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幕末魔王伝  作者: 橋本洋一
最終幕【明治後始末】
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第71話信長、エムシに託す

 三日後の御前会議。

 各々が独立した机と椅子が会議室の左右にずらりと並べられていた。

 そこに座る政治家たちは陸軍大将の西郷隆盛の北海道へ屯田兵を派遣するという議題を話していた――実際には紛糾していたと言い換えてもいい。己の利害のために賛否が声高に叫ばれていた。


 反対意見は征韓論を唱えている板垣退助、後藤象二郎、江藤新平などが述べていた。

 特に江藤新平は大久保利通と犬猿の仲であり、互いを憎悪していた。だから珍しく西郷の提案に賛同した大久保の邪魔をするため、そして自身の目的である士族を救うために弁論を振るった。


 征韓論を唱える者たちに共通していたのは、見知らぬ土地に士族を押し込めるといういかにも乱暴なやり口に異を思っていたことだ。

 朝鮮は彼らにとって未開の土地だが、同時に清やロシアへの牽制となりえる。本土へ攻め入られるのを防ぎ、いざというときには割譲などの交渉できる、緩衝地帯として喉から手が出るほどの魅力ある国だった。単に士族への不満を無くすためだけではない。


 さらに言えば西郷以外の征韓論を唱える者たちは、戦争による利益の配分をとうに済ませていた。特定の財閥や商家に兵站や兵器を買い取る青写真を描いていた。政治家として国の在り方は重要だが、自分の利益も同じくらい重要なのだ。いずれ天皇陛下に次ぐ地位を得るために。


 さて。御前会議が賛否両論で進まぬ中、唐突に閉ざされていた扉が開かれた。

 訝しげに全員が扉を見つめる――坂本龍馬とアイヌの少年、エムシがいた。


「おやおや。政府に参画しなかった君が今更何の用かな?」


 邪悪な笑みを浮かべて皮肉を述べる大久保に対し「俺なりにケジメをつけるためぜよ」と坂本は飄々と言う。

 それを受けて「どうしますか、議長」と木戸は訊ねた。


「御前会議は日本にとって最重要です。無位無官の者が立ち入るのはいかがなものかと」

「木戸先生。そんな固いこと言わんでくださいよ」


 困った顔になる坂本――会議室に弛緩した空気が漂った。

 木戸は空気を柔らかくするところは坂本くんの美点ですねと静かに笑った。


「余としては発言を許してもいい。坂本はかつて、無位無官でありながら陛下に具申したことがある。前例がある以上、余たちは聞かねばならぬ」


 鷹揚に御前会議議長である徳川慶喜は認めた。

 これ以上、話の進まない会議を進行するのは面倒だと彼が思っているのは全員が分かっていた。しかしそれを咎める者はいない。


「ありがたいきに。ほら、エムシ。言いたいことを言えぜよ」

「……こ、ここで、言うのか?」


 今にも泣きそうな、アイヌの民族衣装に身を包んだ少年を見て、御前会議にいる政治家たちはしらけた気持ちになった。

 坂本の意図は分からないが、分別もついていない子供が何を言おうがここに響かない。


「何を言えばいいのか、分からないのに……」

「もう一度言う。言いたいことを言うんじゃ。ノブに託されたんじゃろ?」


 託されたと言っても、自分が何を成せばいいのかまるで分からない。

 数十人の人間に見つめられてまともに話せるほど度胸があるわけでも――


「お、俺は……」


 断ろうとしたとき、信長の顔が浮かんだ。

 いつもの自信満々な笑みだった。

 その顔が言っている――思うがままに言うがいい。


 エムシは大きく深呼吸した。

 そして考える。

 俺の言いたいこと、してほしいこと、叶えたい願い――


 気づいたのはどうして信長が人を従わせられたということ。

 多分、自分の心根から出た言葉は自分を裏切らないということだった。

 自分さえ裏切らなければ――相手に伝わる。


 なんだ、信長。

 お前はそのために、俺にアイヌ語を習っていたんだな。


「俺の村は小さい。アイヌシモリ――北海道でも小さい集落だ。だけどそれなりに食っていける。自然が豊かで食えるに困ることはないからだ」


 ざわつく会議室。

 その中で大久保や木戸、西郷や慶喜、そして末席にいた伊藤は聞いていた。

 一人の少年の覚悟を――聞いていた。


「はっきり言って、屯田兵の名目で士族とやらが来るのは嫌だ。食べ物が少なくなるのは確実だからだ。それに士族の不満なんて俺には関係ない」


 子供の意見――そう断じていた政治家たちは、エムシの次の言葉に驚愕する。


「だけど、俺は士族を受け入れたい。アイヌの民として――分け合うことは大事だからだ」


 徐々に静まり返る会議室。

 エムシは顔を赤くしながら精一杯自分の言葉を紡いでいく。


「アイヌの民は同じ村の人間を助ける。狩りや採集をできない老人を助ける。幼い子供も助ける。つまりいろんなことを分け合って生きていく。それほど北海道は懐が広い。きっと士族全員が生きていける」


 エムシが語ることに根拠はない。

 もしかすると士族の中に飢えて死ぬ者もいるかもしれない。

 もしかすると厳しい気候で亡くなる者もいるかもしれない。


「俺たちアイヌの民は全てを受け入れる。文明開化した北海道でもアイヌとして生きていけるよう努力する。そうでなければ俺は信長に顔向けできない」


 エムシはそこで俯いた。


「畑で実ったものを分け与えてくれた。俺に世界の広さを教えてくれた。そして俺がこの場に立てるようにしてくれた。俺が和人に言いたいことを言えるようにしてくれたんだ」


 エムシの言いたいこと。

 それは――


「俺はもっと世界を知りたい。そしてアイヌのことを知ってもらいたい。そうすればきっとアイヌの民も和人も仲良くできると思うんだ」


 奪い合うより分け合うことの大切さだった。

 言い換えるのなら征韓論より屯田兵が国と人を豊かにすることだった。


 幼稚な考えだった。

 理路整然としてない、子供が言いたいことを言っているだけの身勝手な発言だった。

 それでもこの場にいる何人かの心に伝わった。


「……ふひひひ。よう言ったのう」


 いつもの偉そうな声。

 エムシはハッとして振り返った。

 そこには杖を突いた信長がいた。

 隣には洋装の姿をした青年が信長に肩を貸していた。


「信長! 無事だったのか!?」

「ふん。まだ死なぬよ」


 そのとき、御前会議の面々が一斉に立ち上がって――深く頭を下げた。

 坂本も膝を折って頭を下げている。

 エムシだけが訳が分からない。


「え、あ、どうしたんだ?」

「良い。そなたはそのままで良いのだ」


 洋装の青年は信長を庇いながら会議室に入った。


「議長。朕はエムシの勇気ある発言に心打たれたぞ」

「……よろしいのですか?」

「ああ。異例ではあるが……信長にも諭されたしな」


 信長の狙いが分かったのは大久保と木戸、西郷と坂本だけだった。

 エムシに語らせる間に説得を試みていたのだ。

 見事に成功した今、誰一人文句は言えない。


 それでも、信長は賭けに出るしかなかった。

 エムシが洋装の青年の心を打つ発言ができるかどうか、五分五分だっただろう。

 エムシが臆して話せなくなることも十分あった。


 信長は信じていた。

 エムシの勇気と思いを。

 だから賭けに勝てたのだ。


「承りました。では屯田兵の創設、北海道への派遣を決定いたします」


 慶喜の宣言に洋装の青年は満足そうに頷いた。


「良かったな、信長」

「感謝いたします――陛下」


 洋装の青年――国の元首たる陛下は年相応の笑みを浮かべた。

 そして最後にエムシに言う。


「朕はそなたの歳でそこまでの勇気を持っていなかった」

「はあ……」

「褒めてつかわす。精進せよ」


 エムシはよく分からないままだが、目の前の青年が貴人であると分かり、みんなに倣って頭を下げた。不格好だが陛下は嬉しそうに頷いた。


 こうして御前会議は終わり。

 信長とエムシの尽力で内戦が起こることはなくなった。

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