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1-プロローグ-


――目覚めると、木の隙間から漏れた光が、優しく顔を照らしていた。

上半身を起こして周りを見渡すと、自分が瓦礫の上にいることに気付いた。


彼女は自分が先程まで寝ていたコンクリートの塊を手で撫でながら、自問自答する。

「私は、誰?」

その少女の頭には、これまでの記憶が存在していなかった。









俺たちが目覚めたのは、床板の隙間から植物が生えている、古びた廃教会だった。


固い木の床に寝ていたはずなのに、不思議と体は痛くない。

そう思いながら起き上がって周囲を見渡すと、何人かの男女が床に寝そべっていたり、立ち上がって困惑していたりしている。

数は……自分を含めて、六人。


俺も起き上がって、この教会で一番目立つ、苔むした偶像に近付く。

風化して、大部分が苔に覆われていても、その偶像は形を変えていないのだろう。形は整えられていたかつての姿のままだ。


これは何の神なのだろうか、キリストのようには見えないし、他の宗教はあまり詳しくない。

近付いてその偶像の足を握り、上を見上げると、偶像の手に何かの紙が挟まっている。


その紙に手を伸ばすが、届かない。仕方ないから近くにあった古びた木の台を移動させようとしていると、後ろから先程まで寝ていた青年が声をかけてきた。

「どうしたの?何か欲しいものでもあった?」

その青年は丸メガネをかけている、目元に大きな隈のある、優しげなのに、影を感じる、そんな風貌だった。


俺が何も言わずに偶像の手にある紙を見ると、青年は少し笑って、その紙を取る。

「これが欲しかったのかい?」

そして俺の頭を少し撫でると、その紙を俺に手渡してくる。

紙を開き、中身を見る。

そこには黒いペンで乱雑に、短く文字が記されていた。


「生き延びてくれ」


俺は文字を読んですぐにやるせない気持ちになって、咄嗟に目を逸らす。それを見た青年が

「読めない文字でもあった?」

と、紙をそっと取り、中身を見る。

それを見た青年がどんな顔をしているのか、今自分がどんな顔をしているのか、何も知りたくないし知られたくない、だから俺は廃教会にいる六人の誰とも目を合わせないように下を向いて、逃げた。


廃教会から逃げて少し歩いて、頭が冷えるにつれて、段々と心細くなってくる。

帰ろう、そう思って道を戻ろうとした時、足がもつれ、道から逸れた森の中に滑り落ちる。


坂道を頭から滑り落ちる。体中が痛いし砂まみれだが、幸運なことに怪我はなかった。立ち上がって滑り落ちた坂を見上げると、急な勾配な上に、坂は礫まみれで、立ち上がって少し足をかけただけで転びそうになる。それでも、なんとか元の道へ、廃教会へ、人がいる場所へ戻ろうと森の仲をさまよい歩く。


そうして少し歩き回った時、森の切れ目、崩れた瓦礫の山に当たる。


そこの頂点に、彼女はいた。

真っ白な肌、それよりも更に白い、光を反射するかのようなロングヘアー。それらに溶け込むような白いワンピース。そして、それら全てを統一するかのように大きな、赤い、瞳。

作り物の人形のような、彼女がいる景色が全て絵画になるような、そんな美しい、人目を引く風貌をしている。


彼女は、木漏れ日を浴びながら、瓦礫の頂上にいた。



少女は自問自答する。

私は、誰?

彼女、少女は、何もすることなく、何もしようとも思わず、ただ瓦礫の上に立って、木漏れ日を浴びて、自分という存在だけを考えていた。

その時、瓦礫の下から、「あっ……」という声が聞こえた。

少女がその方向を向くと、一人の少年が立っていた。


それだけだ。少女にとってそれは大したことでは無い。いや、そもそも大事と些事の区別すら少女にはつかない。今の少女にとって、空っぽの彼女にとっては、全てが空虚なのだ。

にもかかわらず、なぜか、少女はその少年から視線を外せなかった。


そのうちに少年が、危うげながら瓦礫の山を登り、少女の目の前に立つ。

あっ、と慌てた様子で砂まみれの手を服で払って、少年はそっと手を伸ばす。

触れていいものか悩むように、ゆっくりと手を伸ばすと、少女のだらんと下がった腕に、彼の手が触れる。

触ってすぐに、実在することに驚くように、彼が一瞬手を引き、そして次はゆっくりと、腕を掴んだ。


「大丈夫?」

少女はその言葉の意味を知っている。それが何を尋ねているのか、本質的には理解していないが。

ともかく、アリスは頷いた。

そしてまた、二人の間には微妙な沈黙が流れる。


その沈黙を破ったのも、少年の方だった。

「おっ、俺、クロトっていうんだ。君は?」

少女には自分の名前が分からない。彼女の頭の中は、文字通り、空っぽなのだ。

「ほら、これ。難しい漢字だけど、俺の名前」

クロトが自分の服の裏地に書いてある「黒兎」の文字を見せる。


そういうのもあるのか、と、少女はワンピースをめくって自分の名前を探し始める。

クロトが何かを言いながら慌てて後ろを向く。


「……あ、見つけた」

ワンピースの端に、英語で何か書いてある。読み方は……


「私の名前は、アリス?」


「アリス、いい名前だね。ほんとに」

アリスとクロトは森の中を歩いている。

「アリスはさ、なんであんなとこにいたの?」


アリスが黙る。アリスはその質問に対する答えを持っていない。

「わかんないかぁ……なら、アリスの覚えてることは?」


「……クロト」

アリスは彼を指さしてそう言う。クロトは少し照れくさそうにはにかむ。


「そっか……本当に、何も覚えてないんだね」


「なら、さ。親とかも、覚えてないの?」

アリスは頷く。親の顔、どころか、そもそも親がいたのかすら、アリスは知らない。


クロトが俯く。横を歩いていたアリスは、歩くスピードを少し落として、クロトに合わせる。

クロトは何か考え込んでいるようだ。

そのうち、悩みながらも、彼は顔を上げた。


その表情は少年のそれというよりも、どこか、悲しい、刹那的な覚悟を決めた顔のようだった。


そうしてクロトは口を開く。

「なら、さ、俺の家においでよ。美味しいチャーハンもあるし、テレビも見れるよ」

アリスはどう答えたらいいのか、分からなかった。クロトの様子がさっきまでと少し違うような気もする。


「ね、それがいいよ。ほんとに」

クロトは必死に説得を続ける。

「……うん、わかった」

きっと、それがいいのだろう、彼がこんなに必死に言うのだから。

アリスは判断する基準となる記憶そのものを持っていない。結局のところ、流されるままに頷くだけだった。


クロトは笑顔になる。でも、その後すぐに、隣ですすり泣き始めた。

アリスは足を止めて、俯いたクロトの頭を撫でる。

「なっ、泣いて、ないよ」


鼻を鳴らして泣いているのに、目元を無理やり拭い、クロトは前を歩く。

後ろを歩くアリスは、その顔も見えず、ただ少年の小さな背中を見るだけだった。


二人は森を抜けた。そこはだだっ広い草原だった。

そこで二人は初めて、空を直視する。

正確には、空を覆う巨大な鉄格子を。


「なっ……」

隣でクロトが絶句している。

鉄格子は空を覆い、地上の端まであるようだ。少なくとも見える範囲では、だが。


「……ん?」

アリスが空を見上げると、風に乗って、一枚の紙切れが落ちてきた。

それは簡素な地図だった。それによると、ここは島であるようだ。

裏面にも何か書いてある。と思えば、それは表面の地図の模写だった。そして、その上から書かれた異様な程のバツ印と、「出れない」の赤い文字が、痛々しい印象をアリスに与えた。


きっとあの檻を抜けようともがいた人が書いたのだろう。その地図に敷き詰められたバツ印と、大きく書かれた「出れない」の文字だけが、その人の苦悩を、失敗を、絶望を示している。


アリスはもう一度空を見る。隙間だらけに見えるあの鉄格子が、大きな鳥籠のようだった。



地図を得たのは大きかった。裏面を見ると気が滅入るが、それでもだ。

島のおおよその地形が分かったクロトとアリスは廃教会を目指して歩いていた。

廃教会は島の中心にあるようで、鉄格子の中央を見れば辿り着けるようだ。


森の中だと空の鉄格子が余り見えなくなるが、方向さえ間違えなければ確実に辿り着く。

クロトはポケットに地図を押し込み、アリスに話しかける。

「俺の家、あの鉄格子を越えないといけないんだって」

またクロトが泣きそうになる。

「母さん、どうしてるかな。大丈夫かな」

「大丈夫。すぐ、会いに行こう」

アリスがクロトの顔に手を添えて、そう言う。

「でも、鉄格子が」

「大丈夫、越えられる」

泣きそうだったクロトの顔が少し和らぐ。


大丈夫、その言葉をアリスは反芻する。

クロトが初めてかけた言葉、アリスにとって初めての言葉。


クロトはまた涙を袖で拭う。そして、赤い目元で笑う。

「じゃ、行こうぜ!まだまだ歩かなきゃなんないんだしな」


その時、森の向こうから、絶叫のような、悲鳴のような、耳をつんざく異音が鳴り響く。


はっ、とアリスがクロトを見ると、クロトは笑顔を止めて、真剣な、集中した目つきになっていた。

「……早く、行こう。なんか、やばいかもだし」


二人は会話を止め、先程までより少し早足になって歩き始める。


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