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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 18 高校時代5


 18 高校時代5


「最悪。マジでキモいんだけど」

 高校校舎の屋上。姫宮ありさはベンチの上で足を組み直すと、不機嫌を隠そうともせずにカラフルに彩られた爪で茶髪を掻き上げた。私は隣の秋人にちらりと目線を送る。秋人は大仰に肩をすくめた。

 その様子を見て、姫宮は大仰に顔をしかめた。

「なに? あんたらデキてんの?」

 姫宮はわざとらしくベンチの上で身を引く。

「二年のオカルト女と、一年のパシリが? ほんと無理なんだけど」

 姫宮は鼻で笑うように言い放った。彼女を突っ立って見下ろす形の秋人が「そんなんじゃないです」と返す。隣に立つ私は訂正する気にもなれず黙って腕を組んだ。

「どうせ毎日屋上でじゃれあってるんでしょ。気持ち悪い」

 秋人がむっとした表情で言い返す。

「ナツ姉とは……」

「ナツ姉? なにその呼び方。シスコン? キッモ!」

 姫宮が大仰にその身を抱きしめる。

 私はチラリと秋人の様子を伺った。一軍ギャルにこんな仕打ちを受けたら思春期の少年にはトラウマになるのではないかと心配になったのだ。だが、秋人は毅然とした態度で言い返した。

「さっきから、すぐ恋愛ごとに結びつけたり、安直に人をカテゴライズしたり、あまりに品がないよ。キモいのはどっちだよ」

 おお。やるではないか。

 私は秋人の気合いが入った横顔を見つめた。今日の秋人さんはひと味違うぜ。そうだ、そうだ。もっと言ってやれ。

「ああ? なんでタメ口? オタクが調子のってんじゃねえぞ」

「え、いや、だって」

「だってじゃねえタコ。あたしが拓也と付き合ってんの知ってるよなあ。口の利き方考えろよ」

「へ? えっと、あの、すみませんでした……」

 秋人は拓也とやらの名前が出た瞬間、一気に小さくなり、すすすと私の背後に回った。

 よわ。瞬殺じゃねえか。

「誰? 拓也って」

 姫宮が「三年の、私の彼。知らない? 水泳部の元エース」と嘲るように笑った。

ごめん。知らないや。

「そのオタク、いつも拓也のグループにパシらさせてんだよ。しかも、金無いからって万引きまでさせられてんの。終わってるでしょ」

 ああ。思い出した。廊下で秋人を小突いていたドレッドヘアの不良だ。

 勝ち誇ったように笑う姫宮に、私は静かに言った。

「終わってるのは、高三にもなって倫理観がガキ大将レベルの男と、そんな男とデキてる女だと思うけど」

 姫宮の顔がかっと紅潮する。予想以上にクリーンヒットしたらしい。

私を下から睨み付ける姫宮の視線を私は意外に感じながら受け止めた。正直、正論が通るとは思っていなかった。拓也とやらが客観的に恥ずかしいことをしているという自覚はどうやらあるらしい。じゃあ、なんで付き合っているのか。

 一軍女子の世界も、なにやら複雑のようだ。

「ほんと、マジでキモい。あんたらと一緒にいるとこ友達に見られたら死ねるわ」

 姫宮は今にも唾棄しかねない表情で顔を背けた。

「でも、来たじゃない」

 姫宮が目を剥く。

「てめえらが匿名で呼び出しやがったからだろうが。勝手に下駄箱に触んな。汚えんだよ!」

 そう。匿名の手紙を姫宮の下駄箱に突っ込んでおいた。

『廃墟の件で聞きたいことがある。昼休みに屋上で』

たった二文のメモ用紙の切れ端だ。

「お前らだとわかってたら来なかったっての」

「いいえ。どうせ来たわ。あなたは」

「はあ?」

 嘲笑を浮かべる姫宮の顔を私はまっすぐ見下ろした。

「だって、今も帰らないじゃない」

 姫宮の顔から笑みが消える。

「随分早く来て、ベンチで待っててくれてたわね。で、私たちが来た瞬間に顔をしかめた。でもそれだけ。呼び出したのが私たちだとわかっても、あなたは席を立とうとはしなかった」

 それはつまり、相手が誰であれ、無視できる内容ではないということだ。

「僕たち、女子高生の死体が見つかった事件について調べてるんです。姫宮さんは何か知っているかもって思って」

 秋人が私の肩越しから口を挟む。

 いや、前に出ろよ。そもそも調べてるのはお前だけだろうが。

「……なんであたし? 意味わかんないんですけど」

 姫宮が吐き捨てるように言うが、先ほどより明らかに語尾に力がない。

 秋人は背後から私の顔を見つめてきた。続きをやってくれということだろう。やれやれ。

「私よりも先に警察に呼び出されてたんでしょ。そのあとすぐに私が呼び出されたから、うやむやになってたっぽいけど」

そこで一つの可能性に思い当たる。

「いや、もしかして、私が警察に疑われてるとかデマ流したのあんた? 自分から注意を逸らすために?」

 姫宮が歯ぎしりしながら目を逸らした。図星か。

「そもそも、私が廃ホテルについて警告した話、警察にチクったのもあんたでしょ。そうしたらすぐに私も呼び出されるのをわかってて」

 私は腕を組み直した。

「よっぽど目立ちたくなかったみたいね」

 姫宮は屋上の床を見つめたまま何も言わなかったが、この場合の沈黙は肯定と同意だ。その様子を見て、背中の秋人が色めき立ち、前に出た。大声で姫宮を断罪する。

「最低だ! 自分の隠れ蓑にしてナツ姉を巻き込むなんて! 恥を知れ!」

「秋人」

「なに」

「うるさい」

「ごめん」

 秋人がまたすうっと私の背後に戻っていく。なんなんだこいつ。

 ふてくされた顔で視線を落とす姫宮に「別になんとも思ってないわ」と呟く。

 警察が学校に調査に来たあの時期は、クラスのヒエラルキーが固まる直前だった。序列争いには疎いが、些細なゴシップが命取りになる繊細な時期であったことぐらいはわかる。そんな重要なタイミングで、同学年の元生徒が死んだなんてセンセーショナルな事件の当事者になど、姫宮はそれこそ死んでもなりたくなかったに違いない。何をどうこじつけられて話を膨らまされるかわかったものではないからだ。

事実、当事者にされた私はあることないこと囁かれてクラスどころか学校全体で一気に孤立した。それほど皆の注目度の高い事件だったと言える。

 姫宮がクラスでの立ち位置にどれほど心を砕いていたかはわからないが、少なくとも私とは比にならないだろう。そう考えると別にいまさら腹も立たない。

 問題は、だ。

「警察に何で呼ばれたの。何を聞かれたの」

 警察が聴取を行った生徒は二人だけ。私が呼ばれた理由は姫宮の告げ口だとすると、警察はもともと姫宮一人のために来校したということになる。

 姫宮はしばらく床を睨み付けていたが、観念したように息を吐き、私と秋人を上目遣いで睨み付けた。

「……誰にも、言うんじゃねえぞ」

「ええ」と私は頷く。

「オタク。お前もだ。学校で少しでも広まってみろ。拓也に言って二度と出歩けない顔にしてやるからな」

 秋人が背後でガクガクと首を縦に振る風を首筋に感じる。オタクはギャルが苦手という通説は本当らしい。それとも、拓也とやらが怖いのか。

 すっと姫宮がスカートのポケットからタバコの箱を取り出した。慣れた手つきで一本抜き取り、くわえる。

「ちょ。それはさすがに」と狼狽した秋人を姫宮は一睨みで黙らせた。

 使い捨てライターがカチリと鳴る。

「……親戚なのよ。又従姉妹」

 吐き出した煙を見つめながら、姫宮は呟くように言った。

「あいつ、数ヶ月分だけだけど年上だからって、姉貴ぶってえらそうな奴だったわ」

 なるほど。被害者の親類か。

「よく会ってたの?」と問うと、姫宮は目線を逸らしたまま鼻で笑った。

「よくというか……毎日? うちに住んでたから」

「同居ってこと? 又従姉妹なのに?」

 姫宮は派手な爪でタバコを揺らし、灰を屋上の床に落とした。

「なんかね。親が事故で死んだかなんかで、何年か前からうちに居候しにきてたの」

 ばちばちの関係者じゃねえか。同居人が死んだんなら、そりゃあ事情聴取されて当然だ。

 そこで、秋人が私の肩越しに顔を出す。

「そこまでの関係が深いんだったら、普通は家で聴取されない? なんで学校で呼び出されたの?」

 なるほど。確かに回りくどい。

 姫宮はタバコを挟んだ指で頭を軽く掻いた。

「あー。多分、親のせい。うちの親、頭おかしいからさ。家での聴取の時、ずうっとあたしの側を離れないの。そんな状態じゃあ、私が話せないこともあっただろって警察も思ったんでしょ」

 だから、警察は親がいない学校で改めて呼び出して再度聴取をしたということか。筋は通っている。

「心配性なんだね。親御さん」という秋人の呑気な一言に、「んな可愛いもんじゃないわよ」と姫宮の目がつり上がった。

「あたしの一挙一動に口をはさみやがる。小学生から中学生まで土日は一日中勉強部屋に閉じ込められてた。毒親よ。毒親」

 顔をしかめて吐き捨てたあと、姫宮は大きくタバコを吸った。肺に入った煙をゆっくりと吐き出し、目を細める。風向きで煙はこちらに流れてきたようで、秋人が咳き込んだ。「副流煙だ。最悪だ」とぼやく秋人を姫宮は完全に無視して言葉を続けた。

「中学の頃、あまりにむしゃくしゃして。こっそりベランダで先輩からもらったタバコ吸い始めたの。それが始まり。部屋のゴミ箱漁られて空箱が見つかった時は、あのばばあ、泣き叫んでたな。危うく家を追い出されそうになった」

「全部、お前のせいだっての」と姫宮は再びタバコをくわえた。

 あれだけ見下して罵倒していた相手に対してまんざらでもないように身の上話を始めたギャルを、私は興味深く見つめた。

スクールカースト上位で楽しくやってるリア充でも、抱える悩みはあるようだ。むしろ、上位でいるために、誰にも吐き出せないのだろう。リア充とは常にリアルが充実していなければならないのだから。周りに悩みや弱みなど見せるわけにはいかないのだ。だから、私たちなんかの前で饒舌になってしまっているかもしれない。スクールカーストランク外の底辺二人に何を話したところでノーダメージだろうからな。

「それはさておき」と私は話の腰を折った。機嫌良く話してくれるのは結構なことだが、昼休みも限りがある。話の脱線は戻さねばなるまい。

「その又従姉妹さんはなんで家を出たの?」

 死んだ彼女はしばらくの家出後に亡くなったはずだ。

 自分の話を遮られてへそを曲げるかと思ったが、姫宮は今日初めて、私の目をまっすぐ見つめた。

 まるで、聞かれるのを待っていたかのように。

 姫宮の目は幾ばくかの間、私の瞳を探るかのように揺れ動いた。私が怪訝に思いながら見返していると、すっとその視線が床に落とされる。

「出たんじゃない。追い出されたのよ」

「なんで」

 姫宮は嘲るように口角を上げた。

「あの子は、タバコどころじゃなかったから」

 私は首を傾げた。

「お酒とか?」

「バカじゃないの」と鼻で笑った姫宮は、ぽつりと呟いた。

「チョコよ」

 私はますますわからなくなった。チョコレートは私も好きだ。甘党であることは居候先を追い出されるほどの罪なのだろうか。

 私の様子を見て、姫宮は「ハッパ」と付け加える。

 葉っぱ? 落ち葉のことだろうか。

「ナツ姉。大麻だよ。マリファナ。保健の授業で習ったでしょ」

 秋人の補足で「ああ」と声を上げる。

 保健の教科書の二枚の写真を思い出す。ある植物が乾燥し、茶色い粉末状になった状態の写真。

 危険薬物のページだった。その中の記述を思い出す。

 違法な薬物には様々な隠語がある。時には購入者の抵抗を薄めるために馴染みやすい名で呼ばれる。例えば、サプリ、チョコ、ハッパ。

「……結構、身近に存在するものなのね」

 私は少し衝撃を受けてそう口に出した。まさか、同級生の口からそんな隠語が飛び出すとは。

正直、麻薬など、自分とは全く関係ない世界の話だと思っていた。七味の小瓶の中に収まっているのを眺め、「この実、実は麻薬の種なんだって。こわーい」と都市伝説のように盛り上がる程度の遠い関係だと思い込んでいた。

「お気楽に生きてきたのね」と姫宮に見下すように言われて若干むっとしたが、否定することでも無いので、無言で話の続きを促す。

「……あの子は、家で隠れてチョコ吸ってたのが両親にバレてね。即、追放よ。議論の余地なし」

 まあ、タバコの箱で泣き叫ぶ親だったら当然だろうなあ。実の娘でもないわけだし。

 卯月刑事に見せられた彼女の写真を思い出す。プリクラを切り取ったような写真。派手な髪色。

 彼女はどこで道を踏み外したのか。

「警察にはそのことを根掘り葉掘り聞かれたの。薬はいつからやってんだとかね。ばばあが大麻のことをここぞとばかり言ったもんだから、警察にあほみたいに怒られてたわ。なんでその時に通報しなかったんだって。あの親がするわけないじゃん。世間体が命より大事なクズ共なんだから」

 姫宮は短くなったタバコを床に放った。

「あの子が家を追い出されて以来、あたしは会ってなかったわ。警察にもそう言った。しつこく聞かれてほんと迷惑。学校でも呼び出されて最悪だった」

 姫宮はわずかな煙を上げている吸い殻を上靴で踏みつけた。靴底でぐりぐりとねじり潰す。

「でもまあ。あいつが家を追い出されたときは、正直、清々したわ」

 姫宮は不適に笑った。

「居候のくせに姉貴面してくるし。マジうざかったから」

「それはさ」

 秋人がいつの間にか私の前に出ていた。

「その子が死んだ後でも、そう思う?」

 姫宮が固まる。

「わかってたんじゃないの? そんな状態の子を放り出したら、その子がそのあとどんな道をたどることになるかぐらい」

 姫宮の表情は変わらない。真顔で自分が踏み潰した吸い殻を凝視する。

「全部その子自身が悪いみたいな言い方だけど、親が死んで引き取られてきたんでしょ。つらいのはあたりまえじゃん。薬は絶対ダメだけど、それでも手を出しちゃった気持ちは、姫宮さんが一番わかるんじゃないの」

 姫宮の顔がみるみる蒼白になっていく。

「姫宮さんが支えてあげるべきだったんじゃないの? その子を殺したのは、薬じゃなくて、本当はそばにいるはずだったまわりの……」

 一気にまくし立てる秋人の後頭部を私は殴りつけた。グーで。

「イタい!」としゃがみ込んだ秋人の脇腹を横なぎに蹴りつけると、秋人は悲鳴を上げて床に倒れ込んだ。私はその背中をさらに二回ほど蹴りつけると、姫宮に向き直った。

「ごめん。こいつバカなの」

 姫宮は答えない。じっと吸い殻を見つめ続けている。

「悪かったわ。つらい事を根堀り葉堀り聞いて」

 姫宮はぴくりとも動かなかった。

 私は半べそをかいている秋人の首根っこを掴むと無理矢理引き起こした。

「今日聞いたことは学校の誰にも言わない。約束する」

 さっきまで威勢をはっていたスクールカースト上位のギャルはすっかり表情を失い、うつろに佇んでいた。怒り肩だと思っていた彼女は実は常に気を張っていただけで、本来はなで肩であることに気づく。

「ありがとう。話してくれて」

 昼休みの終わりを告げるチャイムが屋上の壊れかけのスピーカーから漏れ出た。

 私は秋人を引っ張るように屋上の出口に向かった。わずかに校内の喧噪が聞こえてくる。

「思わないじゃん」

 チャイムの音でかき消されてしまうほどの呟きを耳が拾う。

「どっかでそのうち野垂れ死ぬだろうって思ってたけどさ」

 振り向くと、姫宮は私たちに背を向け、屈んでいた。床に踏みつけた吸い殻を拾っている。

「まさか数ヶ月で死んじゃうなんて、思わないじゃん」

 その背は小刻みに震えていた。

 私達は何も言わず、屋上を後にした。


 



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