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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 19 高校時代6


 19 高校時代6


「いい? 今日で最後よ」

 念を押す私に、秋人は「わかったよ。調査は今日で最後にする」と素直に頷いた。

 屋上での一件は秋人としても反省しているようだった。自身の興味本位で関係者の心をかき乱したのだから、当然だろう。本当はあの日で問答無用で探偵ごっこは打ち切らせるつもりだったのだが、予想外の形で事態が動いた。

 屋上の一件の数日後、私の下駄箱に一枚のノートの切れ端が突っ込まれていた。差出人は書かれていなかったが、姫宮であることは容易に想像できた。


『警察にも言ってないけど、あの子が、家を出てしばらくしたあと、一度だけ会った』

 そんな唐突な一文から始まった短い手紙は随分と一方的な内容だった。

『家出した子のコミュニティがあって、そこで生活してたらしい』

 その下には住所が書かれていた。ビルの名と思われる物も。

『ここの四階がその一つらしい。それ以外は本当に知らない』

 そこで文は終わっていた。


 このことを秋人に伝えるかどうかは正直迷ったが、あまりに消化不良で終わらせてしまうと、秋人は一人でも無茶をしそうだ。やるとこまでやったと感じさせての幕引きなら秋人も納得するだろう。

 それに、姫宮がわざわざ私に警察にも言わなかったようなことを伝えたのかを考えてしまった。彼女も非行少女の死について思うことや後悔があったのだろう。私たちとの対話でそれをほじくり返され、罪悪感から衝動的にあんな手紙を書いてしまったのだろうと思う。結果的に私たちが無理矢理こじ開けた情報を、私たちが捨て置くことなどできない気がした。

 ということで、送られてきた住所を調査するため、土曜日の午後に繁華街の駅で秋人と落ち合って今に至るのだが。

「……なんで、あなたがいるんですか」

 私は秋人の背後の人物を睨み付けた。

「ごめんねー! デートの邪魔しちゃって!」

 卯月刑事はペロリと舌を出していたずらっぽく笑った。

 秋人が自慢げに胸を張る。

「最近、知り合ったんだ。刑事の卯月さん」

 私は秋人を無視して女刑事に「どうやって秋人に?」と詰め寄る。

 卯月刑事はわざとらしく顔の前で両手を振る。

「偶然だよ。偶然。この前、偶然コンビニいったら、偶然、二人がおでん食べてるをみかけてー。あまりに美味しそうだから、つい彼に話しかけたちゃったの。おすすめの具材はどれって」

「意味がわかりません」

 卯月刑事は秋人と私を見比べながらふふっと微笑んだ。

「バイト先で買い食いなんて。アオハルだねー。お姉さん羨ましい」

 くそ。学校終わりに尾行されたのか。油断した。「この話はおしまい」などとよくもまあ言ったものだ。

「で、がんもをおすすめされて食べてみたけど、めっちゃ美味しいね。あそこのおでん! お出汁が格別!」

 親しげに笑う美人のお姉さんに秋人が相好を崩す。

「ナツ姉は餅巾着が好きなんだよ」

「秋人。黙れ」

 別にそこまで好きじゃねえよ。店長が勝手に毎回入れてくるだけだ。

「え、そうなの。じゃあ、私、次は餅巾食べてみよー」

 そう言って調子よく笑う卯月刑事を睨め付ける。

「で、今日はなんのご用ですか? 私たち、用事があるんで、偶然、通りかかったのであればさっさと立ち去っていただきたいのですが」

「あ、違うよナツ姉。僕が呼んだんだ」

 私は無邪気にそう言った秋人に目を剥いた。

「はあ?」

「調査に協力してくれるって」

 卯月刑事がウンウンと頷く。

「新情報が出たと聞いてね。すごいね君たち。警察でもつかめなかった手がかりを見つけてくるなんて。お姉さん、休日返上で駆けつけたのよ」

「頼んでません」

「僕が頼んだんだよ」

 秋人は得意げに言う。

「卯月刑事はね、捜査が打ち切られたあとも、独自に調査を続けてたんだって。そんな本物の刑事さんがいれば、百人力だよ」

 だめだ。完全に懐柔されている。

「いや、だったら、まず始めに私に相談しなさいよ」

「え、だって、二人、仲いいんでしょ。ナツ姉、交渉したって言ってたじゃん」

 くっ。変にはった見栄の代償がこれか。

 歯ぎしりする私に、卯月刑事がすっと身を寄せてくる。

「ナツちゃん。突然ごめんね。私もだまし討ちみたいな真似は心苦しかったんだけど、まともに話を通してもナツちゃん、同行許してくれないだろうと思って」

 当然だと憤慨する私に、卯月刑事は両手を合わせた。

「お願い。家出した子達の隠れ家なんて、私単身じゃ絶対潜入できない。十代の君たちがいるだけで聞き込みの成功率が段違いに跳ね上がるの」

 そう言う卯月刑事はいつものパンツスーツではなく、大きめのパーカーとチノパンをカジュアルに着こなしていた。似合っているし違和感はないが、確かに十代には見えない。せいぜい女子大生だ。

「……捜査はもう打ち切られてるんですよね。なんでそこまでして?」

 卯月は愛想笑いをひっこめて、私を見つめた。

「あなたたちと一緒よ。まだ高校生だった子供が薬物で死んだ。どれだけ非行少女だったとしても、自業自得で済ませていいわけがない」

 卯月刑事は私の身長に合わせて曲げていた膝を伸ばして胸を張った。

「あの子に薬を売りつけたクズがいるはず。そいつらを根絶やしにするまで、私は捜査を終わらせるつもりはない」

 私は卯月刑事の愛想笑いの下に隠されていた信念にあてられた気がして、半歩後ろに下がった。なるほど。秋人と気が合いそうだ。

 ここで私が無理に断っても、この女刑事はどうせこっそりついてくるだろう。

 それに、卯月刑事の言葉で気づいたが、薬の売人のような危険な輩が出てこないとも限らない。現職の刑事が側にいるのは何かと心強いのも事実だろう。今日はエアガンも木の枝も持っていないしな。

「……わかりました。ですが、何があっても今日で私たちは終わりにするつもりですので」

「うん。らしいね。じゃあ今日だけ」

 卯月刑事がすっと右手を差し出して来たので、渋々握る。

 秋人はそれを見て興奮が抑えられないというように叫んだ。

「警察と霊能力者の合同捜査だ! アツすぎる!」

 お前は海外ドラマの見過ぎだ。




「ん? そんな名前の子いたかなあ」

 イッカと名乗った少女はポリポリと頭を掻きながら、私たちを室内に通した。

 居酒屋やバーが建ち並ぶ通りの一角に建った、廃墟と見間違う雑居ビルの四階の一室。「配送サービス ライティング 事務所」とわりかし小綺麗な看板がかかったドアから出てきたのは、私と大して歳が離れていなさそうな小柄な少女だった。ぼわっとした服をだらしなく着ている。片方の肩がむき出しなのは、服のサイズが合っていないのか、それともそういうデザインなのか判断がつかなかったが、黒髪童顔のわりに手足の爪が綺麗に真っ赤に染めてあるし、ピアスもハイセンスなものをつけているので、おそらくファッションなのだろう。世の中にはいろんなお洒落がある。

「まあ、適当にどうぞ」

 イッカが指し示す先には事務所にふさわしく対面のソファが置かれていた。が、間にあるテーブルの上にも床にもなんならソファの上にも段ボールやら中身の詰まった買い物袋なんかが所狭しと置いてあり、座れそうにない。

「ごめんなさい。散らかってて。適当にどかして大丈夫なんでー」

 そう言うイッカ自身も段ボールを足で押しのけてソファに腰を下ろした。物に溢れているが不思議と不潔な感じはしない。埃がほとんど積もっていないのだ。不衛生なわけではなく、きっと物の行き来が激しいだけなのだろう。

 私たちは流石にイッカのように段ボールを足蹴にすることはできず、手で床に積み上げるようにして荷物を移動させ、イッカの対面になんとか三人並びに座る。

「姪っ子さん、ほんとにここにいるって言ったんですか?」

 イッカの問いに卯月刑事は「ええ」と笑顔を作る。

「一年前まではよく連絡してたんですが、最近連絡がとれなくて」

 イッカは探るように私と秋人を交互に見た。

「その二人は?」

「兄妹です。わけあって家族バラバラになったんですが、私がこっちに就職先を見つけたので、これを機に部屋を借りてみんなで暮らせたらなと」

「ふうん」

 イッカは道中三人で擦り合わせた設定をそのまま鵜呑みにはしてくれないようで、疑わしげに私たちを上目遣いに眺めた。

「警察とか、探偵じゃないでしょうね」

 秋人がピクリと肩を揺らす。その動きを誤魔化すように卯月刑事が大仰に笑った。

「そう見えます?」

 イッカはしばらく黙って私たちを観察していたが、「見えない」と肩をすくめた。

「ごめんなさい。疑って。でも、多いんですよ。嘘ついて家出した子を探りにくる輩。うちはそういう子達にとって、最後のセーフゾーンなんで。こっちも適当なことは出来なくて」

「はい。姪からもそう聞いています」

 事務所の奥にはドアがあり、その先にも部屋があるようだ。テレビの音やら話し声が微かに聞こえる。あの先で家出少年や少女が生活しているのだろうか。

「でも、姪っ子さんの名前は聞き覚えないです。まあ、そもそも本名を名乗らない子も多いんですけど」

 卯月刑事は一枚の写真を取り出し、「この子です」とテーブルの上の段ボールに載せた。私も校長室で見せられた画像だ。プリクラか何かの写真を切り取って引き伸ばした、派手派手しい髪色の少女の写真。

 イッカはその写真を一瞥した瞬間、「ああー」と呻いてソファに仰け反った。

「サニーちゃんだ」

「さにー?」

 私が「源氏名的なやつですか」と口を挟むと、イッカは「違う違う」と手を振った。

「うちはグレーな仕事を家出ちゃん達に回してはいるけど、水商売だけはやってないの。別に卑下している訳じゃないけど、やっぱそこは一つのラインではあるから」

 イッカはふっと表情に陰を落とした。

「一度ライン越えちゃうとね、どこまでも行っちゃう子は行っちゃうからさ」

 童顔の少女のその言葉は形容しがたい凄みがあった。秋人が隣で唾を飲み込む音が妙に響く。

「じゃあ、ただのあだ名?」

 卯月刑事の問いにイッカは表情を戻した。

「うん。いつもやたらニコニコしてるから、ここではそう呼ばれてました」

 イッカはソファに座り直しながら申し訳なさそうに頭をかいた。

「でもごめんなさい。サニーちゃん。もうここにはいなくて」

 私と秋人は顔を見合わせた。もちろん、彼女がここにいないことは百も承知だが、イッカの口ぶりから察するに、どうやら彼女はサニーちゃんの死を知らないらしい。

 それを卯月刑事も悟ったのだろう。「今はどこにいるかわかります?」と白々しい質問を投げかけた。

「ごめんなさい。わかんないんです。全然話聞きません。他の街に行っちゃったのかも。ここを追い出された手前、気まずくなっちゃったのかな」

「追い出された?」

 秋人が身を乗り出す。

「出て行ったのではなく?」

 イッカは「始めはね、うまくやってたんですよ」と表情を曇らせた。

「ご存じかと思いますけど、あの子、人当たりすごくいいから。ちょっと天然というか、おバカだったので、仕事は任せられなかったけど、みんなに好かれてた。うちには心を閉じちゃったような子も何人もいるんだけど、あの子、空気読まないというか読めないから、そんな子達にもがんがん話しかけるんですよ。んで、無理矢理こじ開けて最後には仲良くなっちゃうんです」

 私は卯月刑事が段ボールの上に置いた写真を改めて見つめた。誰かと肩を組み、ピースをして笑う少女。

 まるで太陽のように笑う少女。だからサニーちゃん。

「まっとうなバイト先まで自分で見つけてきてて。これはサニーちゃん、そのうち卒業かなって話をしてたんですけどね」

 イッカは溜め息をついた。

 卯月刑事が「何か問題が?」と続きを促す。イッカは言いづらそうに視線を彷徨わしたあと、観念したように言った。

「あの子、ある日、周りに聞き始めたんです。薬がどこで買えるか知らないかって」

 卯月刑事が「ああ」と声を漏らす。私ももう、話の流れ的に薬局を探しているということではない事ぐらいわかる。

 イッカは眉間に皺を寄せながら話を続けた。

「それもうちのメンバーに手当たり次第ですよ。ほんとバカ。タバコとか、お酒だとかなら別にうるさく言わないんですけどね。薬はね。流石に」

 イッカは両手の赤い爪を組み合わせて顎を乗せた。

「さっき水商売は御法度だって言いましたよね。もう一つ、ここで絶対やっちゃいけないのは薬です。一度でも手を出したら終わりなんで」

 イッカは両目をふっと閉じた。

「せめて、ハッパぐらいなら、なんとか誤魔化してあげれたんだけど……」

「え? 大麻だけじゃなかったんですか?」

 秋人が驚きの声を上げる。イッカも驚いて問い返す。

「え、サニーちゃん、ハッパは前からやってたの?」

 イッカに見つめられ、秋人は「ええと」と言葉に詰まった。卯月刑事が即座に助け船を出す。

「大麻に手を出してるかもしれないと、噂には聞いてたんです。他の知り合いから」

「ああ。やっぱりそうなんだ。お決まりのコースですね」

 イッカは納得したように頷いた。

「みんな、始めはタバコに似てて抵抗の少ない大麻から入るんですよ。そして、もっと強いのが欲しくなって、次のステージへ。覚醒剤に手を出しちゃう。もうそこまで行ったらまず戻れません」

 サニーちゃんは、次のステージに進んでしまったわけか。

「うちのコミュニティで薬なんて流行らす訳にはいかないんで。サニーちゃんには出て行ってもらう事になりました」

 イッカは暗い表情でソファに沈み込んだ。

「やるせなかったですよ。私からサニーちゃんに話したんですけど、あの子、きっと、最後までなんのことかよくわかってなかった」

イッカはサニーちゃんの写真をじっと見つめる。

「でも、私が困ってることはわかったんでしょうね。自分が困らせちゃってるって事も。だから、サニーちゃん。自分で荷物をまとめて、出て行きました。目を潤ませながらも笑顔で手を振って、出て行きました」

 隣で背筋を伸ばしていた秋人の肩からゆっくりと力が抜けていくのを感じた。

「その時は、ここを守るためにそうするしかないと思ったんですけど、今では後悔してます。もっと私にできることがあったんじゃないかって。あかりさんならどうしただろうって」

 卯月が「あかりさん?」と小首を傾げる。

「ああ、すみません。このコミュニティの創設者です」

 イッカは思い出すように宙を見つめた。

「すごい人だったんです。あかりさん自身も、もともとは家出娘だったのに、いろんなところにコネを作りまくって、ここのシステムを完成させた。いろんな子が転がり込んでくる中で、あかりさんがいたからここはまとまってたんです」

「その人、今は?」

 卯月の問いにイッカは肩を落とした。

「それこそ一年ほど前、ここを私に引き継いで出て行きました。イッカなら任せられるって言って」

「買いかぶりですよ」とそう呟いて、イッカは顔を歪めた。

「私なんかが、あかりさんになれる訳、ないのに」

 その表情と声色だけで、彼女がどれほどの重責の中、このコミュニティを運営しているのかがうかがい知れた。

 イッカには能力がある。それは間違いないのだろう。責任感もある。熱意だって。

 でも、彼女はあかりさんとやらでは、ない。

 人はどれだけ頑張ろうと、自分以外の誰にもなり得ないのだから。

「あの時も、あかりさんさえいれば」そう呟いてイッカは目尻を拭った。

「あかりさんは、社会の枠組みからこぼれちゃった子が最後の最後で踏みとどまれるようにって、ここのシステムを作ったんです。でも、跡を継いだ私は、サニーちゃんを止めてあげられなかった」

 イッカはわずかに声を震わした。

「あの子には、もうここしか残ってなかったのかもしれないのに」

 私の脳裏に、あの廃ホテルの、荒廃した地下駐車場が浮かんだ。暗く、冷たいアスファルト。

『腐乱死体を飛び越えて、ほとんど白骨化していた』

 

 イッカは気持ちを切り替えるように、両膝を叩いて立ち上がった。

「ごめんなさい。お力になれなくて」

 私たち三人も連動するように立ち上がる。

「いえいえ。こちらこそお忙しいところすみません」

 卯月が深々と頭を下げ、私もそれに倣う。秋人は放心したように突っ立っていた。

「姪っ子さん、サニーちゃん、見つかるといいですね」

 そう言ってイッカは白い手を差し出した。一度取り乱しかけたイッカはすでに完全に持ち直していた。過去の事に悩んでいる暇は無いのだろう。彼女はこれからも行き場のない子ども達の最後の砦であり続けねばならないのだから。

 卯月の手には段ボールの上から回収した写真が握られていたので、イッカの伸ばした手をとっさに私が握る。随分と細い指だった。

「サニーちゃんに会えたら、伝えてください。あの時、力になれなくてごめんと」

 私は、言葉に詰まった。絶対に不可能なことを約束することは、たとえ形だけでも出来なかった。だから、私はただ、頭を下げた。

「ありがとう、ございました」

 



 私たち三人は夕暮れの繁華街を無言で歩いた。

 先頭を歩く卯月は何度か私たちの方を心配そうに振り向き、何度か口を開こうとしたが、結局何も言わずに前に向き直った。

 秋人は行きのハイテンションとは打って変わって、うなだれたように足下を見つめてトボトボとつま先を地面にこするように歩く。私はその歩幅に合わせるようにしながら、その表情を失った横顔を見つめた。

 調査は、終わりだ。

 深夜の廃墟に忍び込み、警察を殴りつけ、逃げ惑い、校長室での尋問を乗り切り、同級生の傷を抉ってまで情報を聞き出し、必死に子ども達のためのコミュニティを運営している人に嘘をついて話をさせて。

 待っていたのは、これ以上ないほどに、何も無い結末だった。

 一人の不幸な少女が、道を踏み外し、底の底まで落ちてしまった。

 そして、それを、誰も助けることが出来なかった。

 ただ、それだけの話。

 警察の発表と一寸も違わない。

 隠された真実も、驚きの真相も無かった。

 きっと世の中に腐るほどある、やるせない話の一つでしかなかった。


「事実ははっきりしたけど、私の仕事は変わらないわ。あの子に薬を売りつけた売人を見つけ出して、罪を償わせてやる。約束するわ。それが私の仕事だから」

 駅の改札の前。両手を腰に当ててそう宣言した卯月刑事に、私は無言で頭を下げた。秋人も連動するように私の動きを真似る。

 卯月刑事は何か言いたげな表情で数秒その場に佇んだが、ふっと肩の力を抜くと、両手で私たちの肩を同時にポンと叩いた。

「霊能探偵さん。とその助手くん。捜査協力に心から感謝します」

 卯月刑事はすっと右手を挙げ、はっとするよう綺麗な敬礼を私たちに向けた。

「あとは大人に任せて、気をつけて帰りなさい」

 

 卯月刑事が改札を抜けてその背が見えなくなったところで、私も「じゃあ、また」と足を踏み出そうとした。その背に「ナツ姉」と秋人が声を張った。

「なに?」

 ふり返った私に、秋人は両手を握り締めて尋ねた。

「あの、ビル、部屋に、彼女はいた?」

 私が意味がわからずに首をかしげると、秋人は焦れたように繰り返した。

「死んだ女子高生、あの部屋に、例えばイッカさんの後ろとかに、いた?」

 私は一瞬言葉に詰まった。だが、ゆっくりと秋人に向き直り、すがるような目をする少年に言放った。

「いいえ。いなかったわ」

 秋人が泣き出しそうな顔をする。

「彼女は、どこにもいない。死んだんだから」

「でも、でも、幽霊になってたら」

「死んだ人の全員が幽霊になるわけではないのよ」

「でも、でも」と秋人は肩を震わせた。

「あんまりじゃん。可哀想じゃん。あの子、まだ、高校生だったんだよ」

 秋人はくしゃりと歪めた顔で繰り返した。

「まだ、まだ、僕たちと同じ」

 子供だったのに。

「聞きたいことも。言いたいことも、話したいことも、伝えたいことも、きっとたくさんあるはずなんだ。あったはずなんだ」

 私はゆっくりと秋人に背を向けた。

「あの子の幽霊がさ、もしいたら、見つかったとしたら」

 私は改札に向けて歩き出した。

「ナツ姉、降霊してあげるんでしょ。出来るんだもんね。出来るって言ったもんね」

 秋人が声を張る。最近声変わりした、大人の喉を震わせて。

「やってあげるんでしょ! ナツ姉!」

 絶対に不可能なことを約束することは、たとえ形だけでも、私には出来ない。

 だから私は、無言で改札を抜けた。




「懐かしいね」

 湯気に包まれたダッチオーブンを見つめて、そうしみじみと呟いた秋人に、私は外した蓋を地面に置きながら「でしょ」と笑った。

 老婆が秋人の肩越しに鍋をのぞき込み、「ほお」と声を上げた。

「おでんか。うまそうじゃな」

 焚き火台の真上にトライポッドで吊されたダッチオーブンには、私が下準備しておいた具材がみっちり詰め込まれ、出汁の中でぐつぐつ煮えていた。

 大根、卵、こんにゃく、がんも、ちくわ、はんぺん、牛すじ、それから、餅巾着。

「しかし、キャンプでおでんというのは定番なのか? お決まりはカレーとかではないのか」

「僕たち二人の青春の味なんだよ」と笑った秋人に、老婆が怪訝な面持ちで「おでんがか? 随分とじじばば臭い青春じゃな」と返す。お前が言うな。

 燃えさかるヘキサゴンを中心に組み込む形で展開されたテーブルの上には完成したご馳走が並べられていた。

 老婆が揚げた川魚の天ぷら、秋人の野菜たっぷりペペロンチーノ、そして焚き火台の上につり下がった鍋の中にはたっぷりの私特製おでん。

 ご機嫌な夕食である。

 秋人がクーラーボックスからビールを三本取り出す。

「では、再会と出会いを祝して」

 乾杯。





 続きは明日21日朝8時から投稿します。

 よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
あっあかりさぁん...
岸本姉の痕跡がこんなところにも!
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