悪役転生
――血の味がする。
腹部から、足に流れ落ちる生暖かい液体の感覚と、口の中に鉄の味を感じていた。
その直前には複数の破裂音。
――俺は撃たれたのか……?
男は状況をそう理解した。
少しずつ遠くなっていく意識の中で振り返と、そこには、仲間だと信じていた女が少し震える手で銃口を向けていた。
「ごほッ……ッ!」
むせびあがってくる血の塊に思わず咳き込む。
脳を混乱が支配し少し遅れて感じる凄まじい痛みの感覚を感じた。
思わず自分の腹を触る。
手に付着する真っ赤な液体。やまない耳鳴り。視界は明滅していた。
「ごめんなさい……でも……、あなたが……。あなたが悪いのよ……守が……――だからッ!」
最後までは聞き取れない、絞り出すような、歓喜のような、懺悔の声を聞きながらフラフラと力を失う男の体を、女が支えた。
――俺は死ぬのか?
体が熱を失っていくのを感じた。
寒気を感じながら何処かに落ちていくように、意識は暗闇の中に引きずり込まれていくのを感じる。
不思議と恐怖は感じなかった。
常、日ごろから死というものは身近に感じていた。
安定な職業についたことなどない。
男は犯罪者だった。
――そうか、俺は死ぬのか。
心残りはある。
やり残した事もある。
しかし、自然と死を受けいれられた。
全ての感覚が薄れていき、終わりの足音が近づいているのを確かに感じた。
「あ……。ああああああああああああああッ!」
なぜか、聞こえる悲嘆な叫び声。
ぽたぽたと顔を伝う腹部から流れる液体とは違う液体。
それは自らの瞳から流れ落ちたものなのか。
それとも叫び声を上げる別の誰かが流したものなのか。
男には分からなかった。
少しづつ、意識は深く落ちて行き――命の炎が消え去っていく。
かすかに見えた女の表情は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。
「……私も後から、いくわ………」
消え去っていく意識の中で、最後に何かが破裂するような、音を聞いた気がした。
そこは深夜の訓練場。
レクス・サセックスは当たり散らすように剣を振りまわしていた。
彼はこのエルロード王国における、有数の貴族サセックス家の嫡男として生まれ、ちやほやと甘やかされて育ってきた。
他の追随を許さない程に秀でた才能。
数多の女性を虜にしてしまいそうな整った容姿。
全てを与えられた様な少年。
だが、それ故に、彼は、自分の思い通りに行かない事に対する、免疫も忍耐も持ち合わせてはいなかった。
「あの女ッ! この俺に恥を——ッ! この俺が……ッ! あんな無様に……」
彼は今日の昼間、その場所で大敗を喫した。
剣で負け、魔術で負け、卑怯な手段を用いてもその顔に土をつけることさえ叶わなかった。
敗北を碌に知らないが故のその感情。
当たり散らすように剣を振り回わすことでしか、発散する術を知らなかった。
頭に血が上り、レクスは地団駄を踏み始めた。
ドン——ドン——という地鳴りが鳴り響く。
だが、突然——。
「うッ!?」
思わずその頭に手を当てた。
体を貫くような強い衝撃。
それは、強い頭痛を伴う目眩の様な感覚。
(なんだ? この感覚は……ッ!)
15年間の人生の中で初めて感じた衝撃。
頭の中で何かが爆発する様な感覚。
膨大な情報の奔流が巻き起こる。
何故かとても懐かしく——ずっと忘れていた事を思い出している感覚にも似ていた。
(これは、き、記憶? 記憶だというのか……ッ!?)
頭の中で処理しきれない程の映像や音声。
知識、経験を強引に流し込まれている感覚。
「き、消えていく……お、俺が消えていく……ッ!? ああああああぁぁぁぁッ!」
悲鳴を上げるレクス。
自分という存在が、別の何かに塗りつぶされていくような気がした。
倒れ込み、地面の土を握りしめ、瞳から涙が溢れ、意識は徐々に薄れていく。
「俺はッ! 俺がぁうぅぅぅぅ……。 俺は……まだ……、まだぁ……—」
消えたくない。
そんな言葉にならない呟きを最後に遂に、意識は途絶えた。
――ここは?
途切れた意識の隙間から引きづり上げられると、運動場のような場所にいた。
そこは見知らぬはずの、しかし同時に見知った場所だった。
口の中は先程まで感じていた鉄の味とは違う、泥の味がした。
「うぅ……」
どうやら、地面に倒れていたようだ。
地面から体を起こすが、割れるように頭が痛かった。
「……俺に何が?」
自己同一性を失ったような感覚。
まるで、自分が別の誰かと混ざり合ったような感覚。
「俺は……泣いていたのか?」
頬を伝う涙の跡を指先でなぞると、悲しかった感覚が残っていた。
最初に倒れていた場所からそう離れていない場所に豪華な屋敷が建っているのを見つけた。
いくつかの窓からは灯りが漏れていたが、多くの部屋の灯りは消えていた。
屋敷に入ると、そこには高い天井。
廊下には敷き詰められた真っ赤な絨毯に、台座に乗せられた数々な美術品が展示してあった。
それらに気を留める事もなく、その足は迷わずある部屋の一室へと向かう。
「……ここ……俺の部屋だ」
ドアを開けると、その部屋は子供一人に割り当てるには広すぎる室内にアンティーク調の家具が配置してあった。
自分で、めちゃくちゃにした筈の部屋は綺麗に清掃されていた。
「片付けておいたのか……良い仕事だミリアムよ」
それを行ったであろう少女の名を自然と呼ぶ。
そして、その足は吸い寄せられるように鏡に向かう。
自分で叩き割った筈の姿見は新しいものに取り替えてあった。
「そう、俺はレクス。レクス・サセックス」
そこには、見慣れた筈の、しかし——同時に見慣れない大人に成りかけている、少年の顔が映っていた。
その髪は美しい金髪で、その瞳は碧色の輝きを放っていた。
「これは俺。……俺の顔だ」
鏡に映った自分の顔を触る。
他人のようにも思える顔だが、それは確かに自分の顔だった。
少年でありながら美しいと形容して差し支えないの無い顔。
昨日までと同じ顔。
しかし――同時に昨日までの自分の顔とは違う顔だ。
「だが……俺は鈴木守だった筈だ……」
彼の頭の中にはもう一人の別の人間の記憶が宿っていた。
彼の名を鈴木守と言った。
数多の不可能を可能とするような犯行を成し遂げ、決して捕まらない傍迷惑な愉快犯として、世間を大いに賑わせたものだった。
「俺は死んだはずだ。あの女に撃たれた跡もない?」
自身の腹部を触るがそこには弾痕のような跡はなかった。
多少の打撲や擦り傷などこそあれ、美しい肉体だ。
引き締まった筋肉質でありながらも、しなやかな細身の体躯。
「う……ッ!」
二つの人間の記憶が頭痛と共に、ある答えを提示する。
「この世界は……【ブレイヴ・ヒストリア】の世界?」
今までレクス・サセックスとして生きてきたこの世界は、鈴木守が幼き日に遊んだゲームの世界と酷似しているという事。
だが、あれこれと悩み始める前に、猛烈な疲労感と睡魔が襲ってきた。
「………とりあえず一旦、寝るか」
かろうじて、寝間着に着替え終えると、部屋にあったベッドに潜り込み、深い眠りの底へと落ちて行った。