学校の悪魔2
時刻は数十分ほど前に遡り、いつも通り特筆すべき事がなかった終礼の後、俺は借りていた地理のノートを返すついでに宮之阪が一人で職員室まで運ぶ予定だったノートの半分を肩代わりしつつ、その道中でこんな話をしていた。
「ここ最近で、何か変わったこととかなかったか?」
無論、俺が地理の時間に感じたアレの事だ。頭の良い宮之阪のことだから、凡人である俺には分からなかったあの謎の違和感に気が付いて、さらにその正体まで知っているんじゃあないかと誠に勝手ながら思い立ったわけだ。まあ、実際はこんなどうでもいい会話をきっかけにただのクラスメートから友達にでも昇進出来たらラッキーくらいに考えていた。
だから、宮之阪相手に話の膨らみそうなこの言葉をあえて後ろに付け加えたのだ。
「例えば、『学校の悪魔』絡みの事とか」
すると宮之阪は案の定、というより期待していたよりはるかにいい反応を見せあからさまに何か心当たりがあるのか弾かれたピンボールの如く目を泳がせた挙句、持っていたノートを勢いよく廊下にぶちまけてのけた。本当にマンガのキャラみたいなやつだ。そしてそれを拾いつつ、俺のことを窺うようにして前髪の隙間から澄んだ瞳を覗かせて、
「い、いや、何がぁ!?」
どうやらこいつは嘘がつけないタイプらしい。前々から素直なやつだとは思っていたがまさかここまでとはな。声を裏返しまでしてここから誤魔化すのはさすがに無理だと思うぞ宮之阪。というより、その反応じゃあまるっきりお前が犯人みたいに見えるぜ。
「へ、へぇー!」
何に対しての納得なのかは分からんが、ともかく宮之阪は何か知っているようだった。
もう少しばかり狼狽える宮之阪を見ていたかったのだが、俺は内なる俺にドロップキックを入れて一緒にノートを拾ってやると、改めて五限目の地理の時間に感じたことについて簡単に説明してやった。
「ま、他のやつらがどう感じてたかは知らんが、でも、クラスを見た限りじゃ俺くらいしか感じてなかったみたいだったな」
参考、俺の前の席に座っていたあのアホ面。あの顔はただ黒板の文字をノートに写すだけしか脳のないロボットの顔だった。
しかし、あいつが十分な参考資料になるかはともかく、何かがおかしいと感じていたやつは俺以外にはクラスでは見受けられなかったはずだ。
宮之阪は乱れた髪を整え閑話休題代わりにわざとらしく「コホンっ」と一つ咳払いを打つと、
「それはちなみにだけど、どうしてそんなことが言えるの?」
「俺の特技は人間観察なんだ」
それは良く言っただけで、実際は授業中に暇を持て余した俺がただクラスのやつらをぼーっと眺めていただけなんだけどな。結果的には同じことさ。
「でも、自信があるわけじゃあないからな。だから宮之阪に今日何か違和感じみたもんを感じたのか聞いてみたまでだ」
さっきの反応を見る限り、お前も思うところがあったみたいだからな。
それも「学校の悪魔」絡みで。
であれば、それがなんであれひとまず御教授頂きたいね。面白くなりそうだ。名探偵宮之阪ってとこか?なら俺は助手のワトソンくらいの脇役で十分だ。
宮之阪は俺の言った戯言に手を顎に当てつつ考え込むように俯くと、「うーん」と軽く唸ってから、
「それって、地理の時間だけの事だよね?」
見方を変えてみれば確かにそうかもしれないな。宮之阪との会話を挟んだことによって頭の中の靄が晴れたのだと思ってばかりいたのだが、実際、あの違和感が綺麗さっぱりなくなったタイミングと地理の授業が終わったタイミングは同時だった。
探偵帽を被せてやればシャーロック・ホームズの舞台で本人を演じれるんじゃないかと思えるほど思考する表情が似合う宮之阪は軽く握った拳で頭をほぐすように自らのこめかみをぐりぐりとすると、
「私も確信がある訳じゃないんだけど。いや、確信があるとかないとかはまた全然別の話で…ってややこしい事言ってごめんね」
そして、「でもね、」という前置きをしてから、
「とにかく、天野ヶ原君があの時地理の先生に対して違和感を感じたのは至極当然だと思う。だってね―――」
どうやら宮之阪は勉強とかだけじゃあなく、第六感的なもんまでも俺なんかより優れていたようだった。自分の感覚に絶対の自信があるのであろう宮之阪は言った。
「―――私はこの学校に入学した時からそう感じてたから」
宮之阪曰く、違和感を感じたのはあの地理教師に対してだけではなかったらしい。そこまで他人を見ることなんてないので、それが誰で、どう違和感を感じたのかまでは分からなかったらしいが、しかし、それにしてもこいつは本当に名探偵みたいだな。
そんな超高校級の宮之阪の推理からすれば、今日の五限目に授業をしていた地理担当の教師が違和感の元凶ではないかという結論だった。単純にあの時間と次の時間でクラス内で変化した箇所は教壇に立つ人間くらいだったという話だ。
「でも、私にはそれがどうしてなのか、どこがどういう風に、どうおかしいのかわからなかった。何かがおかしいということしかわからないの。地理の先生なんて普通そんなまじまじと見ることもないし、見たことないしね」
確かにそうだ、あんな四十過ぎのおっさんなんて、たぶんその奥さんすらも注意深く見たりなんかしないだろう、
―――だが、偶然にも俺は違うかったわけだ。
あの後、二人で職員室へノートを届け、宮之阪はと言うと塾があるからとお礼の飴玉一つ俺の手に乗っけて早々に帰ってしまった。一緒に途中まで帰ろうと思っていたのだが、なるほど、いつもああやって男を上手くやり過ごしているから色っぽい噂の一つも聞かないのか。
俺もまた不本意にもそのクチにのせられて、やはり部活もなければ放課後デートの予定もないので、一人教室で宮之阪から貰った甘くないミント味の飴を口の中で転がしつつ、放課後の時間を存分に持て余していた。
所謂、退屈ってやつだ。幾分、宮之阪とのミステリックな会話が楽しかった事もあって、何もしない時間が今までより一層もどかしく感じてしまう。
そして、こういう時には決まって俺は中二病じみた事を本能レベルの条件反射で意図せぬままに考えちまうんだ。
例えば、地理の教師が学校の悪魔だったら、ってな。
我ながら馬鹿なことを想像しちまったって思う。んなわけないのにな。
だが、そんなちょっとばかしの好奇心が放課後にできたあまりに膨大な暇をつぶそうと俺の身体のあらゆる神経と筋肉に働きかけたのを俺自身が止められるはずはなかった。これは男子特有の一種の病気みたいなもんなんだ。
そして、妄想の域を出て俺はついに人生初の探偵ごっこに繰り出すこととなってしまった。といってもただのストーキングで、今一度職員室に向かって地理の教師の行動を見る程度のことしか出来ないのだがな。
しかし、ただそれだけの事なのに、妄想を実際に行動に移しただけで俺はまるで初めて異世界もののライトノベルを読んだ時のようなワクワク感に脚が地についていないような感覚になった。案外俺もまだまだガキだったらしいな。
俺は弁当箱と財布以外入っていないスカスカのスクールバッグを背負うと、いざ、職員室へと足を向けた。
時刻にして十六時五十分。本来であれば職員室と文化部部室棟を除けば、校舎内には誰もいないはずだった。