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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 29 戦争


 29 戦争

 

 菱形に束ねられた四本のパイプ。四つあるうちの一番下部の銃口から白煙が細く立ち上っていた。まるで線香のようだと間の抜けたことを思う。

 老婆がパイプの束を時計回りに回転させた。ガチャリと金属音が響く。

「ヒッピー娘。坊主。さっさとどけ。その女を……」

 言葉の途中で老婆がその場を飛び退き、側面にゴロリと転がった。

 瞬間、銃声が鳴り響く。老婆の方ではない。私のすぐ背後である。

 卯月が片膝を立てた射撃体勢でリボルバー拳銃を発砲したのだ。寸前まで老婆が立っていた背後の壁が穿たれ、木片が飛び散る。

 警告も、威嚇射撃もない。完全に老婆に命中させることを目的とした発砲だった。

 至近距離での発砲音に私の耳が耳鳴りを起す。キーンという甲高い響きを認識する以外の聴力が奪われ、まるで水の中に飛び込んだ後のように、視界がぼやける。

「あああああ!」

 その感覚を切り裂くかのように、さらに二発の銃声が鳴り響いた。卯月が連射したのだ。

 囲炉裏の奥の床板の上で老婆はゴロゴロと回転して、卯月の射撃を回避する。一発の銃弾が囲炉裏の自在鉤に命中したらしく、金属の魚に弾かれた鉛玉がチューンと間の抜けた音を立てて跳弾し、土間の冷蔵庫の扉に鈍音とともにめり込んだ。

 瞬間、寝そべった状態で老婆も発砲した。鉄パイプから発射された弾丸は卯月の長い髪の一部をかすめ、背後の扉に穴を開けた。即座に卯月は身をかがめて倒れ込み、玄関土間と廊下の段差、上がり框に身を沈め、老婆の死角に入った。

「姫宮さん!」

 秋人が肩を土間の床に擦り付けるようにして、玄関扉の前に倒れ込む姫宮の元に這っていった。私も慌てて後に続く。

 姫宮は歯を食いしばって悶絶していた。玄関土間の土埃を身体全体に纏う中、左肩からは赤黒い血が流れ出ている。

「姫宮さん。大丈夫だ。肩だよ。肩に当たっただけだ」

 そう安心したように言った秋人を姫宮は睨み付けた。

「大丈夫なわけないでしょ!」

 秋人が「あ、ご、ごめん」と口ごもる。後を継ぐように私は姫宮の顔をのぞき込んだ。

「血が赤黒いわ。ということは、静脈。動脈が傷ついた訳じゃない。大丈夫よ」

 正直、暗いし、血液の色などよく判別できない。そもそも聞きかじった知識なのでどこまで正確なのかもわからない。だが、姫宮は、「ほ、本当?」と涙目で私を見つめてきた。だから私は頷いた。

「ええ。間違いないわ」

 バアアン! 

 銃声と共に、卯月が身体を押し込んでいる段差、上がり框の上部が弾け飛んだ。

 姫宮が悲鳴を上げる。

 すぐさま、老婆がパイプの束を回転させる金属音が鳴った。

 卯月が腕だけを上がり框の上に突き出し、引き金を引く。

「あたれええ!」

 卯月の叫びと共に発射された二発の銃弾は、身をかがめながら移動する老婆をわずかに逸れ、壁の穴を二つ増やした。老婆はそのまま大黒柱を横切り、右側の土間に飛び込んで死角に入った。

 どこに行った。

「ナツ姉! 頭を出しちゃダメ!」

 秋人の叫びに慌てて頭を下げる。

 大きめとはいえ、決して広くはない玄関先のくぼんだ空間に、大人四人が身を寄せ合って這いつくばる形になる。

 卯月は地面に横倒れになりながら、上がり框の段差に背中を押しつけていた。悪態をつきながらリボルバー拳銃のシリンダーを引き出す。バラバラと空の薬莢が玄関土間の地面に散らばった。

「卯月刑事! 拘束を解いてください!」

 私は顎を地面に擦りつける体勢で訴えた。

「ダメよ。まだ、あなたたちが奴の仲間じゃないとは……」

 我慢の限界だ。

「ふざけんなくそ刑事! このままじゃ誰か死ぬぞ!」

 卯月と私が睨み合う。

「卯月刑事」

 そんな中、秋人だけが冷静だった。

「このままでは姫宮さんの止血すら出来ません。僕はもういいので、ナツ姉の拘束だけでも外してもらえませんか」

 卯月の逡巡は数秒だった。

 カランと折りたたみナイフが姫宮の鼻先に放られる。

「すぐ返して。ナツちゃんだけよ」

 唯一前向きに両手を拘束されている姫宮がナイフを拾う。肩が痛むのだろう。片目を瞑りながら折りたたみナイフを展開する。私は寝そべったまま身体を回転させて後ろ手を姫宮に向ける。

 卯月はその様子を用心深く見つめながらリボルバーのシリンダーに新しい弾丸を一発ずつ装填する。

「秋人くん。敵の姿、見える?」

 秋人は「待ってください」と呟きながら膝立ちになり、玄関土間から頭を一瞬だけ突き出し、引っ込める。その動作を数回繰り返した。

「目視はできません。多分、土間の方に伏せているんだと思います」

「状況は一緒ってことね」

 膠着状態というやつだ。

 ブチリ。後ろ手の拘束が外れた。ようやく両手が自由になる。

 私は「ありがとう」と姫宮に囁くと、無言で折りたたみナイフを受け取った。自然な動作だったからだろう。姫宮も特に抵抗なくナイフを私に委ねた。

 私はナイフを手に、膝立ちのまま頭を屈める土下座のような体勢の秋人の背後に回った。

「ちょ! 何してるの! 拘束を解いてもいいのはあなただけよ」

 私は無視した。秋人の手首を縛るパラコードにナイフの刃をあてがう。

「止まりなさい。その行動は許可しません」

 チャキリと音を立ててリボルバーのシリンダーが戻され、そのまま銃口が私に向けられた。

「ナイフの刃をしまって私に返しなさい。今すぐ」

 秋人が息を飲む音が聞こえる。姫宮が背後でびくりと身体を震わす。

 しかし、私はパラコードに刃をあてたまま、卯月をまっすぐに見つめた。

「撃てるの? 一般市民を?」

 数秒の沈黙。緊張した空気が玄関土間に落ちる。

 卯月が溜め息をついて拳銃を降ろした。同時に私はパラコードを切断した。秋人の両手が解放される。

「ナイフ、お返しします」

 卯月が苦虫をかみつぶしたような顔でナイフを受けとり、「こうなったら一蓮托生よ」と吐き捨てた。

「好きにしなさい」

「どうも」

 秋人はハンカチを取り出すと、私に渡した。私はその布を使ってすぐさま姫宮の肩の止血を始める。

「……あんた、よくやるわね」

 傷口を縛られる痛みに顔をしかめながら、姫宮が呟く。

「ナツ姉だからね」

 秋人がくすりと笑った。


「相手の動きがないわね」

 卯月が呟きながら土間の方を伺う。流石に堂々と頭を突き出す訳にはいかないので、チラチラと小刻みな動きではあるが。

 秋人が卯月の拳銃を見つめる。

「弾はあと何発ですか」

「・・・・・・五発よ」

 五発。

 五発もあると考えるのか、五発しかないと考えるのか。銃撃戦の経験などあるはずがない私にはどう考えるべきなのかはわからなかったが、卯月はすでに五発を撃ち尽くし、そして全発外している。それを踏まえると、決して潤沢とは言えまい。

 チラリと私も頭を一瞬上に出し、様子を伺う。居間も土間も不気味なほどに静まり返っていた。

 そこで、居間に一本のパイプが転がっているのが見えた。筒の先から白い煙が漏れ出ている。

 さっき老婆が撃った自作銃の銃口の一つだ。発砲の反動で外れてしまったのか。

「弾の数、増やせますよ」

 秋人はそう言うと、チラリと居間の方に視線をやった。

「なんなら、爆弾だって」

 その視線が居間に放置されたスーツケースに向いているのだとわかり、私は「ふざけないで」と秋人を睨み付けた。

「犯罪組織の銃と爆弾よ。そんなの使って良いわけ……」

「いえ。試してみる価値はあるわ」

 驚くべき事に卯月は秋人に同調した。

「卯月刑事!?」

「もちろん、爆弾は論外よ。でも、拳銃なら」

「戦争でもするつもりですか」

 卯月は私の目を静かに見た。

「そうね。そしてすでに開戦してる」

 私はかぶりを振った。

「逃げるべきです」

 玄関扉はすぐ後ろだ。

「キャンピングカーに向けて走り出した瞬間に背後から撃たれるわよ。ここで片をつけないと」

 秋人が「一旦落ち着きましょう」と手を上げた。

「相手はおそらく土間に潜んでいます。土間の低所はこの玄関のスペースの何倍もある。おばあさんは屈みさえすればその空間を自由に行き来することが出来ます」

 その通りだ。土間はカウンターキッチンからトイレまである。カウンターの裏にだって隠れ放題だ。

「対して、僕たちはこんな狭い玄関に鮨詰め状態です。おばあさんが意を決して乱射しながら突っ込んできたらひとたまりもありません」

 いずれにせよ、ここに四人で固まっている訳にはいかないということだ。

「秋人くん。銃を扱う自信はある?」

 卯月の問いに私は瞠目した。秋人に撃たせるつもりか。

「卯月刑事!」と抗議の声を上げたが、卯月は取り合わない。秋人も卯月だけを見て答える。

「サバゲーが趣味で、年に何回か。銃口管理ぐらいはできます」

 おいおい。サバゲーってサバイバルゲームだろ。BB弾で撃ち合いっこする遊びだろ。

 今、飛び交ってるのはリアルな鉛玉だぞ。

「実銃の発砲経験は?」

 卯月の問いかけに秋人は「グアムで一度」と頷いた。

「9ミリ拳銃も撃ったことがあります。その時はグロックでしたけど」

 卯月刑事は「十分よ」と頷いた。

「ここまで来たら、あなたたちが敵の一味である線は捨てる。全面的に信頼することを前提に指示を出すわ」

 卯月は秋人をまっすぐ見つめた。

「秋人くん。私が土間を牽制する間にスーツケースを回収して。重ければ拳銃だけでもいいわ」

「了解」

 卯月は次に私と姫宮を見た。

「あなたたちはそれと同時に玄関から脱出して。キャンピングカーに避難して、私たちの合流を待って」

「ちょ! 勝手に決めないで!」

 刑事の卯月はともかく、秋人を銃撃戦の中に残していくわけにはいかない。

「秋人、一緒に逃げるよ」

 私の提案に秋人は首を横に振った。

「卯月さんを一人で戦わせるわけにはいかないよ。僕だって戦える」

 くそ。ここに来て男の子発動か。

「じゃあ、私も残るわ。二人の方がスーツケースも素早く回収できる」

 秋人は再度かぶりを振った。

「姫宮さんに誰かついていないと」

 卯月も頷く。

「そうよ。ナツちゃんは銃を扱えないでしょ。あなたも避難するの」

 私を見つめる二人の目に戸惑う。

 なんだ。これ。

 私はいつになく混乱していた。もちろん、こんな状況で冷静になどいられるはずはないが、命の取り合いは何度も経験してきた。でも、ここまで感情がかき回されたのは初めてだ。

 そこで、気づく。

 林間キャンプでも、湖畔キャンプでも、雪中キャンプでも、高原キャンプでも、私は常に一人で戦ってきた。もちろん、紗奈子やカンナなど、一緒に戦ってくれる存在はいた。だが、先頭に立つのはいつでも私だった。

 だが、今、秋人と卯月は一方的に私を守ろうとしているのだ。

 私は今、守られる側の人間なのだ。

 情けない。

 

「ナツ姉。お願いできる?」

 そう穏やかに秋人が囁いた。その目をまっすぐに見つめる。

 そこで、気がついた。

 その目には戦う力の無いものに向けられる憐憫の感情は微塵も無かった。

 そこにあるのは、私に対する、確固たる。

 信頼だ。

 私は両目を瞑って息を吐いた。

 考えろ。

 秋人も、卯月刑事も、自分ができることを考え、決断し、行動しようとしている。

 じゃあ、私は? 

 私は銃なんて撃てない。それは事実だ。使い慣れていない武器など、私に扱えるはずがない。だったら、私ができることは何だ。

 考えろ。斉藤ナツ。

 全ての可能性を考慮して。

 あらゆる危険性を予想して。

 私がすべきことは。


「……わかった」

 私は姫宮の後ろ襟を、がしりと掴んだ。

 もう片方の手を卯月に伸ばす。

「ショルダーバッグを。少しでも身軽な方がいいでしょう」

 卯月は一瞬迷ったが、「そうね」と私にバッグを託した。私はショルダーバッグを肩にかける。

「姫のリードももらいます」

 卯月は私に姫宮に片側が繋がっているパラコードの束を渡した。私はそれを受け取るとすぐに、くるくると巻いてさらに小さな束にし、姫宮の上着のポケットに突っ込んだ。私としては別に姫宮が逃走しようとどうだっていい。こんなリードを持っていても、私が動きづらいだけだ。

 卯月はそれをじっと見ていたが、特になにも言わなかった。

「卯月刑事」

 私は卯月と目を合わせた。

「合図を」

 卯月は拳銃を両手で構え、すーと呼吸を整えた。

 そして小声で呟く。

「3」

 姫宮が生唾を飲み込み、玄関の戸に手をかけた。

「2」

 秋人が上がり框の縁を掴み、膝立ちになる。

「1」

 卯月の拳銃の撃鉄が起された。

 私は息を止める。

「GO!」

 卯月が身を乗り出して、土間に向けて発砲した。

 秋人が居間に飛び出して、スーツケースに突進する。

 姫宮が戸を開け放ち、私と姫宮は同時に玄関戸を飛び出した。

 玄関先で姫宮がバランスを崩し、転びかける。それを私は後ろ襟を力尽くで引き上げ、無理矢理に立て直す。

「走って!」

 背後でさらに銃声が二発響く。威嚇射撃だろうか。それとも、老婆との撃ち合いだろうか。それすらわからなかった。

 月明かりの中、キャンピングカーが見えた。その途中に秋人の軍幕が見える。

「とりあえず、あのテントまで!」

 姫宮は肩が痛むのだろう。うなり声とも返事ともとれる声を上げた。

 二人で飛び込むようにして軍幕の中に飛び込む。

 軍幕を背にして呼吸を整える。たった十メートルほどの距離なのに、呼吸の乱れが凄まじかった。当然だ。銃撃の恐怖に加え、私はさっきまで薬で昏睡状態、姫宮に関しては肩を撃たれているのだ。

 卯月と秋人の叫びが聞こえる。悲鳴ではない。意思疎通の声だろう。銃声は聞こえない。だが、二人の声のトーンからまだ戦闘中であることはわかった。

 軍幕の内には秋人が片付けてくれたキャンプ道具が整理してまとめられていた。私はそこから武器になりそうなものや使えそうなものを素早く見繕う。

「なにしてんの? 早く車に……」

 そう叫んだ姫宮の鼻先にフィッシングナイフを突き出す。

「持ってて! 自分の身は自分で守るの!」

 姫宮は私の剣幕に慌ててナイフを受け取る。

 私は服をまくり上げると、見繕ったギアをズボンの間に差し込む。

「なにしてんの?」

「戦闘にそなえるの。二人で仕留められるとは限らないでしょ」

 姫宮はナイフを両手で持ったまま、呆気にとられる。

「そんなもので戦う気? 正気じゃない!」

「みんなそう言うわ」

 私は差したギアを隠すように上着を降ろすと再び姫宮の首の後ろを掴んだ。キャンピングカーまで十メートルあるかないか。

「走るわよ!」

 二人で軍幕を飛び出す。

 たった十メートルだ。その距離があまりに遠く感じた。

 足が鉛のように重く感じる。どれだけ走っても前に進んでいないような感覚に襲われる。薬が抜けきっていないのだろうか。

 つま先が地面の小石に引っかかった。ぐらりと私の身体が揺らぐ。

 その前のめりになった身体を、とっさに姫宮が前に出て、背中で掬い上げるようにして支えた。

 姫宮は何も言わなかった。だから私も無言で足を動かした。

 二人でもつれ合うようにキャンピングカーの黄色いボディにぶつかる。

 ガチャリと開いたスライドドアから中に飛び込む。

 キャンピングカーの車内の床の上に二人で倒れ込み、ぜえぜえと息を吐く。きっと一分にも満たない時間だったのに、まるでフルマラソンを完走した気分だった。

 私は動きたくないと駄々をこねる身体に鞭を打ってその身を起した。

 よし。ここからだ。

 キャンピングカーを運転して、屋敷の玄関ギリギリまでバックで接近する。なんなら玄関に車のお尻を突っ込ませてもいい。二人を最速で回収して、あとは全力で街まで……


「遅かったの」


 その一言に、姫宮と私は戦慄した。

 ゆっくりと車内後方をふり返る。

 老婆が、後部座席に座っていた。ゆったりと。行きしなと同じように。

 ただ、昼間と違う点は、四つの銃口を私たちに向けていたことだ。

「ドアを閉めろ。抵抗するなよ」

 老婆は窓からわずかに差し込む月明かりの下、鼻を鳴らした。

「この距離なら、外さんぞ」





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