【第7章】 廃村キャンプ編 7 廃墟
7 廃墟
「まずは受付かな」
「そうね」
私と秋人は駐車場に降り立ち、頷きあった。とりあえず一眼レフ以外のすべての荷物は車に置いたままだ。
老婆は勝手知ったる様子でさっさと行ってしまったが、ここがキャンプ場である以上、先に受付をすませておかなければ、下手すれば不法侵入になってしまう。てか、おばあちゃんは大丈夫なのだろうか。知らんぞ。
「田んぼだったのかな。なんか、別の畑みたいになってるね」
秋人の視線の先には至る所にあるススキの林に向いていた。秋人の言うとおり、以前はちゃんとした田畑だったのだろうが、私の肩ほどにも伸びたススキに完全に飲み込まれてしまっている。そんな土地がいたるところにある。その間を整備された道が続いている感じだ。
「婆さんも言ってたわね」
『悲しいもんじゃぞ。田畑が荒れ果てていくのをただ見ているというのは』
ススキに乗っ取られた田畑を眺めながらしばらく感慨にふけった後、管理棟に入る。新しく作られたらしい小ぶりなログハウスであった。扉には「Welcome」の看板がかかっている。
戸を開けるとモダンな待合室になっており、奥にカウンターがあった。明かりはついていないが、窓からの日差しが明るいせいか、暗いとは思わなかった。
「誰もいないね」
秋人のつぶやきを聞きながら、カウンターのベルを叩く。軽快な高音が鳴り響いたが、いくら待てどもカウンターの奥の部屋。締め切られた扉の向こうから反応が返ってくることはなかった。
外出中なのかな。
そう首を傾げたところで、「あ、ナツ姉」と秋人が声を上げた。秋人に促されるまま、カウンターの上を見る。
三つの封筒が几帳面に揃えておいてあった。三つの封筒には几帳面な字で宛名がそれぞれ書かれていた。「ウメ様へ」「ナツ様へ」そしてもう一枚。「ミリタリー野郎様へ」
やっぱ、そのハンドルネームくそダサいな。
とは口にも表情にも出さず、私は自分宛ての封筒だけを手に取った。裏には何も書いていない。封筒を開けると、「1」と書かれた鍵が一本滑り出てきた。怪訝に思いながら封筒を覗くと、三つ折りにされた手紙がある。開けてみると、私へのメッセージが古風なフォントで印刷されていた。
ナツ様。
本日はお越しいただきありがとうございます。心よりお待ちしておりました。
本キャンプ場は廃村となった集落を村ごとリノベーションし、リゾート地として生まれ変わった施設です。古き良き時代の山村の情景と、最新設備の快適な時間を同時に、心ゆくまでお楽しみいただけます。
キャンプ場を囲う水路の向こう側はリノベーションされていない土地になります。完全な廃墟が立ち並んでいますので、お近づきにならないようにお願いいたします。
出入り口は入り口の橋のみとなります。ご注意ください。
同封の鍵に番号がございます。同じ番号の屋敷がナツ様のお宿となります。
宿の中のものはすべて自由にお使いください。宿にはあらゆる設備とアメニティを整えておりますので、一切の不便はございませんが、ナツ様のキャンプスタイルに合わせてお過ごしいただいて結構です。庭にテントを建てていただくことも、もちろんお楽しみいただけます。お好みの形でお時間を過ごし下さい。
お約束通りご料金もいただきません。お帰りの際はこちらのフロントに鍵をお返しいただくのみで結構です。
では、ごゆるりとお過ごしくださいませ。
麻心村キャンプゲート
私は最初から最後まで二回繰り返して読み、さらに紙を裏返してみる。裏はこの村の地図となっていた。水路に囲まれたキャンプ場が、柔らかいタッチのイラストで描かれた簡易マップである。
「え、これだけ?」
秋人の手紙も見せてもらう。ほぼ同じ内容だった。定型文なのだろう。
「管理人さんはいないってこと?」
「そうみたいだね。もちろん、管理する人とかはいるんだろうけど、今日はいないってことなのかな」
私は自分の手紙と「1」の鍵を見つめて眉をひそめた。
「ナツ姉。どうしたの?」
「いや、なんか怪しくない?」
そう言うと、秋人は意外そうな顔をした。
「そう? 最近多いよ。できるだけ人と接したくないって人、増えてるから。ネットで全部手続きを済まして、当日は全部機械で、みたいなホテル」
なるほど。
ウインドウショッピングの時ですらあからさまにイヤホンをつける私にとって、できるだけ人と接したくないと言う気持ちは痛いほど理解できた。そんな風に思うのは私だけで無く、時勢なのだろう。言われてみると、先日に花火キャンプをしたキャンプ場も、プライベート感を大切にする観点からなるべく誰とも接点を持たなくて済むシステムを取っていた。
だがしかし、とも思う。
前のキャンプ場はあくまでも管理人さんが自分からは干渉してこないだけであり、こちらから管理棟に行けば常駐する管理人さんと話をすることはできたのだ。ここまで徹底して宿泊客と顔を合わせない形をとるのは、少し極端過ぎないだろうか。せめて緊急の連絡先ぐらい明記しておくべきではないだろうか。
「お、僕は2番だ」
そう言ってちゃらりと私に鍵を見せてくる。ということは、この三つ目の封筒、ウメ様宛の封筒には「3」の鍵が入っているのだろう。
「あのおばあちゃん、ウメさんっていうんだね」
「そうなるわね」
私は1番の鍵を上着のポケットに滑り込ますと、地図を片手にフロントを出た。秋人が後ろからついてくる。
歩きながら地図を眺める。
「古民家は全部で五軒あるらしいけど、水路の外側はリノベーションされてないみたい」
地図によると、一番奥の屋敷が1番。その手前が2番という風になっているようだ。
「村全部を改築したわけじゃないんだね」
「まあ、コストもそれなりでしょうしね」
二人で小道を歩きながら村を見渡す。澄み切った空と十二月とは思えない明るい日差しが心地よかった。
しかし、コテージ泊か。
テント泊だと思い込んでいた私は展望がずれて少し戸惑っていた。
それぞれの宿泊する古民家がどれだけ離れているかわからないが、もしかしたら完全な別行動になってしまうかもしれない。
私は歩きながら、美音と交わした会話を思い出した。
今日のキャンプをするにあたって、恋愛アドバイザー美音先生から、ありがたい言伝てをいただいていた。
「いいですか。ナツさん。秋人さんと、ちゃんといっしょにご飯食べるんですよ」
「いや、そりゃ一緒にキャンプするんだから、そうなるでしょ」
「いいえ。ナツさんのことです。話の流れによっては、『じゃあ、あとは個人行動で』とか言い出しかねません」
それは、流れによっては、確かにあるかも。
「どうせナツさん。テントは離れたところに張って、別々に楽しもー。用があったら言ってねー。みたいなことするつもりでしょ」
ありえる。
美音の的確な予想に私は言葉に詰まった。美音は私自身よりも私をわかっているようだ。
「きっと秋人さんはナツさんのキャンプスタイル尊重してくれちゃいそうですしね。ナツさんがそんなんだったら、なぜか近くにテント張ってるのに全く会話なく一泊二日すぎますよ」
それでいいじゃんという言葉を飲み込む。美音の剣幕がそれを許さなかった。
「ありえませんよ。デートなんですから」
「いや、だからデートってわけでは」と口をはさむ私を美音は「そのつもりで挑みましょうと言ってるんです!」と一喝した。
「何はともあれ、ナツさんは男性から誘われた身です。たとえ相手にその気がなくても、きちんとあらゆる可能性を想定して行動していなければなりません」
美音はそこでぐっと私に顔を近づけた。
「大人として」
私は唾を飲み込み、復唱する。
「大人として」
確かに、決して、まず間違いなく、ほぼ確定で秋人にそんなつもりはないとは思うが、仮に秋人がデートのつもりで申し入れてきたのであれば、私もそれなりの心づもりでいないと、万が一の時、秋人に失礼かもしれなかった。可能性がゼロでないのならばきちんとあらゆる展開を想定しておくべきだろう。
「ということでナツさん。何か得意なキャンプ飯を下ごしらえしておいて、秋人さんの胃袋をがっつり掴みましょう」
「いや、昭和かよ」
「肉じゃがでも作る?」と鼻で笑った私だったが、美音の眼光の鋭さに慌てて笑みを引っ込めた。
「昔から長らく使われている言葉にはそれなりの理由があります。つまり、普遍的に、効果的なのです」
「肉じゃがを作るのが?」
「美味しい料理を作るのが、です。勿論、『女は料理できてなんぼ』みたいなそれこそ昭和の価値観の男は論外ですが、しかし、美味しい料理を作れるという人が魅力的であることは変わりありません。男女問わず」
筋が通っている。
「ということで、しっかり準備して、晩ご飯に誘いましょう」
「え、私が誘うの?」
「当たり前です」と美音は鼻息を荒くした。
「いいですか。ナツさんから誘うんですよ。それが今回のミッションです」
私は黙って頷くほかなかったのだが……
一応、下ごしらえしてきた食材はある。だが、それぞれ古民家でくつろぐことになってしまったら、一緒にキャンプごはんという流れではなくなるのではないだろうか。
さて、どうしたものか。と私は思い悩みながら辺りを見回した。
のどかな風景である。ほぼ三百六十度すべて山に囲まれ、地面は当然のように土。道の両脇にはススキが生い茂ってる土地が続いている。その先には水路が流れているようで、微かに水音が聞こえた。確か、昨日までは連日雨だったはず。水かさも増えているかもしれない。
そういえば、川魚がどうとか言ってたな。
先ほどは車の運転に集中していたせいで見ることができなかった。なんだかんだ私も見てみたくなり、道をそれて水音の方向に草むらを進む。
「ちょっ。ナツ姉。危ないよ。蛇がいるかも」
「今、十二月よ。どうせ冬眠してるわよ」
それこそ、藁葺き屋根の中ででも寝ているに違いない。
腰ほどに伸びているススキをガシガシとかき分けて進む。
「そっちは川だよ」と秋人が慌ててついてくる。
「魚、泳いでたんでしょ。私も見たいわ」
ふと、歩きながら前方に顔を上げると、草むらの先、キャンプ場の外側になるだろう。遠目に古民家が見えた。三軒並んでいる。私は草むらの中で立ち止まった。
背後に追いついた秋人が私の視線を追って「おお」と声を漏らした。
「こうやって見ると、マジで廃村なんだね」
私は黙って頷いた。
キャンプ場の外。並びの三軒の古民家はどれもひどいものだった。庭は草木で覆われ、屋敷の壁にはツタが這っている。隣接する倉の土壁はヒビだらけで、今にもぼろぼろと崩れていきそうだ。
「あの三軒は、リノベーションされてないのね」
「なかなか雰囲気あるね」
朽ちかけた三軒の後ろはすぐに山肌になっていた。その少しばかり高所、廃屋の屋根よりいくばくか高い位置に、林を明らかに切り開いて作られた空間があった。いくつもの石碑が並んでいる。どうやらこの村の墓地のようだ。小さな村なだけあり、こじんまりしていたが、この距離から見ても随分と古い墓地であることがわかる。木々で日光が遮断される山の中、一部だけ切り開かれたその場所は暗闇の中に浮かんでいるようで実におどろおどろしかった。
あえて高地に墓を作ったのは、先祖が村を一望できるようにだろうか。
三軒の廃屋と山肌とそれを見下ろす墓地。ここだけ切り取ると、まさに因習村ホラーの舞台といった形だ。
よし。紗奈子に写真を撮って送ってやろう。ホラー映画愛好仲間へのお土産だ。
一眼レフを構え、墓地に向ける。望遠レンズで高台をズームする。
「ちょ、ナツさん。お墓を撮る気?」
「え、だめ?」
「だめでしょ! 失礼だよ。祟られたらどうするの」
思ったより信心深い秋人に笑ってしまう。
「なに? あんた、幽霊とか信じてるの?」
「信じてるも何も、今日もカンナさんと一緒にここまで乗ってきたじゃん!」
それは、そうか。
自身のちぐはぐな発言に我ながら苦笑する。
よくよく考えれば、秋人はよく自分は見えもしないのに、私の話をすんなり信じたものだなと秋人の人の好さに改めて感心する。相手が真面目に言っていることは信じるという秋人の倫理観というか、信条が垣間見える。
「まあ、平気よ。写真を撮るぐらいで、中の人は怒ったりしないわ」
「ほんとに?」
「多分ね」
再度カメラを墓地に向け、ズームする。望遠レンズにしてきてよかった。
やはり今どきのお墓とは一味違った。何より、墓石である。近年の大型墓地で並んでいる均一で艶やかな石肌ではなく、形も大きさも材質も墓石によってばらばらだ。直線的な墓石は一つもなく、どれも凹凸がある。中には本当にそこらの石をそのまま墓石にしたのではないだろうかと思えるほど自然のままの形の墓石もあった。
「ほんとに大丈夫? 心霊写真とかにならない?」
秋人の不安げな声に、私は笑った。
「大丈夫。あいつら、写真には写らないから」
「え、そうなの!?」
驚く秋人にほくそ笑んでシャッターを切ろうとした瞬間だった。
ファインダーに写る一際古い朽ちかけた墓石。その墓石の影からぬっと人影が現れた。
あまりのタイミングに私は短い悲鳴を上げた。つられて、秋人も「うわ! なになに!」と私の腕を掴む。
ファインダーから目を離し、秋人に振り返る。
「な、なんか、いた」
「ほら! だから言ったんだ! 祟られるって!」
私は生唾を飲み込むと、もう一度墓地にレンズを向けた。
ピントを合わせ、暗がりに目を凝らす。やはり誰かいる。その小さな影は一つの墓石の前にうずくまっていた。小豆色の割烹着、同系色のモンペ。
私は呟いた。
「あの、おばあさんだ」
いつの間にキャンプ場の外に出たんだ。ここは水路に囲まれているはずだから、一度ゲート前の石橋まで戻ったのだろうか。
老婆はどこからとってきたのか、白い花を一つの墓石の前に置いていた。手を合わせるわけでも、語りかけるわけでもなく、じっと墓石を見つめている。
そうだった。彼女は、この村の出身だったのだ。
私はゆっくりとカメラを降ろした。
老婆がフロントに向かわなかった理由がわかった気がした。彼女には、村に着いたら何よりも先に向かう場所があったのだ。
「やっぱ、お墓なんて撮るものじゃないわ」
私の声のトーンに何かしら感じたのだろう。秋人は「それがいいよ」とだけ言って頷いた。
「よし。代わりに廃屋を撮ろう」と今度は三軒の廃墟に向かってカメラを構えた私に秋人が「おい」と突っ込む。
「なんも反省してないじゃん」
「流石に廃屋はいいでしょ。世の中には廃墟ファンなんていっぱいいるし。廃墟写真集まで売ってるじゃない」
「もう勝手にしなよ」と呆れる秋人を放って、三軒の廃墟をパシャパシャとする。
うーむ。別に中に入りたいとは全然思わないが、朽ちていく人工物というのはなんとも言えない魅力がある。
両隣の屋敷はどちらも窓という窓がすべて板で塞がれていた。
真ん中の屋敷のみ、軒下の大きな窓が残されていたが、ガラスは割れてこそいないものの、残念ながら全体的にくすんでモザイクがかかっているかのようだった。室内は見えたものではない。きっと位置的に居間なのだろうが……
そこで、私はピタリと動きを止めた。
曇り切ったガラス窓の奥に、黒い人影が見えた。
え、誰かいる?
ぞっとした。
あり得ない。これがリノベーションされた古民家だったら、「ああ、他にもお客さんがいたんだー」で済む話だが、キャンプ場の外。しかも朽ちかけの廃屋だぞ。いったい誰がそんなところにいるというんだ。まだ誰か住んでる? もしそうなら、もっと小綺麗にしているはずだ。
私は雑草が伸びっぱなしの庭や剥がれかけた土壁にレンズを動かす。まるっきり廃墟だ。住人がいるとはどうにも考えにくかった。
もう一度窓にピントを合わす。
そこで私は再び悲鳴を上げそうになった。
人影が二つに増えていた。
まるで何かを囁きあっているかのように人影たちの頭がわずかに揺れている。人影のうちの一つが窓ガラスに掌をつけた。埃で変色したガラスに、手型がべったりとつく。
「あ、秋人」
私はファインダーから目を離した。肉眼でも十分に人影は確認できる。
「あれ、見える?」
私は廃墟の窓を指さした。
「んー?」秋人が廃屋に目を凝らす。
「ほら。真ん中の屋敷の、窓」
「……手形? 的なのが見えるかも。確かに不気味だね」
私は窓を指さしていた腕を無言で下した。
秋人には見えないのか。
人影はすでに三つに増えていた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
私は無理やりに笑顔を作った。
「手形にビビっただけ」
そう言うのとほぼ同時だっただろうか。ばっと三つの人影が一瞬で暗闇に引っ込んだ。あとは埃で曇ったガラスと、やけにくっきりとした一つの手形だけが残された。
「……ナツ姉?」
秋人が心配そうに顔を覗いてくる。私は努めて明るい声を出した。
「さて、川を覗きに来たんだったわね」
一眼レフを降ろすと、私はざくざくと草むらを再び突き進む。
「ちょ。危ないよ」と秋人が慌ててついてくる。
「大丈夫よ」と私は無理に笑った。
水音が近づいてくる。きっと山から流れてきた綺麗な水に違いない。
「今日は結構暖かいし、手を浸すぐらいしてみようかしら」
「でも」と秋人が後ろから遠慮がちに言った。
「さっき見た川は、どっちかというと水路だよ。堀もめちゃくちゃ深かった」
「どっか降りられるとこぐらい、あるでしょ」と振り返った瞬間だった。
意気揚々と踏み出した足先が、ふっと宙に浮いた。
「へ?」
次の瞬間、片足の置き場を失った私はガクリと体勢を崩した。
「ナツ姉!」と秋人が叫ぶ。だがすでに私の全身は前方に投げ出されていた。
ススキで見えなかった。足の下はもう川だったのだ。
私が呑気にイメージしていたのは跨げば渡れるような小さな小川。しかし、目の前に広がっているのは対岸まで五メートルはありそうな本格的な水路だった。しかも石造りの壁で完全に整備されており、水面までの距離は三メートルはあろうかという高さだ。水音がまだ遠いと感じたのも納得だ。そう思っているうちに水面が迫ってくる。私はとっさの判断で手に持っていた一眼レフを岸に向かって放り投げる。カメラの水没だけは避けなければという最後のあがきだった。
派手な水音ともに、私は十二月の凍りつくような水中に飲み込まれた。