務め
特に会話も続く事もなく、アリシアが黙るとレクスは再び枝毛探しを始めた。
そんな、ナルシストの様子を見て、蔑ろにされた少女は目の前にあった窓を無言で開けた。
パかパカという蹄鉄の音と、カラカラと回る車輪と音が大きく聞こえ、外からは、爽やかな風が吹き込む。
そして、自分の髪の毛ばかりいじっている、少年が肘かけている方の窓も、許可を取る事も無く無言で開ける。
外からそよぐ髪は、絶妙な風圧で、金色の髪を巻き上げ自意識過剰男の無意味な作業の邪魔をした。
怪訝な顔を浮かべる、レクスその顔を見ると、アリシアは柔らかに微笑んだ。
木々の隙間を縫って吹き込む空気からは緑の匂いがした。
視界に見えるのは、何処までも続く樹木の列。
未だ人が住む民家などは見えてはこない。
田舎の村で育ったアリシアにとって、その光景は真新しいものではなかった。
生えている樹木も見慣れたものだ。
例え、似たような光景であって旅先の風景とは、普段とは一風変わったものに見えるものだ。
「ここは……もうレクスさんの家のものなんですか?」
アリシアは思わず問いかける。
「俺の家のものだろう……多分な……」
曖昧に答えるレクス。
「多分って……」
「俺も一体どこまで家の領地のなのか正確には知らんからな……」
「レクスさんて……もしかして、とんでもなくお金持ちだったりしますか」
「家もそうだが……俺自身が金持ちだ……城も持っている」
レクスは勝手に占領しているとは言わずに答える。
「お城ですか……?」
アリシアはたじろぐ。
彼女の家も、村では、十分に裕福な家庭だったと思う。
お嬢様のような扱いをされていたわけではないが、彼女の家に引け目を感じる村人は多いだろう。
しかし、目の前の少年の家は、国内有数の大貴族。
格の違いを教えられた気がした。
「ああ。少し古いが……俺は家より気に入ってるぞ」
「そうですか……」
アリシアは少し力なく答える。
(この人は……やっぱり凄い人なんですね……)
あの決闘でも、上位魔術を使用するまでになったローランに、少しの驚きを覚えたが、それは、あの落雷の音と、振動によるもの以上のものは無かった。
アリシアが目を剥いたのは、この無意味に風にその髪なびかせながら、しきりに後部に撫でつけ、何やら視線で訴えかけている金髪の少年の魔術だった。
彼は、詠唱の一つもする事も無しに、あれだけの炎槍を展開していた。
無駄な魔力の浪費も無いとても美しい魔術だった。
(魔術だけじゃなくて……)
そして、剣技のみで、ローランの猛攻を防ぎ、最後に見せたあの一太刀がとてつもない魔術現象を伴うことはアリシアにも理解できた。
それだけではない、彼の家は莫大な財力を持つようだ。
住む世界が違う。
アリシアはそんなことを思った。
「……城もなかなか大所帯になってきたがな……今度連れて行こう」
「でも、本当に私なんかがついて来てよかったんでしょうか?」
自信なさげにアリシアは問いかける。
「……今更後悔しているのか?」
「いえ、そういうわけでは……唯……」
「なんだ?」
「私にできる事なんてあるのかなって……」
そんな彼女の言葉を聞いたレクスは、御者の方をチラリと見て小声で言う。
「……大きな声では言えんがアリシアには任せたい重要な事がある……」
「……それは……なんでしょう……か?」
アリシアは思わず耳を傾ける。
思いつく事は一つしかなかった。
格別の待遇の代償、それはおそらく。
「お前にしかできないことだ……」
「私にしか……?」
真剣な瞳で見つめられた事に、アリシアの鼓動は嫌に早まった。
そして、ひそひそと話すその声は、嫌でも彼女の聴覚を敏感にさせた。
「……当たり前だろう……他の誰にもきっと無理な事だ。何故この俺自らあんな辺鄙な村まで出向いたと思っている……」
「辺鄙な村……ですか」
思わず俯くアリシア。
心の奥底では、あの村に悪い感情を持った事も、悪口を言ったこともある。
しかし、実際、他人にあの村の事を悪く言われる事には思うところがある。
だが、彼女が思わず俯いてしまった原因は、その首筋と、頬に現れていた。
(それって……)
まさか、直接「俺の子供を産んで欲しい」とまでは言わないだろうが。
この空気の読めない彼はそんな事を直接言ってきそうな気もした。
男性にそんな事を言われる事は、聊か品が無さすぎるのではないだろうかと、アリシアは思う。
しかし、直接、彼から言われたら、どうなってしまうのだろうか。
断り切れないのではないか。
「早速だが、今夜から始めたい……」
レクスは小声で囁く。
「こ、今夜からですか……?」
「ああ……駄目か?」
「い、いえ……、私にも色々と覚悟が……」
「覚悟が必要な事か」
「当たり前じゃないですか……、そりゃ……私もお話を聞いた時に色々考えてしまってはいましたが……」
俯いたまま答えるアリシア。
今は、顔を上げられない気がした。
「だが、安心しろ、今日は触りだけだ……」
「触りだけ……?」
「ああ、いきなり、本格的な事は出来ないだろう……」
「段階を踏むって事ですか……」
「アリシアが、色々と、慣れるまで待つさ」
「……そ、そうですか……でも……」
煮え切らな様子のアリシア。
「別にそんなに急ぐわけではないが……大事な事だ……未来に備えなければならん」
力説するレクス。
その言葉には、アリシアはあの時自分を襲っていた、あの盗賊の男のような欲望を滲ませるものは微塵も感じなかった。
「……やっぱりレクスさんみたいな人には大事な事なんですよね」
アリシアが顔を上げると、そこには真剣な顔つきの少年がいた。
その表情には、やはり、一切のいやらしさのようなものは感じなかった。
何か使命に燃えている表情。
「ああ、俺のような男にとって大切な事だ……」
レクスはキメ顔でそう言った。
その顔を見たアリシアは不思議な胸の高鳴りを感じた。
恐らく、彼のような貴族にとって世継ぎを残すことは大事な務めなのだろう。
体中に嫌な熱を感じていたアリシアは少しだけ自分を恥じた。
「わかりました……、そ、そういう事なら……私も……」
と言葉を続けようとした時。
「そうか、ではまずは……俺が手に入れた魔道具の解析と……後は……」
と言った目の前の少年の言葉に、
「……え……魔道具?」
アリシアは自分の耳を疑うかのようにそう言った。