学校の悪魔3
俺の通っているこの交野山高校にはこの辺の他高校にはだいたいある特進科という進学特化型のクラスというものがそもそもなかった。というのも、百年続いてきた歴史と伝統を売りにする学校だったからだ。今どき、教室の鍵は南京錠で監視カメラのひとつも無い高校なんて全国探したって両手で数えられるくらいしかないんじゃないか?
ボロっちいだけの進学率も就職率も何もかも普通の高校。ここにどうして宮之阪みたいなやつがいるのかはわからん。たぶんあいつは漫画とかでよく見かける何故か同じ学校にいるヤンキーと真面目くんの後者枠みたいなもんなのだろう。
話を戻すが、とどのつまり交野山高校には熱心に進学を目指す生徒なんていないってことだ。受験勉強だって高三になってから塾にでも通えばいいだろ、みたいな考えの奴らばかりで、授業終わりに先生に質問しに行くような生徒なんてそうそうおらず、終礼が終われば部活のある生徒以外は皆、即刻帰ってしまうのが常だった。一応校則で禁止されているが帰りにショッピングモールだったりゲーセンだったりに行くのだろう。
今日もそうだとばかり思っていた。
しかし、どうやら例外がいたみたいだ。
誰もいない廊下を我が物顔で歩いているうちにたどり着いた先、職員室の前でターゲットに加えてもう一人、手にノートを抱えた女生徒がいた。俺は探偵の気分を出すべくそっと廊下の角に身を潜めると、横目に二人の様子を窺ってみた。
地理の教師からはやはり何とも言えない違和感を感じた。宮之阪が言っていた通り、あいつがこのモヤモヤとした感じの原因で間違いなさそうだな。
女生徒の方は、ふむ、知らない人だった。胸元の校章の色を見る限りだと三年生だ。腰まである長い黒髪に膝より長いスカート、細い縁の眼鏡も相まっていかにもクラスで目立たない真面目そうなタイプだ。やはり授業で分からなかったところを聞きにでもやって来たのだろう。まさかこの学校にそんなやつがいるとは。
ま、地理でそんな一時間や二時間かかるような質問があるとは到底思えないし、時間だけは有り余っていた俺は、その女生徒がその場から立ち去るのを待つことにした。こういう時、タバコでも咥えられれば少しは様になったんだろうがな。
ところがどうしたものか、俺が一瞬目を離した隙になんとその女生徒は地理教師諸共、職員室前から姿を消してしまっていた。
「ばかな……」
だなんて主人公気取ったセリフってのは案外自然に出るもんなんだな。それくらいにほんの一瞬の出来事だった。
辺りを見回してみたが、その姿影は微塵たりとも見当たらなかった。見失っちまったわけだ。つくづく思う、俺は全くもって探偵に向いてないぜ。
とはいったものの、逆境に立たされた少年漫画の主人公みたく何かしらの能力が覚醒したりしない俺が今出来るのことと言えば、続けて根気よく探偵の真似事をするくらいしかなかった。
では、まず考えるべきなのは地理の教師がどこへ消えたのかだ。念の為、職員室に寄って中を確認してみたのだが、あの地理教師のヨレた茶色の背広姿はどこにも見当たらなかった。つまり、どこに行ったかさっぱり分からん。
じゃあ、あの地理教師が何故女生徒をどこかへ連れて行ってしまったのかという問題はどうだろうか。誘拐?まさかな。こんなまだ明るい校舎でそんな事を行動に起こすのは後先考えられない動物くらいのもんだ。
その他にも色々考えてはみたものの、結果、分からんことしかないという事が分かっただけだった。これならこの先怪しい薬を飲まされて小学生に戻されるという事件に巻き込まれるようなことは無さそうだ。
宮之阪との会話を経て少しは退屈が紛れそうだったのだが、どうやら俺の探偵ごっこもここまでのようだな。
俺は掲示板に張り出された合格者の一覧の中に自分の名前がなかった受験生のように期待を裏切られたような気持ちで踵を返すと、とぼとぼと短い歩幅で下足場へと向かった。
ラブレターの一つも入っていないかと一縷の希望をかけて開けたロッカーも空。やはり俺はそういったもんに縁のない星に産まれて来てしまったらしい。
そして、足先の少し破れたスニーカーを履きつつ、帰りに肉まんでも買って帰ろうかと考えていて、ふと。
どうして地理の教師の方があの女生徒を連れ出したと思ったんだ?
逆の場合もあるじゃないか。あの女生徒の方が地理の教師を連れ出したってケースだ。
例えば、ラブレターなどに頼らず、直接「告白」する為に。
推理とも呼べない、俺の悪あがきにも似たちょっとした思いつきは、帰路に着く事すら面倒だと思っていた身体を限定カツサンドが売店に並んだ昼休み時と同じくらい必死に走らせるのには十分だった。
こうなってしまえば、目的地を決めるのはそう難しいことじゃあない。俺はもし自分自信が学校のマドンナに告白するとしたらどこでするのかを想定し一番に頭に浮かんだ場所へと足を運んだ。他人が想いを伝えるところを覗き見る趣味はないが、すまん、男子高校生は好奇心には抗えないのさ。
今思えば、俺はなんて迂闊な奴だったんだろう。
存在しないはずの「悪魔」が存在するかもしれない学校で、自衛するための武器を何一つ持たずに一級ミステリー並の危険に首を突っ込もうだなんてな。
夕陽がグラウンドを赤く照らし、反して夜の帳がフライングして降りたかのように薄暗闇になっていた校舎裏で、案の定俺は目的の人物を発見した。告白といえばこういった人目につかないところが定番だもんな。
地理教師を正面から見上げる女生徒。傍から見ればまさしく告白のワンシーンだった。
俺は紳士たるべく声が聞こえない程度のところに身を潜めると、告白が成功するのを願いつつその前途を見守ることにした。出来れば俺があの地理教師のところに立ってたかったぜ。
そして、二人は会話を交わすこと数分、抱きしめあった。どうやら上手くいったのだろう。
―――そう思ったのもつかの間。
一瞬の出来事だった。
女生徒の方が地理教師の脇の間をくぐり抜けると、機敏な動きでその背後に回り込みセーラー服の中に忍ばせていたロープをなんと地理教師の首に巻き付けた。あまりの早さに地理教師の方は少し遅れてそれに反応し抵抗したが、女生徒の方は口元に肘鉄を少しかすらせただけで地理教師を後ろから地面に押さえつけると、首に巻き付けたロープを慣れた仕草で締め上げた。
「な、なんだっつうんだ……」
何なんだ。どういうわけだこれは。何故あの女は…、いや違う、あの女は何をしたんだ……。
たった今目の前で起きたあまりに現実離れした光景に俺が開いた口を閉じれず息をするのも忘れていると、女生徒はカップラーメンが出来上がるよりも早く地面に倒れたまま動かなくなってしまった地理教師の腹を足で蹴り上げ仰向きにし、そのスーツのうちのポケットへとか細い手を忍ばせた。
動揺のあまりさっきは思わず自問自答してしまったが、愚問だったな。一目見りゃあ分かるさ。
人間が人間を―――。
「殺していた……?」
思考が冷静さを取り戻しつつあったせいもあって、息を吐くのと同時に無意識に呟いてしまった一言だった。
「……誰?」
「しまっ……!」
本能で感じた「殺される」というおぞましい感覚に俺は咄嗟に影に身を潜めた。このまま少しずつ、音を立てないようにこの場から離れろと、俺の全身のありとあらゆる危機察知器官が警報を鳴らしている。
いや、落ち着け大丈夫だ。今いる場所は女生徒からは話し声も聞こえなかったほどの距離なんだ。気配に気付かれはしたが、俺がどこに隠れているかは分かっていないはずだ。
しかし、その考え自体が甘かった。
向こうは度外れな殺人なんてもんを手馴れているようなやつなのだ。今回が初犯ではないというのは簡単に想像がつく。であれば、周囲の状況をかなり敏感に感じ取れると見ていいのだから、俺は自分の現在地なんて気付かれいて当然と思って、一目散にこの場から人の目が着くところへ走り去るべきだったのだ。
この考えに至った時にはもう遅かった。
俺が行動に移すべく振り向いた先、その目の前に既にあの女の顔があった。
んでもって、俺の視覚がその女が結構な美人であると認識した時には、俺は脇腹に強い衝撃を以てその場から大人の男三人分程の距離ぶっ飛ばされていた。
「だっ!ぐぅ……っ、かはぁっ…!」
自分の口から聞いた事もないような言葉にもなってない声が出たのもつかの間、俺を蹴り飛ばした女は軽い身のこなしで地面に倒れ伏す地理教師の腹の上へと戻ると、切れた唇から流れ出た血を袖で拭いつつ、
「まさか誰かに見つかるとは思わなかったわ」
優雅に地理教師の腹を抉るようにその上でターンして、ジンジンと後を引くような痛みに横腹を摩る俺の方を見ながら、
「さて、一つ質問があるのだけれど、」
髪を振り乱す様は、まさしく「悪魔」そのもの。
「あなたにはコレが何に見える?」
―――異様なまでにセーラー服の似合わないやつだった。