【第7章】 廃村キャンプ編 11 高校時代2
11 高校時代2
夜中の十一時。駅の改札前。黄色いアイポッドで音楽を聴きながら腕組みをしている私を見つけた秋人は、それはもう喜んだ。久々に飼い主に再会した柴犬のようであった。
「信じてたよ! ナツ姉ならきっと来てくれるって! よ! ツンデレ!」
……今からでも帰ろうかな。
踵を返そうとした私の腕を秋人は「ごめんごめんごめん」と掴んで引きとめる。
「終わったら、サイゼでなんかおごるから!」
「……じゃあ、リブステーキで」
「いや、慈悲」
そんな馬鹿みたいなやり取りをしながら、私たちは駅を出て某廃ホテルに向かい歩き始めた。
この駅はちょっとした繁華街そばにある。夜中の十一時だというのに人通りも多く、まだまだ営業している店も多ければ、少し通りを間違えば、これからがかき入れ時といった業種の店も立ち並んでいる。高校生二人がこの時間に来るような場所ではなかった。事実、私は秋人と合流するまでに二回もナンパされてうんざりした。
しかし、この繁華街も大都会のそれとは比べるべくもない規模のもので、駅の反対側を三十分も歩けば住宅街、さらに三十分も歩けば車道とトンネルしかない山道となる。そんな中に、ぽつんと廃ホテルは建っている。昔はカップル向けの経営スタイルの店だったそうだが、より駅前にホテルが立ち並んだことであえなく閉業に追い込まれたらしい。以後、誰も整備をしないために建物は荒れ果て、その物寂しい風貌から心霊スポットとなり、最後は不良の溜まり場となったというわけだ。
「思ったより、登り坂きついねー」
「……そうね」
秋人はなんでもないようにてくてくと山の中の車道を進んでいく。秋人の思いがけないスタミナは目を見張るものがあった。対して私はその背を追うだけで精いっぱいだった。これでも体力には自信があった方なのだが。
「そろそろかなあ。ホテル」
「ええ……電車から、見える感じから、ここ、ぐらいだと、思うん、だけど」
「あれ? ナツ姉疲れた? ごめん。自分のペースで歩いちゃって」
「別に、疲れてなんか、ないわよ」
明らかに呼吸が乱れていたので、格好がつかない。だから私はとっさに言った。
「ちょっと、近くなってきたから、オーラにやられたのかも」
「え、なにそれ! やっぱりそういうのあるんだ!」
秋人が顔を輝かせた。ほんとガキだなあと思いつつ、自分の発言の阿保らしさにも我ながら赤面しそうであった。
「幽霊はともかく、不良とかはいるかもよ。対策はしてるんでしょうね」
そう尋ねると「勿論!」と秋人は頷いた。
リュックを降ろすとごそごそと中を探り始める。期待せずに水筒のお茶を飲みながら横目で見ていると、「じゃーん」と秋人が黒々とした機関銃をズボリと両手で引き抜いた。私は口の中身を吹き出しそうになり、それを何とか飲み込んだものだから、お茶が気管に入ってゴホゴホとせき込む羽目になった。
「なにそれ!?」
「え、MP5だけど……」
「えむぴ……なに?」
次の瞬間、秋人は黒々とした銃を両手で捧げて堰を切ったようにしゃべり出した。
「MP5はヘッケラー&コッホ社が開発したサブマシンガンだよ。反動が少なくて正確な射撃が可能で高精度。過酷な環境でも故障しにくい設計で信頼性も高い。ストックも伸縮するからコンパクトで近距離戦闘や特殊作戦に適したサイズなんだ。9mmパラベラム弾を使用して……」
「ちがうちがうちがう」
私は手を振って秋人の高説を遮った。
「なに? 本物の銃?」
秋人はマシンガンを抱えたまま一瞬黙り込むと、吹き出した。
「んなわけないじゃん! エアガンだよ。電動ガン! おもちゃ」
「あ、そうなの」
それはそうか。
秋人が自慢げにバナナのような形状の黒い弾倉をガチャリと抜き取る。
「ほら」と促されて見てみると、直径5ミリほどの白い球が虫の卵のように詰まっていた。
「BB弾だよ。安心した?」
私は安心すると同時に、なんともいたたまれない気持ちになった。
この坊主は不良たち相手におもちゃの銃で立ち向かおうとしているのか。
「これで僕が守ってあげるからね。ナツ姉」
私はあいまいに笑った。
「ええ。よろしく頼むわ」
鼻息を荒くして銃の照準を調整している秋人をしり目に、私は道端に目を凝らして、落ちていた手ごろな木の棒を拾い上げた。ポンポンと手の平を叩いて堅さを確かめる。
いざというときは、私が戦わないと。
到着した廃ホテルは心霊スポットに相応しい貫録を兼ね備えていた。以前は赤色であっただろう外壁は塗装の大部分が見る影もなく剥がれ落ち、血痕を頭からかぶったようなありさまになっていた。足元から二階の中腹まで這い上がったツタがその血を吸っているという想像が浮かんでくる。
「……想像より、雰囲気あるね」
「今更だけど、夜中に来る必要あった? 昼間に来たらよかったじゃない」
「え、だって、幽霊に会うためには夜じゃないと」
「あいつら、別に昼とか夜とか関係ないわよ」
「え、そうなの?」
私たちは外観を眺めるのに飽いて、建物の真下の半地下にある駐車場の入口へと進んだ。ぼろぼろになった目隠しの幕がぶら下がっている上から、黄色い「KEEP OUT」のテープが幾重にも張り巡らされていた。
「げ、入れないや。どうしよう」
「これぐらい、予想しときなさいよ」
私は背負っていたショルダーバックからハサミを取り出すと、テープを根元からチョキチョキ切り始めた。
「え、いいの? そんなことして」
「だめにきまってんでしょ。不法侵入もいいところよ」
私は人一人が入れるスペースを確保すると、秋人に振り向いた。
「あんたが言いだしっぺでしょ。腹をくくりなさい」
武者震いのように頷く秋人をしり目に、私はテープの残骸を潜り抜けた。
車が半地下に潜るための下り坂を慎重に降りる。
車道の街灯がしばらくは後ろから光を供給してくれていたが、駐車場の平らなアスファルトに着いた頃には漆黒に飲み込まれそうになる。
私は家から持ってきた懐中電灯を点けた。古びたアスファルトを人工の光が照らし出す。
十ほどある駐車スペースには、当然のように一台の車も止まっていなかった。ありがたいことに不良もいないようだ。彼らも流石に死体が発見されたような場所で騒ごうとは思わないのだろう。
しかし、彼らの名残はしっかりと残されている。駐車場のアスファルトには空き缶やたばこの吸い殻が散乱していた。何かの錠剤が入っていただろう薬のパックの殻もあったし、明らかに注射器のようなものも落ちていた。そしてなにより、スプレーで描かれただろうアートスティックな落書きが半地下の駐車場の壁一面に広がっていた。この手の文化には疎いので、上手いのか下手なのかもわからないが、複数の奇抜な色が織り交ぜられたそれは迫力があった。
少し光量が心もとないかなと思ったところで、背後からもう一筋の随分白い光が追加された。振り返ると、秋人が誇らしげに電動ガンを構えていた。マシンガンの銃口の下に小型のライトが内蔵されているらしい。
「へえ。便利ね」と声をかけると「そうでしょ!」と食い気味の返答が返ってくる。
「これ、ハンドガードをカスタムしてるんだ。ただのライトじゃないんだよ。フラッシュライトって言ってね。ストロボ機能もついてるんだ。ほら」
秋人は私の前に立つと、半地下駐車場をライトで照らした。カチリと手元を操作すると、ライトがパパパパパとすさまじい勢いで点滅した。駐車場を白い光が照らし出すのと、暗闇に沈むのが交互に繰り返される。
「え、なに。なにが楽しいのそれ?」
「ストロボ戦術ってやつだよ。眩しい光を高速点滅させることで、相手の視界を奪うんだ。特殊部隊とかで実際に使われてる戦術だよ」
「相手を眩しがらせるってこと? じゃあ別に点滅させる必要はなくない?」
「目の前でぱぱぱぱぱって光が付いたり消えたりしたらパニックにならない? 心理攻撃だよ」
目くらましということか。
私は「へえ」と感心しながらも内心首を傾げた。暗闇で相手に光なんて当てたら、一撃で場所がばれてしまって逆に狙い撃ちされてしまうのではないだろうか。光を当てて「眩しくて撃てないだろ!」なんてまるで小学生の作戦みたいで、実際の銃撃戦で役に立つとはどうも思えなかった。
秋人のやけに光量の強いストロボライトが駐車場の落書きを断続的に映し出す。真っ暗闇と退廃した空間が交互に現れる様はあまりに終末的だった。広い駐車場なはずなのに随分と閉塞感を覚えた。
「それ、もうやめて」
秋人も同様に感じていたのか、すぐにストロボ機能は止められ、ただ二つの光の線が駐車場を行きかうだけになった。
「あんた、幽霊に会いたかったの?」
壁の落書きを眺めながら、私は秋人に問うた。
「僕が会っても仕方ないよ。ナツ姉に会ってもらって、その女子高生をナツ姉に降ろして、事情聴取するんだよ」
私は木の棒を持った方の手の指で頭をかいた。
どうも秋人は私を霊媒師か何かと勘違いしているようだ。
私はあくまで「見えるだけ」であって、そんなイタコのような真似をできるわけがない。
言葉をしゃべる霊がいないわけではないが、意思疎通ができるレベルの個体はごく稀だ。いたとしてもなるべく関わるべきではないだろう。
「ナツ姉、降霊術ぐらい余裕だって、この前言ってたもんね!」
え、そんなこと言ったっけ?
私は嫌な汗が背中に染み出るのを感じた。
言ったかも……しれない。
秋人の目のせいである。幼子のようなきらきらした目で見つめられるとどうしても見栄を張ってしまうのだ。
私は誤魔化すように咳払いすると言い放った。
「なんにしても、ここにその子の霊はいないと思うわよ」
「なんで! まだわかんないじゃん!」
「だって」
私は駐車場の隅の一角を懐中電灯で照らしながら呟いた。
「いるとしたらここだもの」
散らかり放題な駐車場の中、不自然なほどに片付けられた一角。けばけばしい壁画の背景に挟まれるようにして、黒いアスファルトの上に妙に目を引く白い線で、その輪郭は残されていた。
大の字で両手を広げて、チョークで引かれた白い輪郭は、ここにいた少女の痕跡をこれ以上無いほど克明に浮かび上がらせていた。
死の形をありのまま正確に残すための白線は、その目的を鑑みると随分とアバウトに大きく描かれていた。まるで大きなぬいぐるみでも倒れていたかのようだ。
きっと警察も輪郭を絞り切れなかったのだろうと想像する。
『腐乱死体を飛び越えて、ほとんど白骨化していた』
秋人はすっと、私の隣に立って、その大まかな大の字の白線を見下ろした。
「……どんな気分だったんだろうね」
私は秋人の横顔に視線をやった。
「というと?」
「だってさ、こんな汚いところでさ」
じっと少女の痕跡を見つめるその目はわずかに潤んで見えた。
「ずっと一人だったわけでしょ。数か月間も」
「……そうなるわね」
本当は一人であったはずがない。きっと他の不良共と一緒に薬をやって盛り上がっていたのだろう。だが、そこで用法を誤って少女は動かなくなった。
きっと他の不良たちは焦ったのだろう。そして、病院に連れていくでもなく、救急車を呼ぶでもなく。
そのまま見捨てられたのだ。
不良たちが寄り付かなくなれば、こんな場所、誰も覗こうとはしないだろう。そのまま数か月間の時間をかけて、一日中陽の当たらない、この暗い空間で一人孤独に静かに朽ちていった。
「……幽霊、いない?」
再度そう聞かれて、私は頷いた。
それこそ春先は、遠くから見てもわかるほどに「よくないもの」がうようよと集まっていた。きっと死の匂いを嗅ぎつけてきていたのだろう。その中に少女自身の霊がいたかどうかは私にも分かりえない。ただ、少なくとも、今この空間には何もいなかった。静かなものだ。
私はゆっくりとその場に膝をつくと、両手を合わせて目をつぶった。
仏の教えというやつを信じているわけでもないし、そもそもこの場にもう少女はいない。実質、無意味だ。
それでも、それぐらいの礼儀は払うべきだと思った。
私は数十秒の間そうしていたが、「もう、成仏したのかもね」と立ち上がった。
「別に死んだ人がみんなみんな霊になるわけじゃないだろうし、この子もきっと……」
「そんなわけないじゃん!」
私の適当な死生観を秋人がぎょっとするほどの勢いで遮った。
「許せねえよ、こんなの……」
秋人が表情をゆがめているのを私は初めて見たかもしれなかった。
正直、私としては哀れだと思う反面、薬物等の違法行為に手を染めたのは自分の責任であろうと思うところもあったので、それほどに憤ることではないように感じていた。しかし、秋人の中では何かのスイッチが入ったようだった。
秋人は急に足を踏み出したかと思うと、なんと白線の中にゴロリとその身を横たえた。
「は? ちょ! 何してんの!」
「いや、こうすれば霊視とか、降霊とか、できるかなって」
「できるわけないでしょ!」
私は今更ながら、秋人に対する「こいつ変な奴だな」という認識を強めた。まあ、そもそも学校全員から毛嫌いされている私にやたら構ってくる時点で変人であることは確定なのだが。
「でも、少なくとも、この子の最後の景色は見ることができるよ」
古びた駐車場のアスファルトの上に大の字で転がる、間抜けな少年は呟いた。
「ふうん。何が見える?」
「……なんにも。ひび割れた天井ぐらいかな」
「でしょうね」と私はすっと、木の棒を秋人に突き出した。秋人がガシリとそれを握り、私が引っ張り起こす。秋人は素直に立ち上がった。
「じゃあ、秋人。帰ろうか」
「気はすんだでしょ」と続けようとした私を、秋人は「まさか」と驚いた眼で見る。
「まだ、建物の中とか、確認してないじゃん」
「え? 必要?」
「もしかしたら、建物内をさ迷ってるかもしれないんだから」
秋人はそう言うとずんずん駐車場奥のエントランスに向けて歩き出した。何が何でも幽霊と遭遇したいらしい。
「ちょ、勝手に行くな」
秋人はエントランスの玄関を躊躇なく潜った。自動ドアは半開きで止まってしまっていた。私は「ねえ。もう帰りたいんだけど」とぼやきながら後を追う。
エントランスは自動ドアの割れたガラスが床に散乱していた。壁には各部屋の写真と、「空室」「満室」のランプが埃をかぶっていた。
「何してるの! 早く!」
秋人はすでに廊下の奥まで進んでいた。
やれやれだ。本格的に廃墟探検に付き合わされてしまうらしい。
廊下は駐車場のように物が散乱していないものの、床にうっすらと埃が積もっていた。廊下の両側に並ぶ客室の扉一枚一枚の傷みぐあいから、この廃ホテルの歴史が感じられた。客室の錆びたドアノブの鍵穴から、部屋の奥から積み重なった愛憎と劣情の念が染み出してきそうで、私はここにきて初めて背筋が寒くなった。
「どうしたの? ナツ姉?」
秋人がきょとんとしている。
踏み入れたくない。だが、秋人にビビっているのだと思われるのはもっと嫌だった。
「なんでもない」
そう強がって、私が廊下に向けて足を踏み出したその時だった。
パキリと、背後でガラスを踏みしめる音が響いた。
廊下の奥の、秋人の顔がさっと青ざめる。
振り向く間もなく、ガシリと肩を背後から掴まれた。
「何してる」
低い、男の声だった。
私は叫び声をあげた。それだけではとどまらず、懐中電灯を放り出すと、もう片方に持っていた木の棒を両手で握りしめ、振り向きざまに男の頭頂部を力の限りに殴打した。
「あが!」
男が悲鳴を上げて後ずさる。私は即座にバッターボックスに立った四番打者のように木の棒を振りかぶると、その側頭部に向け思いっきり振りぬいた。
乾いた木が見事に粉砕し、木片が飛び散った。私は折れた棒を捨て置くとさっと拳を握りしめ、次の攻撃を瞬選する。次は顎、急所。それから……。
しかし、追撃の必要は全くなかった。男はふらりと体を揺らしたかと思うと、ばたりとエントランスの床に転がった。
「ちょ! ナツ姉! なにしてんの!」
「危なかったわ。きっとこいつが犯人よ」
「なんの!?」
確かに。何の犯人だというのだろう。
自分のテンパった発言に自ら疑問を挟み込む暇もなく、次の秋人の言葉に私は戦慄した。
「この人、警察官だよ!」
「へ?」
見ると、倒れて呻く男性は紺の制服に身を包んでいた。見慣れた警察帽子が、私が殴打した頭のそばに転がっている。
きっと、巡回中の警察官が立ち入り禁止のテープが切られていることに気が付いたのだ。そして見回りに来て、不法侵入をしている学生の肩を掴んだ。おそらくそれだけだったのに。
私はそれを問答無用で叩きのめしてしまった。
「や、やばい。どうしよ」
狼狽して秋人を見ると、彼もぱくぱくと金魚のように口を開閉してた。そして絞り出すように言う。
「に、逃げよう」
「え、介抱とかして、謝った方が……」
そうだ。いまならまだ、背後から脅かされて反射的に……という言い訳がぎりぎり成り立ちそうだ。不法侵入に関しても、肝試しだなんだと誤魔化せなくもないかもしれない。ここは誠心誠意に謝って……
「だめだよ。僕のこのエアガン、自分で改造してるんだ。初速を法定超えて上げちゃってるから、銃刀法違反で逮捕される」
私は目を剝いた。
「法律は守りなさいよ! そしてそんなもん持ってくるな!」
「ナツ姉が警察官殴り倒すとは思わないじゃないか!」
頭を抱えて床の上でもがく警察官の上で、怒鳴りあっている私たちを、突如、すさまじい光が襲った。二人してあまりの眩しさに目を細めて悲鳴を上げる。
「何してる! 動くな!」
入り口の自動ドアにもう一つの人影。しかし、その人物の表情はおろか風体も全く認識できなかった。容赦なく目に突き刺さってくる光が強烈で全くそちらを見ることが出来ないのだ。とっさに目をつぶっても瞼の裏に光の残像がちらつき、全く目が休まらない。
ただ、辛うじて垣間見ることが出来た相手の黒い革靴と紺の制服のスラックスから、彼も警察官であることが判断できた。頭の横で構えた懐中電灯で私たちを照らしつけているのだ。
先ほど秋人が語っていた目くらまし戦術の有用性を身を持って理解する。眩しい、ただそれだけで思考が散らされ、体も固まる。これでは反撃などできようはずもない。
ちくしょう。油断した。この前の刑事さんも言っていたではないか。警察官は基本複数人で行動すると。殴り倒したお巡りさんが単独であるはずなかったのだ。
その時、懐中電灯の光が床に倒れこむ相棒に向けられた。警官が息を飲む。
「え、先輩? 先輩!」
あ、この方の後輩さんでしたか。お勤め、ご苦労様です。
「き、きさまらああああ! よくも先輩を!」
やばい。終わった。
私が補導と厳しいお叱りと学校の長い長いお休みを覚悟したその時だった。
「くらええええええええ!」
秋人が目をつぶったままマシンガンを突き出した。
「は?」
パパパパパパとストロボが焚かれる。「うわっ」と警官が怯み、懐中電灯の光が逸れた。目をつぶる若いお巡りさんの顔がようやく視認できた。
その体に向けて、あろうことか秋人は引き金を引いた。
ダダダダダダダダ!
「いたいいたいいたい!いたいいいいい!」
違法に初速が上げられたBB弾が紺の制服をビシビシと打ち据えた。警官がたまらず悲鳴を上げる。
「いや! あんたこそ何やってんの!」
「逃げるよナツ姉!」
秋人がエアガンを連射しながら走り出す。あまりの痛みに顔を覆ってうずくまってしまった警官の脇を通り過ぎて秋人は自動ドアを飛び出した。
「ナツ姉! 早く!」
私は足元の先輩警官に目をやった。呻き声を上げながらもその身を起こしかけていた。
「ナツ姉!」
ええい。どうにでもなれ!
私は秋人を追って走り出した。自動ドアを抜ける瞬間だった。BB弾の痛みを抑え込んだ若い警官が縋り付いてきた。
「逃がさないぞ! 先輩の仇だああ!」
男性に腰に抱き着かれた嫌悪感から、思わず肘打ちを繰り出す。警官の頬に直撃し、腰の拘束が一瞬緩む。その隙をついて、私はお巡りさんの顔面に思いっきり拳を叩きこんだ。お巡りさんは死んだカエルのような格好でBB弾が散乱した床に仰向けに倒れこんだ。
「ごめんなさい!」
叫びながらも全速力で走り出す。自動ドアを通過し、半地下駐車場を走り抜け、入り口の坂道を駆けあがる。「KEEP OUT」の黄色いテープの隙間を潜り抜けたところで、待っていた秋人と合流するやいなや、私は叫んだ。
「走って!」
道のそばには無人のパトカーが一台停めてあった。音を出さずに回っている蛍光灯の赤い光に照らされながら車道を二人で駆け下りる。
お互いに無言である。話す余裕などなかった。二人で先を争うようにして街灯の光と間の暗闇を交互に潜り抜けて全力疾走する。
程なくして、背後からサイレンが響き渡った。二人して引きつらせた顔を見合わせる。
だめだ。追いつかれる。
「こっち!」
私は叫ぶが早いか、道の脇の林に飛び込んだ。後ろから秋人も続く。しかし、そこは想定外に急斜面であった。気づいた時にはもう遅かった。
私たちの身体は一瞬中に浮いたかと思うと、地面に叩き付けられた。それだけでは留まらず、私と秋人はもつれ合うよう山の斜面をごろごろと転がる。上も下も完全にわからなくなったところで、一際大きい木の幹に二人して背中をしたたか打ち付け、回転は止まった。
口から漏れ出そうになるうめき声を、お互いがお互いの口を押えて必死に耐えているところを、赤い光とサイレンが頭上を通り過ぎて行った。
その日の明け方近く。
駅前のサイゼリヤに二人の高校生が来店した。
頭と服のところどころに落ち葉を引っ付けた男女は、迷いなくリブステーキを二人前とドリンクバーを注文し、すさまじい勢いで平らげたかと思うと、二人して机に突っ伏して眠ってしまった。
その熟睡具合は相当なもので、どれだけ揺さぶっても全く起きず、店員を困惑させた。
続きは明日20日朝8時に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。