【第7章】 廃村キャンプ編 9 古民家
9 古民家
「次からは、釣り竿を使え」という老婆の嘲笑を背に受けながら、私たち二人はとぼとぼとキャンピングカーに向かった。途中で自分たちが落ちた場所にも寄り、秋人の荷物と私が放り投げた一眼レフを回収する。ススキがクッションになったのだろう。一眼レフに幸い破損はなかった。
ドアを開いて乗り込んだ私たちを迎えたカンナはあんぐりと口を開けた。それはそうだろう。意気揚々とキャンプに向かったはずの二人が、全身ずぶぬれで一人一匹ずつ川魚を摘まんで帰ってきたのだから。
秋人が無理に絞り出したような陽気な声を出す。
「えっと、とりあえず、車でそれぞれの屋敷に行こっか。きっとお風呂もあるだろうし」
「……そうね」
私はテント用の防水シートを引っ張り出すと、運転席にひき、座った。秋人の分も出そうとしたが、「立ってるから」と運転席の背もたれに掴まった。
私は防水シートの上に腰を下ろし、車のエンジンをかけた。
ゆっくりと駐車場を出て村の中をゆっくりと進む。
私の「1」の屋敷は村の一番奥にあったはずだ。小さな村のようなので距離的には数百メートルといったところだろうが、ドブネズミのような風貌になってからだと、まるで千里先のように思えた。さっきまでは陽気なハイキング気分で道を闊歩していたというのに。何が、「今日は結構暖かいし、手を浸すぐらいしてみようかしら」だ。呑気に浮かれていた過去の自分をぶん殴ってやりたい。
「改めて見ると、堀みたいだね」
秋人がなんとか話題を見つけたといった感じで声をかけてきた。我ながら緩慢な動作で振り返り、秋人の視線をたどる。
さっき私たちが落ちた川、というよりは水路について言っているようだ。私も改めて見回す。ぐるりと村全体を囲んでいる。
「ほら。地図見て」
秋人が絞ればインクが溢れ出そうな状態の地図をポケットから出して広げた。私も車を止め、首を伸ばして覗き込む。
水路はキャンプ場をきっちりと包囲していた。やはり戦国時代に集落を囲む堀のようだ。その水路の始まりは村の最奥の山からだ。通ってきた入り口と同じように、キャンプ場のすぐ後ろで大きな川が二手に別れている。
「なんだか大きな中州みたいな形になってるのね」
「なかす?」
「川の真ん中で島みたいになってる地形のこと。」
山から流れ出た川が上流で二股に分かれ、それが下流で再び合流して一本の川になる。このキャンプ場はその間の空間に存在するのだ。入り口で渡った橋は川が再度合流する付け根の近くに位置していたようだ。
そう考えると、あのやたら大きく丈夫な石造りの水路にも納得がいった。水害対策なのだろう。
キャンプにおいても、川沿いでキャンプ地を設定する際は絶対に中州を避けなければならないというのは鉄則だ。いつ、急激に川が増水するか分かったものではないからだ。川が増水すれば、川の真ん中に偶然できている島などあっという間に濁流に飲まれてしまう。
そんな場所に集落があるのだから、川が氾濫でも起こしたら大変だ。あれだけ大がかりな石造りの水路を作るのは至極当然であると思えた。
しかし、地図を改めて見ると、水路は村のすべてを囲みきっているわけではないことがわかる。水路の外にも古民家がいくつもあった。
「手紙にあった通りね。水路の内側にある古民家だけをリノベーション。外側の民家はどれも廃墟」
きっと昔は水路の内側も外側もひっくるめて一つの村だったのだろう。水路は村のど真ん中を流れる形だったのだ。
しかし、リノベーションをするにあたって、村のすべてを改修することはかなわなかったに違いない。だからとりあえず水路の内側だけを整備することに専念した結果、村が内側と外側に二分されてしまったということなのだろう。
「わかりやすいわね。ぐるりと囲う水路の内側は綺麗なキャンプ場。外側は荒れ果てた廃村。改修するお金が足りなかったのかしら」
「それもあるだろうけど、地理的な問題もあったんじゃないかな。ほら、この村、橋が一つしかないし」
私がキャンピングカーで渡った入り口の橋。それが唯一のキャンプ場からの出入り口であるようだった。さっきの廃墟群や墓地に行くならば、入り口の橋を渡って一度キャンプ場の外に出なければいけないということになる。確かにそんな不便な場所をリノベーションしても使いづらいことこの上ないだろう。
そこでふと、私の頭の中で疑問が頭をもたげた。
「……あのおばあさん、どうやって私たちを助けに来たのかしら」
老婆が、山の上の墓場からどうやってあんな短時間で川まで移動できたのか。さっきも不思議に思った。だが、こうして地理的に考えるとますますおかしい。
だって、老婆は私たちを水路の内側から助けたのだから。
あり得ないではないか。墓地のある場所から、水路の内側、つまりキャンプ場内に入るためには、ぐるりと水路の周りを回り込んで唯一の入り口である橋を渡ってこなければならない。それこそ数百メートルの道のりだ。それを数分足らずで移動したことになる。私たち自身も下流に向かって流されていたことを考慮してもかなり無理がある気がする。
私の疑問に対する秋人の返答は淡白なものだった。
「きっと、めちゃくちゃダッシュしてくれたんだよ」
「いい人だなあ」と秋人は染み入ったように頷く。そんな秋人の呑気な顔を見ていると、真面目に考えるのが馬鹿らしくなってしまう。確かに気にすることではないのかもしれない。結果として私たちは助けてもらったのだ。これ以上何を言うこともあるまい。
地図を再度覗き込み、今日の宿泊地の位置を再度確認する。山のすぐ近く。水路が二手に分かれた直後の場所に「1」の屋敷。その下に「2」「3」と続いている。
やはり、村の一番、奥ということだ。
ざあっと山の木々が揺れ、風が私たちを追い越していった。車の中にいるので風を実際に感じることはなかったが、思い出したかのように二人して濡れそぼった肩をすくめて息をのむ。朗らかな日差しで忘れかけていた冬という季節が私たちに容赦なく牙をむいていた。
「あ、秋人。急ごう」
「うん。風邪ひきそうだ」
それからはもう景色なんかには目もくれず、道順だけに集中して車を進めた。細い道ばかりで、ほとんど徐行で村を縦断する。歩いていた際には気が付かなかったが、この村は奥に進むにつれて傾斜がきつくなる。山間の村らしいと言えばらしかった。
ようやくたどり着いた「1」の古民家は思ったより小ぶりな屋敷だった。村の一番奥にある家なのだから長者屋敷のような一際大きな建物を想像していた私は少し拍子抜けした。そんなわかりやすい序列で家を並べているわけではないらしい。
そうはいっても、他の屋敷に見劣りするという訳ではない。藁ぶき屋根にかぶせが施されている立派な三角屋根の平屋だった。
歴史を感じる佇まいではあったが、丁寧にリノベーションがされたらしく、ところどころに真新しい木材が組み込まれているのがわかる。こぢんまりとした庭もあり、よく手入れがなされていた。縁側のガラスは真新しく輝いており、昔ながらの引き戸の玄関扉には雰囲気を壊さないように茶色く塗装された錠が取り付けられていた。本来、表札が取り付けられているだろう場所には、白い桐の板がはめられていた。達筆な筆遣いで「一」とだけ記されている。
さっき見た廃墟とは違い、小綺麗なものだ。
「じゃあ、僕は2の屋敷にいったん行くね」
車を降りて屋敷を見上げる私に、いつの間にかリュックを背負った秋人は震える肩を抱きながら言った。秋人の「2」の古民家は少し手前にあった。
「うん。ありがと」
「それじゃ」
秋人は方向転換すると足早に坂を下りて行った。
「秋人」
その背に声をかける。秋人がどうしたのかと振り向く。
「えっと、あとで、晩ご飯、一緒に食べない?」
私は屋敷の庭を指さす。
「せっかく庭あるしさ。焚き火して……実はちょっと下ごしらえで作りすぎちゃってさ」
少し視線を逸らしながらもごもごと言う私を、秋人はきょとんと私の顔を見つめた。それからまるで雨上がりのような笑顔になった。
「僕もあとで誘いに来ようと思ってたんだ。パスタ好き?」
「うん。好き」
秋人は「作ったげる。わけっこしよ」とまた顔全体で笑った。
「うん。そうしよう」
秋人は「じゃあ、あとで」と手を振って自分の屋敷に走っていった。
私は秋人がもうこっちを見ていないのをわかっていながら無意識に手を振った。途中で我に返り、恥ずかしくなって慌てて手を下げる。
よし。美音。川に落ちて死にかけるというハプニングはあったものの、とりあえずミッションはこなしたぞ。
私は川底に置いてきてしまっていたかのようだったテンションが徐々に回復していくのを感じた。よし。シャワーを浴びて、着替えて、キャンプだ。
しかし、すぐに私は川底に置いてきたのがテンションだけではなかったことに気が付くこととなった。
真新しい白い引き戸の前に立ち、ポケットを探る。右。左。私は動きを止めた。
ただでさえ極限に低くなっているだろう体温がすーと下がっていくのを感じた。
鍵が、ない。
確かに上着のポケットに入れた記憶があった。しかし、川の水が溜まってチャプチャプと音を立てるポケットをいくらかき回してもあるはずの鍵が見つからない。
川で落とした。
私はとっさに携帯電話を取り出す。防水仕様のスマホは水浸しでもきちんと作動した。安心したのも束の間、秋人に連絡を取ろうとして、気づく。圏外だ。
廃村だもんな。近くの携帯の基地局も撤退しているのかもしれない。
私は秋人を追おうかと思って、すぐに思い直した。今から追いかけても「2」の屋敷につく頃は、秋人はもうシャワーを浴びている真っ最中だろう。きっと迷惑この上ない。
私は引き戸にもたれると、ずるずると玄関先に座り込んだ。
何をやっているのだろう。私は。
年下の秋人をベテランキャンパ―として引っ張ってやろうと思っていたのに。行きしなに事故を起こしそうになるわ、老婆と喧嘩するわ、川に落ちるわ、そして今度は宿の鍵まで失くした。いいとこなしである。
なんでこんなへまばかりなのだろう。
自身の行動を思い返す。自慢ではないが、私は車の事故なんて起こしたことがない。ヒヤリハットですらめったにない。運転中に注意がそがれることなど皆無だ。それがなんでもない田舎道で人を轢きかけるとは。
いつもとの違いは何なのだろう。そこまで考えて、明白な違いに気が付く。
秋人がいたからだ。
よくよく思い返せば、私は助手席に人を乗せることなどめったになかった。会話をしながらの運転など、カンナと時折するぐらいだ。不慣れなことをしたものだから、会話に気を取られて、あろうことか車の進行方向から視線をそらすなんてことをしてしまったんだ。老婆に前方不注意娘と罵られても何の文句も言えまい。
どうやら私は自分でも無意識のうちに、自分のペースを崩していたらしい。
もっと平たく言えば、私は、はしゃいでいたのだろう。
なぜか。明白だ。これがソロキャンプではなく、「誰かとのキャンプ」だからだ。
ここ数年、美音や紗奈子と友人関係になったものの、彼女たちとキャンプに行ったことはなかった。例外的にキャンプ場で待ち伏せされていたことがあったが、その時は泥酔していたのでよく覚えていない。よってノーカンである。
カンナも友人と言えば友人だが、キャンピングカーをシェアしているルームメイトみたいな関係だし、カンナは車を離れられるわけではないので、一緒にキャンプをしているとは少し言いづらい。最近再会した春香とも、キャンプ先で偶然出会っただけだ。
つまり、今回の秋人とのキャンプは、私にとっては初めての、正式なる「誰かとのキャンプ」であったのだ。そりゃあ、生粋のソロキャンパーである私のペースが乱れるのは当然の話だ。
そう考えると、川の出来事も合点がいく。いつもの私ならば、私一人ならば、あんな足元もよく見えない草むらにずんずん入っていったりしない気がする。なんでか、今日の私は気が大きくなって、向こう見ずな行動にでてしまった。結果、川に落ちて、二人で死にかけたのだから世話がない。
墓場にカメラを向けた時ですらそうだ。普段なら、一人なら、あんな罰当たりなことはするまい。それぐらいの分別はある。でも、秋人が幽霊を見えないから、そして私は見えるものだから、つい、「これぐらい大丈夫よ」と見栄をはって、つい、いい格好をしようとして。
高校時代もそうだったな。
ふと、私がずっと忘れていた十年も前の記憶が脳内に再生された。
あの頃も、私は秋人に対して、いつも格好をつけていた気がする。
誰も私に関わろうとしないあの時代。誰とも関わろうとしなかった高校時代。
私は「ナツ姉」と呼ばれることに辟易したようにそっけなく振舞いながらも、彼の前ではいつでも強がって、大物ぶっていた。随分と似合わない真似をしていたものだと思う。
でも、きっと今と一緒だ。
たった一人、姉と慕ってくれた少年。自分の存在意義すら見いだせなかった私を、純粋に頼ってくれた少年。
私はきっと、その子の、カッコいい姉でいたかったのだ。