#11 ジェヴォーダンの獣(前編)
十八世紀、フランス、ジェヴォーダン地方に怪物が現れた。
大きな口と尖った歯を持ち、狼のような外観であったが、ただ、その大きさが桁違いで、牛ほどの大きさがあった。しかも、全身、燃えるような真っ赤な体毛で覆われていたと言う。
この巨大な獣に最初に出会ったのは、アベルという村の若い女性だった。牛の群れる草原に来たアベルは木の上からゆっくりと降りて来る巨大な狼のような生物を発見した。
身の危険を感じたアベルは、咄嗟に牛の群れに身を隠した。
巨大な狼は牛の群れをじっと眺めていた。
アベルは狼と目が合ったような気がして、ドキリとした。だが、狼はぷいと横を向くと、牛の群れから離れ、森へと走り去った。
アベルは無事だった。
だが、犠牲者が出た。一か月後、村の少女が行方不明となり、体を食い散らかされた遺体が発見された。
狼は「ジェヴォーダンの獣」と呼ばれ、村人より恐れられた。
少女の死を皮切りに、次々と村人が襲われた。牛飼いの少年、山菜取りに来た母子、木こりなど、行方が分からなくなる者が続出し、やがて、食い荒らされた彼らの遺体が見つかった。ジェヴォーダンの獣は家畜には興味を示さず、人間、特に女子供を好んだ。
村人はパニックに陥った。
村人は警戒したが、深夜に厳重に戸締りをした家を襲われるなどして、被害者は日に日に増えて行った。犠牲者の数は88人に達した。
ついには、ジェヴォーダンの獣の討伐隊が組織されることになり、噂を聞き及んだフランス王、ルイ十五世は王家直属の近衛部隊を派遣し、銃や槍といった武器を支給した。
「俺は嫌だ。面倒くさい」と討伐隊への参加を拒んでいた村の若者、ヴァンサンは、幼馴染のユーゴに「王様の命令だ。叛けば罰が下るぞ」と脅され、嫌々、参加することになった。
ヴァンサンは村の鍛冶屋で働く、気の良い若者だ。赤毛で体は大きいが、性格は至って温厚だった。
「大体、最初に襲われたのがアベルだぞ。お前に断る権利なんてない」とユーゴは言う。
アベルは村のパン屋の娘で、ヴァンサンの彼女だ。将来を約束し合った仲だった。
「だが、討伐で命を落としたらどうする?」
「その時は、俺がアベルの面倒を見てやるさ」と言ってユーゴが舌を出して逃げる。
「こいつ!」
ヴァンサンがユーゴを追いようとすうと、「そこの民兵! 隊列を乱すな」と王の親兵に怒鳴られてしまった。
討伐隊は森をさまよったが、ジェヴォーダンの獣は現れなかった。狼を三匹、仕留めたが、どう見ても普通の狼だった。
くたくたになって村に戻った。
「また明日な」とユーゴは疲れた顔で家に戻って行った。
その夜、ジェヴォーダンの獣が村に現れ、兵士の宿舎を襲った。寝込みを襲われ、兵士は逃げ惑ったが、隊長に叱咤激励され、なんとか体勢を立て直すと、ジェヴォーダンの獣を追い払うことに成功した。
数名の負傷者と死者が一名出た。
翌日も狩りが行われた。
討伐隊の民兵は昨夜のことを噂した。「聞いたか? ジェヴォーダンの獣が兵隊さんの宿舎に現れたそうだ」、「俺も聞いた。兵隊さん、戦いもせずに逃げ惑っていたらしい」、「隊長に『逃げるやつは斬る!』と言われて、やっと反撃したらしいぜ。くっく」
ユーゴがヴァンサンに近寄って来て言った。「兵隊と一緒に行動しても無駄なようだ。ジェヴォーダンの獣、やつは賢い。俺たちの動きを監視していて、隙を突いて襲って来やがる」
「だから、討伐など止めて、家に帰ろう」
「止めてどうする。村人が襲われるのを黙って見ているのか? お前、アベルが襲われても平気なのか?」
「いや、そんなことないけど・・・」
「リュカとも話したが」と言って言葉を切ると、ユーゴは「変人の森に行ってみないか?」とヴァンサンに尋ねた。
「変人の森・・・」ヴァンサンが顔をしかめる。
「お前の気持ちは分かるけど・・・」
ヴァンサンとユーゴ、それにナタン、リュカ、テオの五人一組でチームを組んでいる。ひとつのチームに銃が一丁と槍が四本、支給されている。一番の元気者のユーゴが「俺はこれだ」と銃を持ち、後の四人は槍を持った。
討伐隊の本隊と一緒に行動していても、ジェヴォーダンの獣は現れない。そこで、ヴァンサンたちだけで変人の森を探索しようと言うのだ。
変人の森には、夜になると怪物が現れるという伝説が村にあった。
だが、変人の森と呼ばれているのには訳がある。
「あそこにはジャン叔父がいる」とヴァンサンが言う。
そうヴァンサンの叔父、ジャンが住んでいるのだ。奇矯な男で、村の誰とも付き合わず、森に一人で住んでいた。森から出て来ることなど、ほとんどない。反対に村人が森に近づくと、矢を射かけて追い返そうとする。
ジャンが変人なので、村のものは、みな、あの辺りを変人の森と呼ぶのだ。
「ジェヴォーダンの獣が身を隠すには絶好の場所だ」とユーゴは言う。その通りだろう。
渋るヴァンサンを引きずるようにして、一行は変人の森を目指した。