【第2章】 湖畔キャンプ編 斉藤ナツ 7
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20歳までに幽霊を見なければ、一生見ることはないと言っていた小学校のクラスの誰か。名前忘れたけど、お前嘘つきだぞ。がっつり成人してから、見るの2回目なんですけど。
件の人生2回目の心霊現象は、現在、私とたき火を挟むようにして、美音の座るはずだったチェアに座り込んでいる。髪から、顔からしたたり落ちる水滴がチェアの布地に吸い込まれていく。
あの水滴、この子が消えた後に一緒に消えてくれるのだろうか。でも、タクシー運転手の怪談とかでは、大体後部座席のシートだけ濡れたまんまなんだよなあ。普通に嫌だなあ。
彼女は何をいうでもなく、ぼおっとたき火を見つめている。目の焦点が合っていない。
私、霊感とかないはずなんだけどな。岸本あかりの時みたいに、やはり相性みたいな物があるんだろうか。1回見るとその後、引き寄せやすくなる的なあれもあるのかもしれない。
彼女ががくんとうつむく。うなだれたと言ってもいい。濡れた髪がバサリと彼女の青白い顔の前に落ちてきて、ボタボタと水が落ちる。
もし私に霊感が生まれたのだとしたら、今後、こんな感じでレパートリー豊かな亡霊がどんどん登場するんだろうか。勘弁してほしい。
うなだれた彼女の細い肩が小刻みに震え始めた。
え、なになに怖いんですけど。
「うう・・・・・・う・・・・・・ううう」
薄手の赤いワンピースから若干はだけた青白い両肩が、次第にガクガクと大きく揺れ始めた。頭が更に下がり、投げ出された黒髪が地面につこうとする。
「ああ・・・・・・・うう・・・・・・」
ちょ、ええ、もうなに?
困惑して座ったまま身を反らし、椅子ごと後ろに下がろうした私は、背後がすぐに湖であることを思い出した。下がれない。
「うう・・・・・・うあ・・・・・うあああ」
彼女は一際大きく揺れ、ぐわっとすさまじい勢いで上体が起き上がり、がっと上を見上げたかと思うと
「うわあああああああああああああん!!!」
泣いた。
「ふぐ、うう、うぐっ・・・・・・うわああああああああああああん!」
「ちょ、あの」
「うわああああああああああああん!!」
「その、ちょ、うるさい・・・・・・」
「うあ、うわう、うわああああああああああああああああああああああん!」
「うるせええ!」
思わず立ち上がって、たき火を避けながら身を乗り出し、思いっきり彼女の頬をビンタした。
パアアン! と乾いた音が湖に響き渡る。
彼女は90度顔を横に向けられ、沈黙した。
物理、効くんだ。
彼女はすっと、左手を張られた頬に当て、ゆっくりと首を戻し、こちらを向いた。信じられないといった表情で私を見つめる。
私はその顔をたき火越しに見下ろしながら、もう一度静かに言った。
「うるさい」
彼女は私を数秒見つめ、
「・・・・・・ごめんなさい」
とつぶやくと肩を落としてうつむいた。
よし。静かになった。
幽霊なんて正直今さら全然興味もないし、ぶっちゃけ迷惑だが、見えるものは仕方ない。不本意ではあるが、今後も見ることがあるのかもしれないし、見えても気にしない姿勢を身につけよう。
スキレットの油をこぼさないように気をつけながら、慎重に席に戻る。見ると、油が再びシュワシュワと底から気泡を出していた。よしよし。
「あの、その、急に大声だして、ごめんなさい・・・・・・」
ザックを引き寄せ、入れておいたはずの調理用の温度計を探る。
「えっと・・・・・・その、反省・・・・・・してます」
見つけた。温度計の測定部分を油に付ける。すぐに針が動き始め、180度の付近で止まる。よし。ベストだ。
「えっと・・・・・・あのお・・・・・・」
片栗粉をまぶした鶏肉を一枚ずつ油に投入する。衣は小麦粉でもいいのだが、より多くのでん粉を含んでいる片栗粉の方がカリッと仕上がる。
「あの、ねえ・・・・・・ひぐっ・・・・・・ねえったら」
油の量もポイントだ。今回は油を鶏肉が半分浸かるほどの量に調整している。完全に沈まないので少なく見えるかもしれないが、キャンプにおいて油が多いと処理に困る。むしろ適度にひっくり返しながら揚げることで衣に空気を含み、よりサクサクに・・・・・・
「無視しないでよ!」
またうるさくなってきたな。
私が舌打ちをして目を上げると、彼女は半べそをかいて目をこすり、しゃくり上げていた。
「・・・・・・無視しないで・・・・・・」
私はため息をついてチェアの背もたれに沈み込む。どうしてこうも幽霊というやつはしゃべりたがるんだろうか。
「なに?」
「え、」
「え、じゃないわよ。そっちが話しかけてきたんでしょうが」
唐揚げをひっくり返す。スキレットには用意した鶏肉の半量しか入らなかった。2回に分けて揚げることにしよう。
「いや、その・・・・・・ 私がここにいる・・・・・・ 理由的な・・・・・・」
「興味ない」
「・・・・・・ええ・・・・・・」
彼女はショックを受けたようで、またうつむいた。「そういう感じかあ・・・・・・」とつぶやいている。
なんでこいつらは自分の話に興味を持ってもらえると思っているんだろうか。初対面の他人の人生のいきさつなど、誰が知りたいと思うというのか。幽霊だろうが怨霊だろうが、結局は全部他人事だ。私には関係ない。
そこで会話は途切れ、たき火が爆ぜる音と、唐揚げが揚がる音だけが響いた。
唐揚げの第一陣が香ばしい色に仕上がってきたので、バットに揚げていく。あとは余熱で火が通るだろう。
彼女はその様子を眺めながらも、話をしたそうにちらちらと視線を送ってくる。
残りの鶏肉を油に投入しところで、「あの、お名前は・・・・・・」と聞かれた。
「斉藤ナツ」
ふうん、と言う風に彼女は頷いた。
「じゃあ、なっちゃんですね」
ああ?
私が思わず睨み付けたことに彼女は気づかなかったようで、
「私はさなこです。藤原紗奈子。さっちゃんって呼んでくれていいですよ」
と急に明るく自己紹介してきた。会話が進んでうれしかったのだろうか。しかし、私は長時間話したいとは思わない。さっさと話したいことを話して、どこかに消えてほしい。
今回もあえてしゃべらせるか。そうすればいなくなるだろ。
「じゃあ、話しなよ」
「え?」
私は唐揚げをひっくり返しながらため息をついた。
「どうせ思い残しでもあるんでしょ?」
紗奈子は一瞬押し黙ったかと思うと、身を乗り出し、ぼろぼろ涙をこぼしながら叫んだ。
「そ、そんなの、あるに決まってるでしょ! 思い残しがない人なんているわけないじゃん!!」
情緒不安定か。また泣き叫びそうな勢いだったので、牽制で睨み付けると、紗奈子は口をつぐみ、腰を戻した。「あなただってそうでしょ」とぼそりとつぶやき、涙が一筋ポトリと落ちた。
まるで私も死んだかのような言い草だなと思いながら、唐揚げをバットに揚げていく。全て移し終えると、コンロの火を止めた。
紗奈子はスカートの裾を握りしめてまた少ししゃくりあげていた。
バットの唐揚げを見る。前半に揚げた分は、もう余熱も十分だろう。
「唐揚げ、食べる?」
幽霊に対し、冗談で言うと、
「・・・・・・食べます」
と返ってきた。
食べられるんだ。