宮之阪のノート
さて、さっきまで俺の思考に霧をかけていたあのモヤモヤとした感覚はというと、宮之阪との会話で毒気を抜かれたようにすっかり晴れてしまっていた。むしろ今は、どんな感じで何かがおかしいと感じていたのか忘れた事にモヤモヤさせられてるくらいだぜ。
まぁ、あっさり忘れちまうくらいなんだから、きっとそんなに重要なことでもなかったんだろう。
そうなってくると、もはや俺にはやる事がなくなってしまった。ノートを取る?どうせ教科書に書いてある事なんだからそんなの必要ないぜ。
と思っていたのだが、せっかくのご好意だ。俺は暇つぶし程度に、先程宮之阪から借りることになった地理のノートをパラパラとめくってみた。……地理の授業って毎回こんなに書くことなんてあるもんなのか?
いや、おそらくだが自分で調べたことも書き込んであるのだろう。所々に「ワンポイントアドバイス!」なんてかわいらしいフキダシがあったからな。後で他の誰かに見せるためにでも書いてるのだろうか。まぁ何にせよそのおかげもあって、地理なんてほとんど勉強した事の無い俺ですら興味をどんどん惹かれていくような分かりやすいノートになっていた。なんだったら教師の授業内容よりも濃密なんじゃないか?
「後で貸せよな」
「お前、板書だけはちゃんと取ってただろうが」
仮に取っていなかったとしても、お前みたいな変態にけは貸さん。独り占めするようで悪いが、例えあいつが許可を出したとしても黙っておくだろうさ。
俺は学校の人気者であるところの宮之阪のノートを借してもらったことに少しばかりの優越感を感じつつ、ページをめくる手を進めた。
よくよく見れば、地理のノートにもかかわらずページの端々に地理に何の脈絡もなさそうな事が書いてあった。スープカレーのスパイスの事だったり、はたまた服のデザインだったり。今流行っているサスペンスドラマの次の犯人の考察なんてものも書いてあった。実はあの丸眼鏡も「学級委員長っぽいから」という理由でかけているらしい。テストはいつもトップに君臨する天才的頭脳の持ち主の宮之阪だが、案外、授業中には他の事について考えているようだった。
まるで彼女の頭の中を覗いているようでうしろめたさのようなものを感じたが、どうにもこうにもそのメモの内容が面白くてページをめくる手が止められそうにない。八〇〇円くらいでこのコピーを売り出したら学校中の男子は皆買うんじゃないだろうか。ちなみに、その男子の中にはもちろん俺も含まれている。
あいつを嫌いな奴なんてこの学校には、というかこの世界には存在しないだろうからな。あいつに対して嫌味の一つも上がる奴は、相当プライドの高い異世界の悪徳令嬢か、思ってることと反対のことを言ってしまう病気にかかってるやつくらいだろう。
結局、俺は六限目の授業中、砂漠の中にぽっかりと見つけたオアシスを味わうように宮之阪のノートに没頭していたわけなのだが、そのメモの中で一つ、特に気になるものがあった。
ついさっき話に出てきた「学校の悪魔」についてだ。
彼女はそんないるのかいないのか分からないようなファンタジー的存在に惹かれるようなタイプではないと思っていたのだが、その中身は外見にそぐわず年相応のものようだ。こういった話題のメモがノートにちらほら見られたあたり、案外こいつはミステリー的な現象を好いているのかもしれないな。
ちなみにだが、その「学校の悪魔」についてのメモ書きはこのようになっていた。
“学校の悪魔はひとりしかいない。”
うわさ話では複数いるのではないかという話もあったはずだが、どうやらこいつの見解では、「学校の悪魔」とやらは単独犯のようだった。
そもそも存在するかも分からないのに、なぜそんなことが言いきれるんだ。いや、本当に頭が良いこいつには俺の様な普通人間には千年かかっても分からないようなことが分かるのだろうか。確かに宮之阪は知らない事なんてなさそうだしな。むしろ、もう既に証拠を見つけてたりして。
だとすれば、この学校には本当に「学校の悪魔」が存在する事になってしまうわけだが。
俺は視線をちらりと教室の前の方の席で熱心にノートを取る宮之阪の方へとやった。
見る限りどこからどう見てもまとも人間。遅れてやってきた中二病を患っているわけでもなさそうだが。いや、案外上手く隠しているだけとかだろうか。確かにかなり頭がかなりキレるようだから、可能性としては十分有り得そうだ。
でもまあ、俺としてはやはり「学校の悪魔」だなんて物騒なもんいない方がいいに決まっている。世界征服をたくらむ悪の組織も、美しい生存権を求めはるか彼方からやってきた好戦的な宇宙人もいない方がいい。はたまた、とんでもないスキル持ちの名探偵が頭を悩ますような不可解な事件なんてまっぴら御免だ。
それに巻き込まれて困らさせられるのも嫌だし、困っている人なんていない方がいいに決まっているのである。
普通の日常こそが至高。
しかし、まだまだ高校生の俺はあんなもんフィクションだ、と理解していながらも「ちょっとはあるんじゃないか?」みたいな妄想をせずにはいられないのである。ラノベにドはまりしたのもそのせいだ。まったく、人間の好奇心というのは厄介だな。
それからもノートの続きに目を通しながら、もし本当に「学校の悪魔」とやらがいればどう戦おうかだなんて考えていると、気が付けば今日最後の授業も刹那の如く終わろうとしていた。俺の体内カレンダーはこのペースで行くとふた月分くらいしかないんじゃなかろうか。だったら卒業まではあと四か月弱くらいだな。
あー、神様とやらがいるのなら一生の願いってやつをここで使っちまってもいい。こんな毎日をずっと過ごさせてくれ。
俺はスクールバッグに筆箱と弁当箱を詰めながら改めて思った。
日常系アニメは普通の日常だからこそ面白いのである。