第43話信長、桂小五郎と会う
新選組六番隊隊長兼総長という肩書は、新選組において局長に次ぐ地位だ。
しかし実際の実務は土方と井上源三郎が担っている。
要は参謀の伊東甲子太郎への牽制だった。というわけで他の隊長と変わりない余暇があり、その時間は信長の好きなことをしていた。
それは食べ歩きだったり、人と会っていたり、あるいは名所を巡ったりしていた。
世間が俄かに騒がしくなっても、平常通りの行動をして――巻き込まれることとなる。
九月のことだった。京の紅葉は早く、既に真っ赤に染まった山々が広がっていた。
信長は山野や吉村を誘って嵐山に観光に行った。その光景はいつもは己が美しいと公言して憚らない山野も「自然の美しさには敵いませんね」と衝撃を受けるほどだった。
「そこの茶屋で飲みながら、見物しようではないか」
信長は嵐山で繁盛している茶屋に入る。
一見さんお断りではなく、しかも新選組の羽織を着ている信長たちだったので、店の者は細心の注意を払って応対する。
そして渋茶を三人が啜っていると、外が騒がしいことに気づく。
「何事かあったようだな。吉村、山野。様子を見て行ってくれ」
「総長はお一人で大丈夫ですか?」
「今更、儂を狙おうとする者などおらんだろ」
二人が様子を見に行く――信長は再び渋茶を飲もうとしたとき「ごめんやし」と声をかける女がいた。
切れ長の美人というべきか。黒い髪がすっきりと美しい。品のあるのが外見からでも分かる。よほど見た目に気を使っているのだろう。
「何者ぞ?」
「先生があなたにお会いしたいと」
「外の騒ぎはおぬしたちの仕業か」
おぬしではなく複数の言い方にした信長に「お噂通り、賢いお方ですなあ」と女は微笑む。
そして「もしお一人で来てくだされば」と女は続けた。
「あなた様に良いお話ができるとのこと」
「面白い。場所はどこだ?」
「割烹の弁財天という店です」
信長は「あい分かった」と頷いた。
「明日の夕暮時、そこに向かう」
「先生にもお伝えします。それと――」
女はさっと離れる際、信長にだけ聞こえる声で言った。
「私は幾松と申します。名乗らないのは失礼かと思いまして」
「いささか遅いがな」
女は答えることなく店から出て行く。
それを入れ違いで山野と吉村が帰ってきた。
「おう。外はどうだった?」
「いやなに、子供が木に登って下りられなくなって。それで美しい私が下ろしてあげたんです」
山野の返事に吉村も「しかし、見事なものでしたな」と述べた。
「山野殿が木登り得意だとは。私は高いところが苦手でして」
「ああ。あれぐらいなら子供でも登れます。取っ掛かりが多くありましたから」
それを聞いた信長は茶を啜って「なら下りるのも容易だったな」と呟く。
彼は幾松と子供が仲間だと確信していた。
◆◇◆◇
当日の夕暮時。
信長は一人で弁財天に訪れていた。
中に入ると寡黙そうな爺さんが「……らっしゃい」と出迎えた。
「お客さん、何にしますか?」
「待ち合わせなのだが……幾松は知らんか?」
正面の席に座った信長の問いに「お客さん、野暮なことを言いなさんな」と手を動かし始めた。
「注文ぐらいしてくださいよ……」
「ふむ。道理だったな……では鯖の味噌煮と飯をくれ」
爺さんは「あいよ」と言いながらお通しを信長の前の机に置く。
箸をつけるとなかなかに美味しい。
「美味いな、店主」
「…………」
周りを眺めると客がまばらに入っている。
およそ七人。流行っているわけではないが閑古鳥が鳴くほどでもない。
普通の割烹だった。
「幾松さんなら知っていますよ」
爺さんが鯖の味噌煮とご飯を置く。
食べながら信長は「知り合いか」と問う。
「ええまあ……私の名は広江孝助といいまして」
「武士なのか。しかしどうして店を?」
爺さん――広江は「勘違いなさっては困ります」と言う。
「私も――『桂小五郎』の一人ですよ」
「……ということは、幾松とやらもそうか」
「ご明察」
信長は「儂が誰か知っておるだろう」と広江に言う。
「新選組の総長だ。それを前によくもまあ名乗れたものだ」
「驚きましたか? しかしもっと驚くことになります」
信長はいつでも短銃を抜けるようにした。
広江は「新堀松輔、幾松」と呼んだ。
すると後ろにその二人が出てきた。
信長はいつの間に思った。どうやら話に夢中で気づかなかったようだ。
「あなたのことを、先生に話しましたよ――織田信長さん」
「新堀か。久しいな。それで、どんな反応だった」
「是非お会いしたいと。しかし昨今、物騒なことが多いですから、煩雑な方法でしか……」
「構わんよ。それでどこにいる?」
それには幾松が答えた。
「この通路を通れば、お会いになれます」
四人掛けの机の下を指されたので覗くと――地下へ通じる穴があった。
きっと二人もここから出てきたのだろう。
「お会いになりますか?」
信長は腕組みをしてそれから「面白い」と笑った。
「本物の桂小五郎に会ってみようではないか」
◆◇◆◇
地下通路を通って出口から出ると、そこは武家屋敷の庭だった。
藩邸ではなく、旗本ぐらいが住めそうな屋敷。
埃と土を払って後から出てきた幾松に「なるほど、考えたな」と言う。
「こんな普通なところに桂小五郎がいるとは思えん」
「先生はこちらにおります」
幾松の案内で屋敷に上がった信長。
そして奥の間へと歩く。
「おぬしはどうして桂小五郎に協力している?」
「ふふ。惚れた弱みでございます」
「……また野暮なことをしてしまったな」
幾松は立ち止まり「こちらにいらっしゃいます」と障子に手をかけた。
「それではごゆるりと」
障子を開けた――そこにいたのは二人の男だった。
「おう? おまんも来たか?」
「坂本? 何故お前が――」
そこには汚れた着物を着ている坂本龍馬がいた。
嬉しそうな顔で「ノブ、まあ座り」と促した。
「こちらが本物の桂小五郎先生ぜよ」
そう言って指さしたのは――小柄な男だった。
知性のある顔つき。しかし目の色が――異常だった。
色を全て混ぜたような黒――もしくは色を全て取り除いて漆黒を塗りつぶしたような暗黒。
この者は数多くの修羅場を通ってきたのだと信長は直感した。
そうでなければそんな目は出来上がらない。
信長は、目の前の小柄な男が、本物の桂小五郎だと確信する。
「お初にお目にかかります。僕の名前は桂小五郎といいます」
「であるか……」
信長は今まで会ったことのない種類の人間に戸惑っていた。
松永弾正を想起したが、それとも異なる。
薩摩藩の西郷吉之助とも違っていた。
「儂は織田信長だ」
「はあ。とりあえずどうぞ」
座布団が置かれていたのでそこに座る信長。
そして気味の悪さを感じた。
自分が織田信長だと名乗ったのに、桂は何も驚かなかった。
感情が希薄なのだろうか?
いや違う。
桂はどうでもいいのだ、織田信長がこの時代にいることなど。
「織田さん。実はあなたにとって、良い話を持ってきました」
歓談することなく、桂は単刀直入に話を振ってきた。
信長は「良い話だと?」と訝しげに言う。
「その前置きをする話など、良かったためしがない」
「そうですか。では……僕にとって都合のいい話をさせてください」
言い回しを上手に変えていく――口が達者だなと信長は思った。
桂は無感情のまま「新選組総長のあなたに言います」と続けた。
「新選組裏切って、長州藩に来ませんか?」
「……頭がおかしいのか?」
長州藩は今、幕府や雄藩から征討されそうになっている。
それなのに――
「征討はされません。坂本くんの師匠、勝海舟先生に働きかけていますから。今頃、西郷吉之助と話していると思います」
「裏工作しているというわけか」
「正確にはしていた、ですが。もう長州藩が攻められることはありません」
桂は続けて「頭がおかしいと先ほどおっしゃりましたが」と信長に言った。
「どうして佐幕派の組織にいるんですか? 織田信長が」
「……まあ成り行きだな」
「そうだとしても、あなたから天下を簒奪した徳川家の味方をするのは道理に合わないでしょう」
それは――考えていなかった。
というより、考えないようにしていた。
「あなたが本物の織田信長かはどうでもいいです。しかし坂本くんの話を聞いて是非長州藩に入ってほしいと思いました」
桂は続けて言う。
「僕のこの国を思う気持ち、聞いてくれませんか――命を懸けて」