【第7章】 廃村キャンプ編 15 リノベーション
15 リノベーション
湯船の湯をバシャリと顔にぶつけて、私は立ち上がった。少し長湯し過ぎた。あんまりぐずぐずしてると、秋人が来てしまう。
再度身体を流し、浴室から出る。大して広くはないシンプルな造りの浴室だったが、どことなく高級感がにじみ出ている。
備え付きの純白のバスタオルを手に取ってその肌触りに衝撃を受けた。まるで、子供の頃に想像したふわふわ雲を具現化したかのようだった。どんな柔軟剤を使えばこうなるんだと感嘆してしまう。
身体を拭きながら脱衣場を改めて見るとずいぶんな設備の整いようだった。
棚にはアメニティが所狭しに並べられており、そのどれもが明らかに一級品だ。白い半透明の小洒落た包みには粉末の入浴剤やら、乾燥したハーブやらが小分けしてあった。湯船に入れるのだろうか。試しに一つ摘まみ取る。ハイセンスな英字がプリントされているが、ハイセンス過ぎて読み取れない。なんだ? ショコラ? 美味しそうだな。
きっと美音あたりはこの棚を見て大喜びするのだろうが、バス用品に疎い私は興味が湧かない。とりあえず棚に戻して、着替えを行う。
老婆は前言通りにリュックを脱衣所に置いてくれていた。そこから取り出した乾いた服を身につけ、磨き上げられた鏡の前に立つ。
予備の服なので小洒落たものではない。いつものTシャツとジーンズ、そして不燃素材でできたパーカーだ。鏡に映った全身を眺め、一人頷く。うん。なんだかんだ、やっぱりこっちの方がしっくりくるな。
濡れた服は脱衣所の角に設置されたドラム洗濯機に放り込む。すごい。最新型だ。
折角のお洒落ダウンも川の水を潤沢に吸い込んでいたので、洗面台でとりあえずのもみ洗いをする。キャンプが終わったらダウン専用洗剤で洗うとしよう。洗面台が透明なガラス製で、なんだか緊張した。
続けて髪を乾かす。最新式のドライヤーが備え付けられており、完全に制御された風圧は使えば使うほど髪質が良くなりそうとまで思えた。
高規格キャンプ場とは聞いていたが、ここまでされるとなんか怖いな。もう高級ホテルじゃないか。セレブとか、要人とかが利用する場所なんじゃないか。底辺ワイチューバーなんかが泊まっていい場所ではないように思えた。
扉を開けるとまた景色が日本家屋の中に戻って少しばかり混乱する。手には水洗いしたスニーカーを摘まみ、水滴が落ちないよう注意しながら滑らかな木の床の上を裸足で歩く。廊下かと思ったが、すぐに背丈ほどの壁で仕切られているだけであることに気がつく。そうか。日本家屋は空間をつなげる意識が強い造りであるため、西洋のような長い廊下は少ないと何かで読んだ記憶がある。その分、縁側などの半分外にあるような空間が発達していて、廊下の代わりを担っているとかなんとか。
仕切りを抜けると、なんとそこはベッドルームだった。さっき引きずられたと きは周りを見る余裕など無かったのだが、キングサイズの随分と存在感のあるベッドが部屋のほとんどを占有して鎮座している。
なるほど。リノベーションとはこういうことか。ただ古い家を修繕するだけではなく、家の基本的な骨格は残しながら壁を追加したり、逆にぶちぬいたりしながら今風の生活様式を取り込んでいく。
ベッドを横切り、居間に出て、真っ先に目を引いたのは巨大な柱だった。
私の胴体ほどもありそうな巨大な柱が天井の梁に繋がっていた。大黒柱に違いない。質感から栗の木だろうかと当たりをつける。
この柱一本で最上級の薪が何本作れるのかとつい妄想してしまう。広葉樹の薪は高いんだよ。
大黒柱はこれまたすべすべに摩耗しており、歴史を感じさせる黒い光沢を放っていた。その美しい柱にまるで彫刻刀を入れたような粗い傷があった。横線が何本も。
私は思わず笑みをこぼした。身長、測ってたのね。
一番上の横線を見る。私の肩ほどだろうか。横に粗い線で名前も刻んであった。
「ヒナタ 十さい」
十歳ということは中学生くらいまで家の柱に身長を刻んでいたことになる。一人の男の子が柱に背をつけ、必死に背伸びをする光景が目に浮かんだ。なんとも微笑ましい。
そこで、その斜め上にもうひとつ横線があることに気がついた。私の身長より少し高いので、見上げる形になる。刻まれていたのは横線と名前だけ。
「ウメ」
ウメ。受付のカウンターを思い出す。「ウメ様へ」と書かれた封筒。
そうか。ここは以前、老婆の家だったのか。
すんなりと腑に落ちた。我が物顔で闊歩していたはずだ。元々自分の家なのだから。ヒナタくんは息子さんだろうか。
大黒柱を撫でながら居間を見回すと、広々とした空間が広がっていた。十畳はあるかと思われた。居間だな。奥に玄関も見える。
その左側。と言っても私から見て左側なので、玄関から入って右側には一段下がった縦長のスペースがあった。土間だ。屋内に土のスペースがある、日本独自の様式。土間は玄関に通じている。玄関を開けて入ってきたら。玄関土間。それがL字に続くようにして屋敷の右半分が土の上の炊事場になっているのだ。
だが、もう流石にただの土ではなかった。昔は土の上にかまどやらなんやらがあったのだろうが、現在は滑らかなコンクリートで地面は塗り固められ、炊事場があったであろう場所にはかまどの代わりに小洒落たカウンターキッチンが設置されていた。大きな冷蔵庫もある。
どうやら、この居間は大黒柱を中心として漢字の「田」のような間取りになっているらしい。
位置関係としては、玄関から入ると玄関土間。それと繋がるように右側面に縦長の土間。左に居間。その間をまっすぐ進むと大黒柱。その奥にベッドルームという間取りである。
それで終わりかと思いきや、さらにその裏手に浴室がある。少しバランスがわるいので、浴室だけは増築したのかもしれない。「田」の後ろにちょこんと浴室と脱衣所がくっついた形だ。やけに内装が新しかったわけだ。
右側の居間に目を向けた私は、思わず声を上げた。
「すごい。囲炉裏だ」
板間の中央に四角く区切られた砂場のような空間があった。分厚い木の枠の周囲にはござが敷かれており、その上に老婆がちょこんと正座して長い火箸で火を操っていた。まるで日本昔話の一コマのようだった。
「なんじゃ。囲炉裏も見たことないのか」
「実際に使ってるところは」
私は喜び勇んで早足で近づいた。老婆の向かいに膝をつく。
囲炉裏。趣ある蕎麦屋などで何度か見かけたことはあるが、あくまでインテリア、雰囲気作り程度に置いてあるだけだった。実際に火が入っているところにお目にかかったのは初めてである。
まず中央で穏やかな明かりを放つ火を見て感嘆する。必要最低限の火力で静かに燃え、驚くほど煙が出ていなかった。無言で火箸を操る老婆の力量であろうか。
次に敷き詰められている灰に目をやる。おそらく掘りごたつのように床下までくりぬかれており、そこに灰が敷き詰めてあるのだろう。自分が知っている灰よりもずっと細かく、滑らかだった。手ですくってみる。ほんのり温かい灰の粉末がサラサラと指の間を抜け落ちていく細やかさに感動し、私は思わずさらに深く掘ろうと手を差し込んだ。
「熱!」
「何しとる。バカなのか」
老婆が私の奇行に眉をひそめる。
「火が入っとるだろ。見てわからんのか」
「だって、表面はほんのり暖かいぐらいだったから……」
まさか深い方が熱いとは思わないではないか。慌てて手をブンブンと振る私を、老婆はせせら笑った。
「表面の灰はすぐ冷める。だが、内側には熱がこもる。常識じゃ」
断熱効果か。
灰は確か多孔質と言って小さな穴がたくさんある構造になっていたはず。それで熱を伝えづらいのだろう。だから表面の灰が外気に触れて冷えても、その上層部が断熱材になって下層部の熱を閉じ込める。そういうことか。
「たとえ囲炉裏の火が消えとっても気をつけろ。消すときには炭を灰で埋めるからな。表面はすぐに冷たくなるが、炭の内側は一晩中、熱々じゃ」
老婆の脇の囲炉裏の角には小ぶりなシャベルが置いてあった。あれで灰をすくって炭を埋めるのだろう。
囲炉裏の周りはじんわりと温かかった。焚き火や石油ストーブの直接的な反射熱とはまた違う、じんわりと、身体の奥に響く暖かさがあった。
ふと火の上方に目をやると、長い鉄の棒が天井からぶら下がっていた。一番下にはかぎ爪が付いており、中腹には魚をかたどった木のパーツがついている。
「これは?」
「自在鉤じゃよ。鍋なんかを吊り下げるのに使う。横木……魚の部品を操作すると長さを調整できる」
ほお。火との距離を調整することで火加減を操作するのか。
「なるほど。トライポッドみたいなものね」
「ライポッド? 音楽聴くやつか。あんなもん吊したらケーブルが溶けるぞ」
それはアイポッドだと苦笑する。最近見ないなアイポッド。一時期はみんな持ってたけど、今はスマホアプリで聴けちゃうもんな。
「トライポッド。ダッチオーブンをつるす三脚よ」
「……オーブンなんぞつるしてどうするんじゃ。空中でパンでも焼くのか」
何でトースターまでつるすんだよ。電化製品に恨みでもあるのか。
説明が面倒だ。老婆もさして興味がなさそうだったので話を進める。私は自在鉤の隣に紐で吊されて浮かんでいる藁の束を指す。見覚えがあった。
「あの藁の束、私が浮き輪にしたやつよね」
「ああ。弁慶だ。川魚なんかを竹串で刺して、煙で炙る」
なるほど。これは燻製機なのか。
自在鉤と弁慶が吊り下げられている天井の梁を見る。これまた立派な木材を使ってらっしゃる。面白いことに、囲炉裏の真上の天井には囲炉裏と同サイズの大きな穴が空いていた。正確には天井の板がそこだけ剥がされ、梁だけが井桁に組まれている形だ。
「あそこから煙が抜けるのね」
「そうだ。んで、屋根裏部屋に充満した後、藁葺きを燻して藁の隙間から少しずつ抜けていく。防虫作用もあって一石二鳥だ」
「先人の知恵ね。でも、トタン板でかぶせがしてあるんでしょ。煙、抜けないんじゃない?」
室内に煙が充満したら一酸化中毒までまっさかさまだぞ。
「安心せい。かぶせには排気口がついとる」
煙突という訳か。なんだか、アウトドアショップで見た煙突付きのテントを思い出した。
見れば見るほどキャンプとのつながりが多い。
それもそのはずだと一人頷く。キャンプとは本来、自然の中で人が生きる営み、そのものなのだから。
山の中で自給自足を突き詰めた古民家はある意味究極の大きなテントであると言ってよいのかもしれない。
「ほれ。それを貸せ」
そう言って老婆が指し示したのは、私が摘まんで持ってきたずぶ濡れのスニーカーだった。戸惑いながら渡す。すると老婆は立ち上がり、どこからともなく竹串を二本取り出すと、「ふん」と弁慶に突き刺した。刺さった竹串の先に私のスニーカーを引っかける。
「これですぐに乾く」
「ああ、どうも」
「消毒もできて一石二鳥だ」
「なんか不潔な感じで言うのやめて」
キャンプの度に小まめに洗ってるんだぞ。一応。
「……とっくに壊されたと思っとったけどの」
ふと、老婆の声のトーンが落ちた。
一瞬、なんのことかわからなかったが、この囲炉裏のことだと悟る。屋敷のリノベーション後も残されていることについて言っているのだろう。
老婆は立ったまま弁慶や自在鉤を見つめ、そして囲炉裏を見下ろした。
「想像以上にそのまんま置いてあったわ。あれかの。こういった古めかしいもんは金持ちへのウケがいいのかの。井戸もそのまま残してあったしな」
「え、井戸あるの?」
私は反射的に腰を浮かした。
「なんじゃ。さっきから。骨董品マニアかお前は」
「いや、昔の文化的なの、興味あって……」
正確にはキャンプのルーツが感じられるものが好きだ。暖炉とか、かまどとか。
しかし、老婆は大雑把に理解したらしい。
「あれか。レキジョか」
レキジョ。歴史好きの女性。略して歴女。
そういえば昔そんな言葉あったなあ。懐かしい。とんと聞いてないや。今はなんていうだろ。刀剣女子? 城ガール?
とりあえず「まあ、そんな感じ」と頷いておく。
「ついて来い」
老婆はそう言うと、隣の区画の土間に降りていった。私も立ち上がって追う。土間には突っかけが数足並べてあったので、足に引っかける。
土間。本来は文字通り土の空間だ。屋内にありながら床を張らず、土のままの空間で、炊事場などに使われる。だが、流石にここはリフォームされたらしく、床はコンクリートで塗り固められていた。駐車場のような粗いコンクリではない。夏なら裸足で歩いても気持ちよさそうな、塗られたバターのように滑らかでお洒落なやつだ。
カウンターキッチンが設置され、奥にはシンプルが故に洒落ている洗い場と、大きな冷蔵庫が置かれている。だが、老婆はそれらには目を向けず、土間の奥にずんずん進んだ。奥には「TOILET」と表示されたドアがあったが、老婆はその手前で立ち止まった。
「ほれ。これじゃ」
「おお」
腰ほどの高さほどの井戸がトイレのドアの前に当然のように鎮座していた。まるで地面から巨大な煙突が生えているようだった。てっきり裏庭にでもあるのだと思ったので、突如屋内に出現して面食らった。だがそうか。水道が無い時代。そりゃ井戸は室内にあった方が便利だ。土間に井戸を作るのも実に理にかなっている。
なんか、あれだな。私は直径1メートルほどの石造りの円柱をしげしげと眺め、思った。
紗奈子が見たら絶対、「貞子のやつだ!」て言うだろうな。
失礼すぎて私は言わないけど。
老婆が自慢げに鼻を鳴らした。
「どうじゃ。リングみたいじゃろ」
あんたが言うんかい。
おばあちゃん、Jホラーとか観るんだ。
当然もう水をすくうことは無いからだろう。井戸には古びた木の板がはめられていた。
「今も水、湧いてるの?」
「いや、儂が子供の頃に枯れてしまったよ。もう井戸としては使えん。埋めるのも面倒だから儂らも放置しておったんだが」
老婆は乾いた笑い声を上げた。
「まさか今日まで残っとるとはの」
古い。それが度を超すとなんにでも価値が付与される。当時は何でもないものであってもだ。例えば藁葺き屋根、例えば囲炉裏、もう枯れてしまった井戸でさえ。
もしかしたら、アイポッドなんかもそのうち文化財になってプレミアつくんじゃないかしら。
私の黄色いアイポッドも捨てないで持っとけばよかったかも。
そんなしょうもない事を考えて一人苦笑していると、玄関から随分元気な声が響いた。
「ナツ姉ー! 来たよー!」
さて。ようやくだ。
キャンプ、始めますか。
続きは今日の夜21時から投稿予定です。
よろしくお願いいたします。