【第7章】 廃村キャンプ編 21 遭遇
21 遭遇
十年ぶりに出会う卯月刑事は驚くほどに変わっていなかった。
つややかな黒髪、糊の利いたシャツ、高そうなスーツ。肩にはブランドものらしい黒革のショルダーバッグ。
一つ、決定的に違うのは表情だ。
いつもニコニコと笑みを浮かべていたその顔はあまりに険しかった。私の顔を焚き火越しに睨み付けている。
「座るわよ」とにこりともせず呟き、私の対面のチェアに腰を下ろす。
私は、ぽかんと口を開け、まるでタイムスリップしてきたような場違いな格好の彼女を上から下まで眺める。
「えっと、卯月刑事」
混乱してとっさに言葉が出てこない。
「お久しぶりで……」
「そういうのいいから」
絞り出した挨拶をバシリと遮られる。十年前とは構図が真逆である。
言葉を飲み込み固まる私に、卯月は言った。
「質問に答えなさい」
反論を許さない剣幕だった。「は、はい」と頷くことしか出来ない。
「あなたは、ここの会員?」
私は混乱しながらも首を横に振る。
「じゃあ、なんでここに来たの?」
私は顔に穴を開けられそうな強い眼差しに戸惑いながら、質問の意味を考えた。キャンパーがキャンプ場にいる理由など一つしかないではないか。だから私は素直に答えた。
「キャンプを、したかったから」
卯月は眉間に皺を寄せた。まるで私の言葉が信じられないとでも言うように、今度は卯月が私の全身を探るように見る。
聞きたいことはそういうことではなかったのだろうかと気を回し、言葉を探す。
「えっと、私、招待されたんです。ここの事を発信して欲しいって……」
卯月の目が細められる。
「……卯月刑事?」
卯月がちらりと屋敷の方を見る。
「どうしたんです。何かあったんですか」
「最後に、一つ聞かせて」
卯月は私に向き直った。焚き火の炎で、赤く照らされた卯月の表情はこれ以上無いほどに強ばっていた。その顔から卯月の心情を読み取ろうとするが、定まらない。緊張? 苛立ち? 怒り? 葛藤? あるいは。
恐怖?
「あなたは、ストローマン?」
ストローマン?
聞き慣れない言葉に、脳が混乱する。「ストローマン?」と思わずオウム返しをする。その反応が答えになったのか、卯月は大きな溜め息をついて目をつぶった。困惑する私を置いて卯月は即座に立ち上がった。また屋敷に視線をやる。
「ナツちゃん。今すぐここを出なさい」
「は?」
いきなり何を言い出すんだこの人は。
「あれで来たんでしょ」
卯月は顎をしゃくって黄色いキャンピングカーを指す。
「な、何か危険なんですか?」
「わからない」
卯月は真剣な眼差しで私を見つめた。
「でも、嫌な予感がする。何もおこらないうちに車に乗って帰りなさい」
「で、でも」と私はしどろもどろになりながら言った。
「お酒、飲んじゃったし……」
飲酒運転は、よくないだろう。
卯月は一瞬呆気にとられたような表情を浮かべ、何かを言おうと逡巡し、そして諦めたように息を吐いた。
「……何かあったら合図して。助けられるかはわからないけどね」
卯月はすっと背を向けると足早に暗闇に向かって進み出した。
「ちょ! 卯月刑事!」
思わず立ち上がった私に、卯月刑事は背中越しに呟いた。聞こえるか聞こえないかの小さな声で。
「あのおばあさん」
おばあさん? ウメのことか。
卯月が身体の半分を夜の闇に飲まれた状態で立ち止まる。
「彼女から目を離さないで」
それだけ言うと、卯月の背中はすっと暗闇に飲み込まれていった。
目を離すな?
どういう意味だ?
彼女の身に、何かしらの危険が迫っているのか。それとも。
彼女の存在が、危険なのか。
「どうしたの。ナツ姉」
背後からの声に飛び上がる。
振り向くと、秋人が首を傾げていた。
「真っ暗闇、見つめちゃって。酔っちゃった?」
私は秋人の顔を見つめながら、「そうかも」と呟き、自分の頬に触れた。火照っている。あれだけビールを飲んだのだから当然だ。
「座っときなよ。片づけ、僕するからさ」
そう気遣うように微笑む秋人に「ごめん」と呟いて椅子に座り込む。
あっという間の出来事に脳の処理が追いついていない。さっきまで卯月が座っていたチェアを見つめる。彼女は本当にいたのだろうか。
「ねえ。秋人」
焚き火台に残った炭を火消し壺に移す手を止めずに、秋人は「なに」と相づちを打つ。
私は数秒黙ったあと、秋人の横顔を見つめた。
「さっき、ある人に会ったの」
「え、誰に?」
ヘキサゴンを抱えるきょとんとした秋人と目が合う。
「ここにいるはずがない人」
焚き火台を片付ける秋人の動きがぴくりと止まる。
私の表情から何かしら感じ取ったのか、秋人の顔も緊張する。手にした六角形の金属板をゆっくりと折りたたみ、地面に置く。片膝をつき、私の目線の高さに合わせる。
「……誰?」
私は、唾を飲み込んで言った。
「卯月刑事」
秋人は数秒間固まり、そしてふっと笑うと、立ち上がった。
「うん。酔ってるね」
だよなあ。
「ほんとだって。スーツ着てたよ。黒のパンツスーツ」
「はは。懐かしいね」
秋人は「キャンプ場でスーツかあ」と愉快そうに笑いながら折りたたまれたヘキサゴンを専用ケースに入れた。
やっぱ、おかしいよな。
「なんかね、危ないから逃げろって言ってたよ」
「そっか。そっか」
秋人は取り合ってくれなかった。当然だ。私だって自分の見た物に半信半疑なのだから。
卯月が座っていたチェアは例の秋人が買ってきた高級チェアだ。一見、ただの丈夫そうな椅子だが、実はかなり軽量で、ワンタッチで縦に折りたたむことが出来るらしい。秋人はカチリとサイドのボタンを押して背もたれを蛇腹状に重ねて収納する。
さっきまで卯月刑事が座っていたチェアは、あっという間に秋人に折りたたまれ、袋にしまわれてしまった。