【第2章】 湖畔キャンプ編 斉藤ナツ 8
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唐揚げは、自分で言うのも何だが、絶品だった。
サクサクの衣、ほどよい弾力の鶏肉、噛むとあふれる肉汁。味付けもいい。ニンニク醤油ベースのタレがよくなじんでくれたようだ。さっと肉を焼くだけといったキャンプもいいが、こういった手間のかかった料理を野外で食べるのも乙でいいな。またやろう。
前を見ると、紗奈子も渡した紙皿に次々と唐揚げを確保しては、一心不乱にばりばりと頬張っている。腹が減っていたのだろうか。てか、幽霊にも食欲とかあるのか。
「おいしい?」
そう聞くと、「味付けがちょっと薄いですね」と返ってきた。もう一発ビンタを打ち込もうか迷ったが、味覚の差は仕方あるまいと考え直し、ザックから調味料用のポーチを取り出した。確か、小瓶に分けた醤油が入っていたはずだ。ポーチを開けて醤油の小瓶を取り出す。半分ほど残っていた。
それを見て、一瞬動きを止める。待てよ。この醤油、結構前に入れたきりだけど大丈夫か?
一応常温保存可の種類を選んではいるはずだが、最近、暑くなってきた。他の香辛料などとは違い、キャンプ先で醤油は滅多に使わないため、以前使ったのがいつだか思い出せない。腐っていたりするのだろうか。
よし。試してみよう。
「はい」と小瓶を紗奈子に差し出す。
「あ、どうも」と紗奈子は受け取り、小瓶の蓋を開けた瞬間、「ん!」と眉をひそめ、口元を押さえた。
あ、やっぱ腐ってたか。
てか、嗅覚あるんだ。
「・・・・・・やっぱり、このままでいいです」
そう言って眉をひそめながら小瓶を閉める紗奈子を見ていると流石にちょっと申し訳なくなり、「ほれ」と今度は岩塩の入った小瓶を投げた。これは今朝詰めたものだから問題あるまい。
紗奈子は空中で受け取り損ね、小瓶は手のひらからこぼれ、紗奈子の膝の上にぼとりと落ちた。紗奈子はそれを慌てる様子もなく拾い上げる。ものをキャッチできないなどいつものことなのだろう。蓋を開けて、恐る恐る中身を嗅ぐ。
「あ、これは大丈夫です」
紗奈子はそう言うと、うれしそうに自分の取り皿の唐揚げに塩をまぶし始めた。
思いのほか、この幽霊が食うもんだから、美音の分がなくなってしまいそうだ。念のため多めに作っているから、完全になくなることはないだろうが、ぱっと見で量が少ないと美音も悲しいだろう。
ということで、副菜をもう一品作っておくことにした。トマトと生バジルとモッツァレラチーズを買っておいたので、カプレーゼを作っておいておこう。第一印象の見栄は大切である。
私がまな板とトマトを取り出すと、紗奈子が「やったあ。二品目だ」といった表情で音もなく拍手をした。
いや、これはあげないよ。図々しいね君。
私はトマトをまな板の上に置くと、尻ポケットから折りたたみナイフを取り出し、トマトを両断した。へたを取り、できるだけ薄く切り分けていく。
「いいナイフですね。かっこいい」
美音が私の手元を見つめている。このナイフは使い始めて半年になる。以前の愛用ナイフを山で紛失したのをきっかけに購入した。折りたたみ式なので、薪割りなどには使えないが、すっぽりと手のひらに収まるサイズ感が気に入っている。
「私も持ってるんですよ」
紗奈子はごそごそとワンピースの腰回りを探り始めた。見た目からはわからないが、どうやらスカートの折り目の間にポケットがあるらしい。そこからメダルのようなものを取り出し、「はい」と手のひらにのせて見せてくれた。
たき火の明かりのそばで見ると、プラスチック製のキーホルダーのようだった。メダルを二枚重ねて分厚くしたような形状になっている。表にはひよこのキャラクターがいるが、少々年季が入っているようで、所々塗装がはげている。
「小学生の時にもらった文房具セット? 救急セット? に入ってて、中学生頃からずっとポケットに入れてたんです」
紗奈子がキーホルダーの上下の円盤を逆方向にずらすと、カチリと2センチほどの刃が出てきた。確かに、これもナイフと言えなくはないか。
紗奈子はまたカチリと刃をしまうと、「お守りだったんです」とまた大事そうにポケットにしまった。
お守りと言うからには、護身用か。
しかし、そんなおもちゃでは武器にはなるまいと一瞬考えたが、たき火に照らされた紗奈子の手首に無数の傷跡があるのに気がついた。比較的新しい治りかけの傷もあれば、古傷のようになっているのもある。
なるほど。自分用か。
「いつでも終わらせられるって思えば、少しだけ楽になれたので」
そういう考え方もあるのだろう。人生のつらさは人それぞれだし、その緩和方法も人の数だけあるのだろう。こういう場合の返答は、軽く肯定するぐらいにとどめておく方がいい。
「わからないわね」
しかし、私の口から吐き捨てるように出たのは、全く反対の言葉だった。
「そういう逃げ腰の姿勢、一番嫌い」
紗奈子がむっとしたのがわかる。当然だ。しかし、私の口は止まらなかった。
「現状を解決せず、現実逃避して、相手に立ち向かうこともしないで自分を傷つける。それで楽になれるわけないじゃない」
「・・・・・・あんたになにがわかるのよ」
紗奈子が濡れた髪越しに睨み付けてきた。
「わかるわけないでしょ。負け組の気持ちなんか」
私もにらみ返す。だが、内心では混乱していた。私は何をむきになっているのだろう。
しばらくのにらみ合いの末、先に目をそらしたのは紗奈子の方だった。「あんたも同類のくせに・・・・・・」と小さくつぶやいて、うつむいた。どういう意味だ。
私は視線が切れたので内心安堵しながらカプレーゼの調理に戻った。今度はチーズを切る。しばらく、たき火が爆ぜる音と、包丁がまな板に当たる音だけが響いた。
「ナイフでは、死ななかったんだ?」
なんとなく、紗奈子に問いかけた。
もし紗奈子が先ほどのひよこナイフで死んだのなら、ずぶ濡れではなく、血だらけで化けて出たはずだろう。
「・・・・・・こんなんじゃ死ねないみたい」
紗奈子も落ち着いた声で答えた。私ではなく、自分の手首を見ながら。
「それに、一人じゃ嫌だった。死ぬときは、誰でもいいからそばにいてほしいと思ったの」
だからわざわざ彼氏の前で、湖に飛び込んだのか。
恋人がいれば幸せというわけではない。むしろ、パートナーが加速度的に相手を追い詰める事もある。それを私はよく知っていた。
私は「そっか」とだけ返し、それ以上聞くのを止めた。