【第7章】 廃村キャンプ編 20 キャンプ飯
20 キャンプ飯
川魚の天ぷらは想像していたような臭みは一切無く、普通に美味しい白身魚という感じだった。からっと揚がっており、薄い衣の油と淡泊な白身が絶妙な塩梅で、いくらでも食べれそうだった。
「うまいか」と得意げに聞いてきた老婆に、私は素直に頷く。
「超うまい」
秋人が「これも美味しいといいけど」とシェラカップに取り分けたペペロンチーノを差し出してくる。
チタン製のキャンプ用フォークでパスタを巻き取り、頬張る。
「うん。最高」
注文通りニンニクがよく利いているがやり過ぎていない。分厚いベーコンの贅沢な肉感の中に鷹の爪がピリリとほどよいアクセントになっていた。オリーブオイルの香りがふわっと鼻腔をくすぐる。いいのを使ってるな。
「よかった」と秋人は安堵したように笑いながら、おでんも三人前取り分けてくれた。私の分にはきっちり餅巾着が入っていて思わず笑ってしまう。
「儂にも餅巾入れてくれ」
「おばあちゃんも好きなの?」と秋人が嬉しそうに言うと、「おでんと言えばおでんくんじゃろ」と老婆は鼻を鳴らす。いたなあ。教育番組のアニメで餅巾着のキャラクター。懐かしい。
「喉につめないでよ」と声をかけると、「老人扱いすな」と睨まれた。老人だろうが。
話の流れで三人同時に餅巾着にかぶりつく。じゅわりと出汁がしみ出し、半分とろけた餅と混ざり合う。
「うん。おいしいね」
「悪くないわ」
「まあまあじゃな」
それぞれが各々の感想を呟くが、川魚の天ぷらや秋人ペペロンチーノの前では少し薄らいでしまう出来ではあった。出来合いのスープを使ったから仕方あるまい。店長秘伝の出汁の再現は流石に出来ない。
まあ、いい。煮物なんてそんなもんだ。
「はい。七味」
私が持ってきた小瓶を三人で回す。
老婆は小瓶を眺めて片方の眉を上げた。
「おでんに七味か」
「物は試しよ。ためしてみれば?」
老婆は「ふむ」と頷くと、自分のシェラカップにぱっぱと振りかけ、牛すじにかぶりついた。無言で頷く。悪くなかったらしい。
秋人が鍋をのぞき込んで呟く。
「……なんか、牛すじの比率多くない?」
「なによ。肉は多い方がいいでしょ」
「大根の倍は入っとるぞ。バランスというものを知らんのか」
「ナツ姉。野菜は肉の三倍食べなきゃならないんだよ」
「うるさいわね。嫌ならとらなきゃいいでしょ」
わちゃわちゃとくだらない話をしながらも、ご馳走は順調に減っていった。
まずはペペロンチーノが無くなった。
次にてんぷらの最後の一個を三人でじゃんけんした。私が勝ったのだが、老婆に後出しをしたと難癖をつけられ、口論している間に秋人がこっそり口に入れてしまった。
おでんの具も残り少なくなる頃には、いつのまにかビールの空き缶で小山が出来ていた。
「初めてやったが、楽しいもんじゃな」
ぽつりと、老婆が呟いた。ほんのり顔に赤味が差している。
「なにが? 揚げ物?」
「馬鹿にするな」と老婆は口の端を曲げながら、ビール缶を呷った。
「キャンプじゃよ」
ふーと吐いた息がわずかに白くなる。
「若いもんの間で流行っとる、くだらない遊びだと馬鹿にしておったが」
老婆はすっかり勢いが落ち着いた焚き火を見つめた。
「物は試しじゃな。もっと早くやっておけばよかった」
私は首を傾げた。
「別に、キャンプを始めるのに、早いも遅いも無いでしょ。いつでも始められる趣味なんだから」
私の率直な意見に、老婆は静かに首を横に振った。
「いや、遅すぎたよ」
ぽかんとしている私と秋人を尻目に、老婆はすっと立ち上がった。
「馳走になった。先に家に入る」
「あ、うん」
老人に夜風はこたえたのかもしれない。老婆は秋人に片手を挙げた。
「坊主。ぺぺろんスパゲッティ、うまかったぞ」
「よかった。ありがとう」
「おでんは?」と尋ねる私に、老婆は口角をひん曲げた。「まあまあじゃ。出汁が微妙じゃった。ちゃんと昆布と鰹節、入れたのか?」
だから市販のやつだって。
「鰹節はあらかじめ熱して粉にするのがコツじゃ」
「知らないわよ」
「あと、具のセンスがない。肉が多すぎる」
「くそばばあ」
「ヒッピー娘」
老婆は鼻を鳴らすと、肩越しに手を振って、屋敷の中に消えていった。
「さらえちゃおうか」という秋人の提案に、「そうね」とおでんの具材を二人で分ける。
「ナツ姉は、高校の頃のこと、どれくらい憶えてるの」
「うーん。あんまり」
正直、記憶の所々にもやがかかってる感じだ。奈緒や春香との記憶もそうだった。再会して会話をしているうちに徐々に記憶の中の霧が晴れていくように過去の出来事がよみがえっていく。まるで巻き戻しのように。
「でも、おでんのことは憶えてるんだ」
「ええ。駐車場でよく二人で食べたわね。おいしかった」
秋人が微笑む。焚き火に照らされた横顔が温かく揺れた。
「あれも、憶えてるわよ。あんたの万引き癖」
「やめてよ。黒歴史だ」
「ああ、あと、あれ。高三のヤンキーにパシられてた」
「なんでそういうことばっかり憶えてるんだよ」
高校の廊下でドレッドヘアの不良に頭を小突かれている秋人の姿を思い出す。
「いかにもな感じのヤンキーだったわね。名前なんだっけ」
「拓也だよ。拓也くん。水泳部の元エース」
「なんで、不良界隈ってみんな、くんづけなのかしら」
「わかんない。深く考えちゃダメだよ。異文化だから」
私はビールを呷りながら、「ダサかったわねあんた」と笑った。
秋人もビール缶を傾けながら「なんだよ。ナツ姉なんて学校中から無視されてたじゃん」とすねたように言う。
「そうだったかしら。憶えてないわ」
「嘘つけ」
ふたり同時に吹き出した。
決して楽しい高校生活ではなかった。
つらい事も、寂しいことも、自尊心が傷つけられたこともあった。
だが、今では酒を飲みながら笑い飛ばせる程度の話だ。
二人とも、大人になったのだとしみじみ思う。
「トイレ行ってくるよ」
秋人がおもむろに立ち上がる。私は腕時計に目をやった。いつの間にか夜もかなり更けている。
「いい時間だし、戻ってきたら片付けましょうか」
「おっけー」
秋人は少し頼りない足取りで屋敷に向かう。
「トイレの前に井戸あるわよ。貞子が出てくるやつ」
「やめてよ。怖いな」
私は軽く笑い、後ろ手に手を振った。秋人の足音が遠ざかっていく。
さて。片せるものは片しときますか。
椅子から立ち上がらずに済む範囲で、シェラカップを集め、紙皿はゴミ袋に放り込む。
鼻歌を歌いながら作業をしている私の耳が、早足で近寄ってくる足音を拾った。
秋人か。随分早いな。何を急いでいるんだ。
だが、そこで気づく。足音は屋敷の反対側から近づいてくる。秋人ではない。老婆でも。
ぱっと顔を上げた私は面食らった。
長身の女性が立っていた。
キャンプ場に似つかわしくない、パンツスーツ、手入れの行き届いた長い黒髪、縁の細い眼鏡。
彼女は緊張の面持ちで言った。
「……あたらせてもらってもいいかしら」
私は急速に記憶が巻き戻っていくのを感じながら、思わず呟いた。
「……卯月刑事」