【第7章】 廃村キャンプ編 16 軍幕とパラコード
16 軍幕とパラコード
「軍幕? いかすじゃん」
私の素直な賞賛に、秋人は得意げに「でしょ」とにんまり笑った。
秋人が「1」の屋敷の庭先に張ったのは迷彩柄のパップテントである。パップテントとは、よく見るピラミッド型では無く、三角柱を横倒しにしたような形状になっているテントだ。人一人が寝転べるサイズのソロテントで、慣れれば設営と撤収が素早く行えるため、軍で採用されていることが多く、軍幕とも呼ばれる。無骨系のソロキャンパーに絶大な人気がある。
「ドイツ軍の放出品なんだ」と自慢げな秋人に「へえ」と合いの手を打ちながらしげしげと眺める。どうやら大きな二枚の布をボタンでつなげただけのシンプルな構造らしい。試しに生地を撫でる。分厚い。
「コットン?」
「そう。火にめっちゃ強いよ」
「雨には?」
「めっちゃ弱い。すぐ染み出てくる。そしてあっという間に超重くなる」
まあ、それが味なのだろう。今時はポリコットンなどのいいとこ取りの素材がテント生地界の覇権を握っているが、利便性を求めるだけが正しいわけではない。不便を楽しむのもキャンプの醍醐味だ。
「ロマンあるわね」と唸る私に「ナツ姉ならわかってくれると思ってたよ」と秋人は満面の笑みでテントの解説を始めた。
「見て。見て。実はこれ、ちょこちょこ加工してるんだ。角に穴を開けてハトメしたり」
言われて見てみる。確かに、布の四隅には直径一センチほどの穴があいており、銀色のリングで補強されていた。この銀の輪の補強をハトメと言うらしい。
何に使うのかとみていると、秋人は布の片側を持ち上げた。長い側面の生地を上に持ち上げられ、三角柱の中身が露わになる。秋人は開けた長方形の生地を、そのまま長方形の屋根にする形で、角を二本のポールで固定し、庇を作った。その際に角のリングにポールの突き刺すのだ。
秋人はその下にチェアを持ってきて、テントを背にして得意げに座った。即席の軒下といった感じだ。
「いいわね」
「座ってみなよ」
秋人に席を譲り受け、チェアに腰を沈める。
テントを背にすることで、手が届くところに全ての荷物がある。寝るときはチェアをテントに入れて庇を降ろし、ファスナーを締めるだけだ。まさにソロキャンプここに極まれりのスタイルと言える。
「すごくいいわ」
「でしょ。欲しくなった?」
私は大きく頷く。
「放出品じゃなくても、パップテント自体は最新型をいろんなメーカーが出してるから、探してみたら? 軽量のやつとか、ストーブ対応のやつとか色々あるよ」
「ありね」と呟く。外界を遮断するようにして、自分の世界にどっぷり浸かるのが私のキャンプスタイルだが、たまにはこうして人のキャンプをのぞいてみるのも悪くはないと思えた。
背もたれに体重をかけて、そこで気づく。
「これ。キャンプショップで座らせてもらったやつじゃない?」
「ああ。よくわかったね。座り心地良かったから買ったんだ。お詫びもかねて」
「めっちゃ高かったと思うんだけど」
「そう? 軍用品に比べればそんなにだったよ」
「……あんた、金持ちなのね」
「そんなことないよ」と笑う秋人をじとりと見つめる。こういうさりげないところで生活水準の差が浮き彫りになるのだろう。別に無闇に他人を羨む性格ではないと思っているが、自分が値札を見て即座に諦めたキャンプギアを軽いノリで購入した後輩になんとなくもやっとした。
「ナツ姉はなんか買わなかったの」
「・・・・・・買ったわよ」
「え、どれ? 見せて」
私は自分のリュックから黄色いロープの束を取り出した。
「おお。パラコードだ」
パラコードとはキャンプでよく使われるロープの一種である。丈夫で軽いことが売り。
「・・・・・・色が良かったから」
「ほんとだ。黄色だ」
それもあるが、本当の購入理由はセールで安くなっていたからだ。三束セットで2890円。喜び勇んで買って、後に後悔した。別に三束もいらなかった。貧乏人の銭失いである。
秋人はギアの見せ合いが楽しいのか、リュックやコンテナをガサガサとやり、次々とギアを取り出していく。どれもミリタリー色が強い。黒く煤けたランタンなどもきっと軍用品なのだろう。
「どれも高そうね」
「まあ、古いものほどね。でも、安くて新しいのも買うよ。そうそう。これなんてフリマサイトでこの前買ったんだ。それもすごい格安で」
そう言って秋人が取り出した銀の板状のものを見て、私は勢いよく立ち上がった。頭が屋根にボスンとぶつかり、二本のポールが弾け飛んだ。
「ちょ、ナツ姉! 気をつけてよ!」
慌てて軍幕に駆け寄る秋人とすれ違うように、私は地面に捨て置かれた、折りたたみ式の焚き火台へ駆け寄った。
ヘキサゴン! あなた、ヘキサゴンね!
私はA4サイズの銀の板をまるで我が子のように抱きしめる。
また会えるなんて。
二度と会えないと思っていたキャンプギアとの突然の再会に思わず目頭が熱くなる。
そうか。あんた、秋人に拾われてたのね。
私は六枚の金属板が折りたたまれて重なっているヘキサゴンを愛を込めて撫で回す。
もう二度と離さない……と言いたいところだが。
私は銀の板に反射する自分の顔を見つめた。
私はこの子を購入してから一回使ったのみで、あとは倉庫に眠らせてしまっていた。きっと今、秋人から無理矢理奪い返したところで、また同じ運命をたどらせてしまうだろう。
だったら、秋人にもらわれた方がこの子はキャンプギアとして幸せなのかもしれない。
私は逡巡の末、苦渋の決断を下した。この子とはこのキャンプでお別れだ。あとは秋人に託そう。
私は落涙しそうな思いをなんとか押しとどめ、秋人を睨み付けた。
「感謝しなさいよ!」
秋人は半壊したテントを必死に立て直しながら叫んだ。
「何に!?」
ぶつくさ言いながら軍幕を直す秋人を尻目に、私は鼻歌を歌いながらヘキサゴンを組み立てた。六枚の板を展開し、六角錐を作る。底にもパーツをはめ込み、足をつければ完成だ。秋人が用意していた六角形の焚き火シートの上に鎮座させ、満足げに見下ろす。
これがあれば私が用意してきたキャンプ飯もより見栄えすること間違いなしだ。
「秋人。私、薪を採ってくるわ」
「え、ああ。ありがとう」
なんとかテントの修正が終わった秋人の返事を背中で聞きながら、私はキャンピングカーからカゴを持ち出し、山の屋敷の裏手に回った。薪のストックはキャンピングカーにもいくらか積んであるが、せっかくなら山で調達したい。
「1」の屋敷をぐるりと周って、裏に向かう。縁側のガラス戸はリフォームの際に取り付けられたのだろう。透明度の高いガラス越しに屋敷内をのぞくと、老婆は庭先のキャンプには目もくれず、相変わらず囲炉裏の前に座って炭をいじっていた。
屋敷の裏に回ると、屋敷の増築部分がはっきりわかった。さっき世話になった浴室と脱衣所が不自然に出っ張っていたからだ。そりゃ、もともとの日本家屋の間取りにあんなでかいバスルームを入れられないよな。外に作ってくっつける方が合理的だ。
屋敷から目を離すと、十数メートル先には、浴室の窓から見た堤防があった。どうやら大きな岩を積み重ねて作られたものらしい。古墳の跡だと言われても信じてしまうだろう。
近づいて見ると、自分の背丈ほどしかなかった。試しによじ登ってみる。なんのことはない。ただの小山だった。下を見下ろすと、山から流れてきた水路が真下で二つに分かれている。この水路がこのまま両方向に伸びていき、キャンプ場を囲んでいるのだ。
水路が二股に分かれる箇所に作られたこの小山は、差し詰め増水時の氾濫対策なのだろうが、この規模の水路があふれる水量が山から流れてきた場合を想定すると、なんとも脆弱な堤防であると言わざるを得ない。私は今日宿泊予定の「1」の屋敷をふり返った。きっと、洪水発生時に真っ先に浸水するのはこの屋敷だろう。
反射的に明日の天気を脳内で確認する。朝方には雪が振るかもと聞いたが、大雨が降るような予報は無い。今日泊まる分には心配あるまい。そこまで考えた私だったが、水路を改めてのぞき込んでその考えに自ら失笑する。別に川の中州にテントを張るわけでは無いのだ。心配のし過ぎである。
水路を流れる水は私を押し流すほどだったので、確かに勢いはある。しかし、水路の石造りの壁の三分の一程度の深さにしか水は達していなかった。幅もかなりあるし、相当の大雨でもこの水路の堀から溢れることはないだろう。
さらに言うと、背後の屋敷の存在自体が安全の証明だ。百年以上前に建てられたであろう民家がいまだに無事だという事実が、これまで分水堤を超えるような水害は無かったと言うこれ以上ない証拠である。
私は分水堤を降りると、脇にある石橋に向かった。薪になる木を入手するためには水路を越えて山に入らねばならない。石橋は浴室から目測したとおり、車が一台ぎりぎり通れるほどの幅だった。キャンプ場の入り口ゲートの橋と同じ造りなのだろう。入り口の方の橋に車で乗り入れる時は脱輪しないかヒヤヒヤしたが、歩いて渡る分には十分すぎる幅であった。かなり古い石橋のようだが、ひび割れなどにはきっちりコンクリートを流し込まれており、小まめに補修されているようだった。まあ、車で渡っているときに崩壊などしたらたまったものではないからな。
水路は飛び越えられるような幅ではないので、ここと入り口の二つの橋がキャンプ場からの出入り口となる。この橋は山にしか通じてないから、実質入り口の橋だけが外界との連絡口である。この広大な敷地に対し、出入り口が一つしか無いのは不便にも感じるが、ゲートは一つの方が宿泊客を管理しやすいのかもしれない。村全体がホテルみたいなシステムだからな。勝手な場所から好き勝手出られても困るだろう。「フロントの前を通って出てくださいね」ということだ。
私はそう考えると裏口とも言えそうなもう一つの石橋を渡りきり、すっかり暗くなりかけている林の中を進んだ。
車一台分ほどの幅の道は、 道は砂利が敷き詰められ、よく整備されていた。山の木々の間を随分急勾配で上に続いている。斜面の上から自転車で降りようもんなら、止まれなくなるだろうなと思うほどだった。
歩く度に敷き詰められた砂利が音を立て、暗い林に響く。この道をそれて林に入ろうものなら、一瞬で視界が利かないだろうと思われた。夕刻の山を舐めてはいけない。出来心で探検などしようものなら、あっという間に遭難する。
砂利道に落ちている枝を中心に拾う。太い枝も何本か落ちていたが、しかし、連日の雨でどれも湿ってしまっている。一応手当たり次第にカゴに積み込んだものの、薪として使えそうにはなかった。こんな湿った木で火をおこそうものなら、のろしのごとく煙がもくもくと立ち上るだろう。
なんとか乾いている木は無いかと暗い地面に目線を這わせていると、背後からの老人のしわがれ声に飛び上がる羽目になった。
「なにしとる」
振り向くと、林道の入り口に小柄なシルエットが浮かんでいた。逆光のため、顔は見えないが、その背格好から囲炉裏を見つめていたはずの老婆であることはわかった。
脅かすなよウメさん。
「見ればわかるでしょ」と返答する。出会ってから今まで敬語を使うべきかどうか定まっておらず語尾に迷ったが、相手が使ってこないのであればこっちもタメ口でいかせてもらおうと思う。
「わからん。なんか探しとるのか。そっちには奥池があるだけじゃぞ」
やはりため池があるのかと納得しながら、「薪よ。薪」と返して再び地面に視線を戻す。たった数秒視線を外しただけで急に道が暗くなったように感じる。目が慣れているだけで、林の外から見ればもう真っ暗なのだろう。そりゃあ、そんな中を一人でうろついている奴がいたら心配にもなるか。
「薪? そんなもん、屋敷の縁側の下に腐るほどあったじゃろうが」
「え、そうなの」
老婆が鼻を鳴らすと、踵を返した。
「ついてこい」
老婆の言うとおり、縁側の下のスペースには種類大小様々な薪が大量に敷き詰められていた。針葉樹に広葉樹、なんでもござれである。
「山で切り出してはここで乾燥させておった。奥の方は祖父が切ったのも残っとるぞ。手前のほうのやつは儂が切り出した。それですら数年前じゃけえ、十分乾いとるじゃろ」
手に取ってみると、老婆の言葉の通り、完全に水分が抜けている。ベストコンディション。キャンパーとしては垂涎ものの薪天国だ。
「つ、使っていいの?」
「好きにせい」
「あざす!」
私は湿った枝が詰まったカゴをその場に捨て置き、最高級の薪を両手いっぱいに抱えこんだ。幸せだ。
そんな私のテンションの上がりように「薪ごときの何がいいのか」と老婆は首を捻りながら屋敷の中に戻っていった。