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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 13 高校時代3


 13 高校時代3


『二年。斉藤ナツ。二年の斉藤ナツ。直ちに校長室まで』


 校内放送を屋上で聞いたとき、自分でも思った以上にすんなりと私は観念した。そりゃそうだよなという感じであった。むしろ隣でベンチにまたがるように座っていた秋人の方が動揺した。びくりと肩を揺らしてその振動でコロッケパンの命であるコロッケが屋上のタイルの上にベチャリと落ちるほどに。

「ば、ばれたのかな」

「ばれたんでしょうね」

 私は弁当箱に蓋をすると、ベンチから立ち上がった。コキリと首を鳴らす。

「行くの?」

「行かざるを得ないでしょ。呼ばれちゃったんだから」

「ぼ、僕も行く」と立ち上がりかけた秋人を片手で制す。

「ダメよ」

「どうして」

 私は秋人を見つめた。

 呼ばれたのはまだ私だけだ。やぶ蛇になりかねない。私は何も言わなかったが意図をくみ取ったのだろう。秋人は再びベンチにまたがった。

「ど、どうなるんだろ。僕たち」

「さあ。せいぜい停学でしょ」

 そう鼻で笑ったが、秋人の表情は優れなかった。私も笑みを引っ込める。

わかってる。そんなかわいいもののはずがない。

 不法侵入。警察官への暴行。さらに銃刀法違反のおまけ付きだ。退学処分なら御の字。下手すれば少年院だ。クラスのイタい霊感少女から誰もが恐れる前科持ち少女に華々しく昇格である。大出世だ。

「ご、ごめんよ。僕のせいだ……」

 秋人が絞り出すような声で言った。自責の念に駆られているのだろう。具を失い、アイデンティティが消失した惣菜パンを握る手が震えていた。

そんな涙目でうつむく秋人に、私は年上の女性として愛を込めて言った。

「それな」

 秋人が打ちひしがれた表情で顔を上げる。

「マジで全部あんたのせい」

「……いや、そうだけど……そうなんだけど」

「廃墟に行こうって行ったのはあんた。止めたのに譲らなかったのもあんた。改造エアガンを持ってきたのもあんた。警官に向けて発砲したのもあんた。全部あんたが悪い」

「警官を殴り倒したのはナツ姉……」

「黙れ」

「ごめん」

 私は手を腰にやると溜め息をついて床に落ちたコロッケを見つめた。たっぷり数十秒。その間秋人は大人しく黙って私を見つめていた。パンの残骸が握りしめられて絞った雑巾のようになっていた。

「……ちょっと行ってくる。あんたはいつも通りに教室に戻りなさい」

 私はくるりと背を向けると、屋上の出口に向かって歩き出す。

 秋人が何か言おうと立ち上がったのが気配でわかったが、私は振り返らなかった。秋人も言葉が見つからなかったのだろう。結局は何を言うこともなく、彼は黙って私を見送った。

 私は虚空を睨み付ける様にして階段をゆっくりと降りた。

 どうしてバレたのかはわからない。だが少なくとも現段階で呼ばれたのは私だけだ。つまり、秋人はまだ特定されていないということかもしれない。

 だったら秋人だけでも守らなければ。

 きっともう一人は誰だと追及されるだろう。だが、私は何を言われても口を割るつもりはなかった。

 どう考えても悪いのはあいつではあるけれど。別に貸しも義理も無いけれど。

 まあ、そうね。強いていうなら。

 リブステーキ、奢ってもらったし?




 校長室の重厚なドアをノックする。返事は返ってこなかった。その無駄な分厚さのせいで聞こえなかったのだろうか。もう一度叩く気にはなれず、「失礼します」と呟いて押し開く。

 室内にいたのは二人だけだった。

 来客用の対面ソファに校長と刑事がテーブルを挟んで座り、談笑していた。女性刑事。前回、中年の男性刑事と共に私を事情聴取した刑事だ。今回は一人で来たのだろうか。校長のしょうもない冗談に、口に手を当てて笑っている。

 もっと張り詰めた空気を想像していた私は肩すかしを食らった。拍子抜けした表情でドアの前に立つ私に、「おお。斉藤くん」と校長が片手を上げる。

「ここにかけなさい。刑事さんが聞き忘れた事があるそうだ」

 校長は立ち上がると、自分がさっきまで座っていたソファに私を誘った。女性刑事の向かいだ。私は眉をひそめながら言われるがまま腰を下ろす。中途半端に柔らかいソファは校長の体温が残っていて不快だった。

 女刑事が笑顔を作る。

「ごめんなさいね。何度も押しかけて。前回は男の刑事さんもいたし、校長先生もいらっしゃったしで、緊張したかもと思って。今日はお姉さんと二人でお話しましょ」

 そう言って彼女は、フレームの細いスクエア型の眼鏡の奥で茶目っ気のある目配せをした。

 校長が「女性同士の話もあるでしょうしな」と訳知り顔で頷く。

 品の無い笑みを浮かべる校長に女刑事は可憐な笑みを向けた。

「お気遣いありがとうございます。では申し訳ないのですが、しばらくガールズトークをさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ。どうぞどうぞ。ここを使ってください。邪魔者は消えますよ」

「先生がご理解のある方で良かったです。企業さんなんかだと融通していただけない方も多くて、いつも苦労するんです」

「本校は年頃の生徒に日々細心の配慮を払っておりますから。意識の差でしょう」

「頭が下がります」

 校長は「いやいや」と上機嫌に手を振るとドアを開けた。去り際に「では、ごゆっくり」と不自然に片目を瞑った。もしかしてウインクのつもりだったのだろうか。

 校長室には私と女刑事だけが残された。

 ドアに向かって黙礼した女刑事が視線をこちらに戻すまでに、さっと彼女の全身を観察する。二十代前半といったところだろうか。眼鏡とパンツスーツが似合う、平たく表現するところの「デキる風」のオフィスレディといった感じだ。つややかな長い髪が肩のスーツ生地の上を流れている。

 こちらに向き直った彼女は私にいたずらっぽく微笑むと、すっと、テーブル越しに身を乗り出して、片手を口の横に添えた。黒髪の毛先が机をわずかに撫でる。

「あの校長先生、女子から人気ないでしょ」

 小声で囁いてから、彼女はウィンクした。長いまつげが艶やかな陰を一瞬だけ作って消える。先ほどの校長と同じ動作だとは信じがたかった。

 確かに校長は生徒から好かれているとは言いがたい。初老の男性としては随分と身だしなみに気を遣っているのだが、皮肉なことにその高い自意識こそが女子生徒からは大不評である。クラスのカースト最上位女子、姫曰く「逆にキモい」。

 だがそのことを女刑事に伝える理由もなかった。私は手を膝に置いた姿勢のまま、「さあ」とだけ返した。

 刑事は前傾姿勢を戻さず。いつの間にか組んだ膝の上に肘をついた。私の気のない返事を意に介さず、さもうんざりしたといった表情で言葉を続ける。

「少しだけ話したけど、ちょっと残念なおじさんね。単純な時代錯誤ならまだしも、自分は新しい価値観取り入れてますって感じ出しながら根本がズレてるの。さっきも『こんなに若い女性が刑事さんとは。実にジェンダーレスですな。素晴らしい』とかなんとか言ってたのよ。その発言自体が性別っていうカテゴリーに囚われてるの、わかってないのよ」

 彼女は流し目で私に共感を求めてきた。

「私にはよくわかりません」

 表情を変えずにそう返した私に、彼女は「そっかそっか。ごめんごめん」と笑って身を引いた。

 この人、私との距離感を測ってる。

「数ヶ月ぶりだよね。私の名前、憶えてる?」

「すみません。人の名前は覚えるのは苦手で」

「わかるー。私も職場のおじさん達の名前、全然憶えられなくてさー」

 彼女はそう言って笑いながら胸ポケットから名刺を取り出すと差し出した。私が手を膝から動かさなかったので白い手と名刺が行き場を失い、一瞬、中空に留まったが、私が受け取らないと見ると、彼女はまるで始めからそう動こうとしていたかのような自然な動きで、テーブルの上に名刺をすっと置いた。私が読める向きで。

「せっかくだし、下の名前で呼んで。私もナツちゃんって呼ぶから……」

「卯月刑事は、どのようなご用件で来られたんですか」

 遮るように名字呼びをした私に、ほんの一瞬だけ卯月刑事は動きを止めた。だがすぐに「手厳しいなー」と舌を出した。

「あ、昼休みに呼び出されたの、怒ってる? そうだよね。友達とランチ中だったもんね。わかるよー。女子高生の休み時間って貴重だもんね。私でも絶対キレちゃう」

 にこにこと口を回す卯月刑事に私は「友達はいません」と返す。彼女は「嘘だあ」と目を見開いた。

「わかった。彼氏でしょ。彼氏と食べてたんだ。いいなあ。青春だなあ。お姉さんなんて女子校だったから……」

「卯月刑事」

 私は再び彼女の早口を無理矢理遮った。

「ご用件を」

 彼女はピタリと言葉を止めると、「ふーん」と私の目を見つめた。

「なるほど。そんな感じかあ」

 その表情を見て、私は気を引き締めた。

「じゃあ、前置きはここまで。本題に入りましょ」

 卯月刑事は一枚の写真を撮りだした。派手派手しい髪色の、いかにもな少女がピースしている。プリクラか何かの写真を切り取って引き伸ばしたのだろう。画質も粗く、私は目をすがめた。

「死体で発見された女子高生よ。あなたの同学年」

 見覚えが無かった。卯月は彼女の名も教えてくれたが、そんな名だったかなと思うぐらいだった。

「これほど話題になったのに知らないの?」

 そういえばニュースで聞いたことぐらいはあるかもしれない。だが私はそんなことをいちいち記憶するほどまめな性格ではない。なにより。

「興味がなかったので」

「同じ学校の生徒よ」

「同じ学校の生徒は他にも数百人います」

「そう。じゃあ、それでいいわ。そういうことにしとく」

 卯月刑事は笑みを浮かべたまま小首を傾げた。

「でもね、だとしたらどうしてもわからないの。なんでナツちゃんはあの廃墟のホテルに陽向さんの遺体があることを知っていたのか」

「以前にもお伝えしましたが」

「幽霊の話?」

「ええ。霊が見えただけの話です」

 刑事はソファにぐっと背を押しつけて顎を引いた。そのまま私の顔を見つめる。

「……私、幽霊とか信じないのよね」

 私は無表情に徹したまま答えた。

「卯月刑事が信じる必要はないかと。私は聞かれたから事実を述べているだけです。信じられようが信じられまいが、手帳に記録して持ち帰られたらよろしいのでは。事実、前回の男性の刑事さんはそうされていました。あなたもそうされては?」

 刑事の口角が上がる。

「自称霊感少女が近づくなと警告した場所に死体があった。それも高校の元同級生の死体。偶然で済ませと?」

「偶然だと上層部が判断したから、あなたは今、一人でここに来ているんでしょう」

 卯月刑事の顔から初めて笑みが消えた。

 そうだ。この刑事自身が前回言っていたのだ。警察はチームで動くと。私に本格的な疑いがかかったのなら、単身でこんな非公式のような形で接触などしてこまい。

 そもそもあの事件は事故であると報道された。一度そう発表した事件をわざわざ掘り返して再調査するほど警察も暇ではないだろう。

 つまり、この聴取は、上層部の判断に納得できなかった卯月刑事の単独行動だ。

 なら、付き合う必要は、無い。

「もういいですか」と私が腰を上げようとした時だった。女刑事はパンと手を打って一瞬でフレンドリーな笑顔を顔に貼り付けた。

「ごめんごめん! なんか変な感じになっちゃったね。話題変えよう!」

「いえ、もう昼休みも終わりますし……」

「まあまあまあ」

 彼女はそう言って私の肩を押さえるようなジェスチャーで私が立ち上がるのを阻んだ。

「恋バナ! 恋バナしよう! ね! 好きでしょ」

「好きじゃありません」

「うそ。JKなのに?」

「カテゴリーに囚われているのはあなたでは?」

「あちゃー! 一本とられた!」

 そう言って舌を出した彼女はまた足を組むと、その上に肘をついた。手の平で顎を支え、意味ありげに微笑む。

「彼氏さんとさ、デートとか行く?」

 私はうんざりした表情を意識的に作る。この質問自体がハラスメントではないだろうか。「いません」と吐き捨て、こんどこそ立ち上がった。

 卯月刑事は今度は止めようとしなかった。座ったまま私を見上げて続ける。

「私の頃は手軽にマックとかだったけど、今時の子はあれかな。スタバとかかな」

 もう答える気もしない。出口に、向かって身体を向ける。

「もしくは」女性刑事が声を張った。

「深夜の、サイゼリヤとか?」

 息を飲む音は、なんとか押さえ込めたと思う。しかし、ピクリと肩が揺れるのは止めきれなかった。不意打ちが過ぎた。

「座ろうよ。ナツちゃん」

 私は三度ソファに腰を下ろした。向かいの女性を睨み付けながら。

 そんな私を見て、若い女刑事は可憐に笑う。顎をついたまま小首を傾げた。

「夜更かしって楽しいよねえ。でも、お姉さん、感心しないなあ。深夜の心霊スポット巡りなんて」

 私は答えなかった。

 卯月刑事はまた片目を閉じて綺麗なまつげを見せ、囁いた。

「いるじゃない。彼氏」





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