ではスニーカーばかり履いていたから、どうにもハイヒールなど、デザイン性重視の靴は特別感があって、身が引き締まるような気がするのだ。かかとの高い靴は、それだけで集中しないと、転びそうだし。
代わりに、靴を脱いだときのわたしは、前世とほとんど変わらない。貴族令嬢のかけらもない姿になる。
……まあ、誰も見ていないときとか、咄嗟の判断では、たまにお嬢様という皮がはがれてしまう時があるわけだけど。
わたしの話を興味深そうに聞いていたオクトール様が、眼鏡のふちをまた撫でた。
「……君は、ずっと『ちゃんとしろ』とは言わないのか?」
「必要なときにちゃんとできていれば十分ではなくて?」
ずっと気を張っていると疲れるし、なにより自分にできないことを他人に強要するのはどうかと思う。言い返されたらこっちが困る。
「わたくしのときも、別にちゃんと話そうとしなくていいですわよ。会話が成立しないのは困りますけど」
わたしの言葉に、オクトール様は、ちょっと視線を泳がせて、迷った素振りを見せた後に、「……もう少し、眼鏡はいる」と言ったのだった。
まあ、無理に取り上げるつもりもないし。眼鏡一本で気の持ちようが変わるのなら、好きにしたらいいと思う。
とはいえ、結婚したら長い時間一緒にいるわけだから、眼鏡がなくても会話が成立するくらいにはなっておいた方が、オクトール様自身が楽だと思うけど。
「そう言えば、前回は眼鏡してませんでしたわね」
一度目、部屋から顔を出したときならまだしも、身支度を整えてからやってきた二回目のときは眼鏡をつけていてもおかしくないだろうに。
わたしの言葉に、オクトール様は気まずそうに眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……倒れたとき、ポケットに眼鏡を入れていたから割ったんだ」
「あらまあ。お怪我は? ……割ったのはわたくしが原因かしら。一本新しいものを贈った方がよろしくて?」
勝手に倒れたのはそっちだが、わたしの顔を見て卒倒したのだから、まあ、こちら側に全く原因がないわけじゃない。……落ち度があったか、というと微妙なところだけれど。
「結構だ。もう新しいのあるからな。……それより、次。好きな食べ物は?」
「……ステーキ」
お嬢様らしく、クッキーとかケーキとか、可愛い食べ物を言おうかと思ったけど、好物を嘘ついたってすぐにバレる。
本当は、アインアルド王子にも好物を聞かれたとき、素直にステーキと答えて、「女なのに?」と鼻で笑われたので、言おうか迷ったけれど。




