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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 6 歴史


 6 歴史


 再びキャンピングカーが坂を上り始める。

「僕たち、麻心キャンプ場に行くんだ」

 秋人が隣の後部座席に座って老婆に話しかけた。

「……あそこは、会員制じゃぞ。会員にならないと入れん」

 ほお、地元では有名なのか。私は聞き耳だけ立てる形で運転に専念していた。

 秋人が「大丈夫だよ」と笑う。

「あの運転してる子はキャンプワイチューバーで、俺はブログやってるんだ。それで、宣伝のために招待されたの」

「ほお、あんな不愛想な小娘が配信者になれるのか」

 余計なお世話だ。てか、ワイチューバーなんて言葉よく知ってたな。

 私は言い返したくなる気持ちを抑えて、前を向いて運転を続けた。

「結構、人気あるんだよ」

「世も末じゃな」

 言いたい放題だ。もういい。無視だ無視。

「ところで、おばあちゃんはどこに向かってるの?」

 秋人に問われ、老婆は何の気なしに答えた。

「一緒じゃよ。儂もそのキャンプ場じゃ」

「え」と秋人が驚き、私も思わずバックミラーを覗いた。

「おばあちゃん、会員なの?」

「まあな」

 老婆が吐き捨てるように言った。

「あのキャンプ場ができて何年も経つが、なんだかんだで、行くのは初めてじゃ」

「え、もったいなくない? 会費、高いんでしょ」

「会費なんぞ払っとらんよ。儂は特別枠じゃ。昔、麻心村に住んどってな」

「ああ、なるほど」と秋人が頷く。

 立ち退きに協力してもらったお礼の優遇措置というやつか。田舎で事業を起こすとなると、地域住民との関係性は重要なのだろう。

「最近、流行ってるよね。寂れた田舎の村をそのまま活用して、観光地や宿泊施設にする取り組み。麻心村もそんな感じだったの?」

「ああ。そうじゃ」と老婆は窓の外を眺めた。山間の道を抜け、車は再び緩やかな傾斜の車道を走り始めていた。地面はいつの間にかアスファルトから砂利道になっていた。

「もともと、ここらはなんもないところじゃった。交通の便も悪いしの」

「田んぼは、めっちゃあるけどね」

 秋人の言葉で、私も景色に目をやった。今、走っているのは山と山の合間にある道だ。左側には大きな川が流れている。その川に沿うようにして車道が続いている感じだ。そして右側には田畑が所狭しと並んでいる。

「ここらは年貢の取り立てが厳しくての。獲れた米を七割近く持っていかれたらしい。んで、みんな必死に山の合間のわずかな土地を必死で開墾して、収穫量を増やしていたんじゃ」

 七割。税率70パーセントか。なかなかえぐいな。

「それでなんとかなったの?」

「なるわけなかろう。二毛作で麻を作ったり、蚕を育てたり、副業三昧じゃ。なんなら、隠し田を作ったりの」

「かくしだ?」

隠田(おんでん)のことよ」と私はつい口をはさんでしまった。歴史は好きなのだ。

「藩に隠れて秘密の土地で耕作することよ。ばれなければ、税率はもちろんゼロパーセント。取れ高の十割がまんま自分たちのもの」

「脱税じゃん」

「いつの時代もあったってことね。まあ、切実の度合いが違ったでしょうけど」

 そう締めくくった私を、老婆がミラー越しに見つめる。

「なんじゃ。ヒッピー娘。思いの外、学があるようじゃな」

「そうなんだ。ナツ姉、こう見えて頭いいんだよ」

 こう見えてってなんだよ。

「にわかには信じがたいの」と相変わらず憎まれ口をたたいた後、老婆は続きを語った。

「まあ、そうやって死に物狂いで守ってきた土地でも、時代の流れには逆らえん。麻も蚕も売れんようになって、米すら二束三文になった。そしたらそんな不便なだけの土地、誰も住まんわ。もともと十件程度の小さな集落じゃったからな。一度土地離れが始まると、人っ子一人おらんくなるまであっという間じゃったよ」

 老婆は再び田畑に目をやった。先ほどまでの田畑には稲刈りの跡が見受けられていたが、今、道の両脇に並んでいる土地は一面、背の高い雑草に覆われていた。ススキだろうか。茶色く乾いた茎と白い穂が風に揺れている。きっと夏は一面緑色でうっそうとしているのだろう。

「悲しいもんじゃぞ。田畑が荒れ果てていくのをただ見ているというのは」

「おばあちゃんはいつまで村にいたの?」

「十年前。儂が最後の村人じゃった」

 老婆は仏頂面で荒れ地を見つめながら続けた。

「儂が出て、数年後、キャンピング場の建設が始まった。村を残しつつ、今風の宿泊施設にするんじゃというてな。りのべーしょん、とかいうやつじゃ」

 人に歴史あり。この婆さんも、きっといろいろ苦労したのだろう。そんなことをしみじみ思いながらバックミラーを覗いていると、窓から視線を外した老婆とぱちりと目があう。

「なに見とんじゃ。前方不注意娘。前を向いて運転せい」

 まあ、ムカつくばばあであることに変わりはないが。

「じゃあ、なおさら、オープン当初に行けばよかったのに。自分の住んでたところがどう生まれ変わったのか、気にならなかったの?」

 老婆は沈黙した。すっと、窓に視線を戻す。

「……生まれ変わる、の」

 老婆は聞き取れないほどの声でつぶやいた。

「誰も……変えてくれなど頼んでおらんよ」




「ここから先が麻心村じゃ」

 麻心村の始まりは実にわかりやすかった。幅五メートルほどの川に車一台分の石橋がかかっている。これを渡れば村、ということだろう。

 その橋のちょうど真下あたりで、川は二股に分かれていた。

「麻心村自体はここから先の土地全部なのじゃが、キャンプ場はこの川に囲まれた内側だけじゃ」

 キャンプ場を挟んでいる二本の川はかなり深さがあるようで、運転席からは水底が見えなかった。きっちり石造りで整備されていて、まるで水路のようだった。

 キャンプ場をぐるっと囲んでいるという水路はまるで戦国時代の城を囲む巨大な堀のように思えた。

 その水路の上にかかった長い石橋の向こう側。会員制のキャンプ場。「麻心村キャンプゲート」。

 名前通り、橋を渡った先にはゲートが設置してあった。扉や塀があるような門ではない。木で作られた鳥居のようなアーチが設置してあるのだ。半円状のアーチの最上部には「Camp Gate MAGOKORO」という小洒落たロゴが刻まれている。

「くだらんものを建てよって……」

 老婆がぼやくのを聞きながら、橋の上へ慎重に車を進める。幅的にぎりぎりだ。窓から下を覗き込み、脱輪しないかひやひやしながら、ハンドルを操作する。

 つられて窓から顔を出した秋人。下の川の水面が覗けたらしく叫んだ。

「すごい! ナツ姉! 魚が泳いでるよ!」

 こっちはそれどころじゃねえんだよ。

 老婆もひょいと顔をのぞかせる。

「カワムツじゃな。甘露煮にするとうまい」

「すげえ。食えるんだ。ナツ姉! 後で獲って食べよう!」

 てめえらで勝手にしろ。

 ようやく車が橋を渡り終える。渡り終えた後も道は細かったが、わかりやすく一本道だった。少し登り坂になっている道をゆっくり進む。

「おお。ほんとに村だ」

 遠目に一軒、また一軒と古民家が現れる。当然のようにすべて木造。どれも随分大きな三角形の一つ屋根の平屋だ。すぐ後ろの山と小川が背景となり、まるで絵葉書のようである。世界遺産でこんな街並みがあったはずだ。えっと、確か……

「白川郷みたいだね」

「それ!」

 脳内の疑問を秋人が偶然言い当て、思わず声が出る。

「これで、屋根が茅葺きだったら、完全に岐阜の白川郷ね」

 白川郷。岐阜県白川村。合掌造りと呼ばれる急こう配の茅葺き屋根を特徴とする家屋が並ぶ集落は、文化遺産に登録されている、はず。

「でも、残念。形は似てるけど、どれも瓦屋根ね」

 車を徐行させながら、遠目に現れた古民家の屋根を見つめる。どれも大きな三角屋根だが、素材はどれも黒々とした瓦だ。

「ふん!」

 そこであざ笑うかのような鼻息が後ろから響く。

「所詮、知ったか娘じゃの。浅い知識の底が見えておるわ」

 流石にイラっとする言い方だったので、車を止め、後ろを振り返る。

「どういう意味よ」

「ほれ。あの屋敷の屋根をよく見てみい」

 老婆が顎をしゃくって示す屋敷に目をやる。何のことはない、大きな屋根の表面には黒い瓦が並んでいる。

「瓦屋根じゃない」

「節穴め。もっとよく見ろ」

ため息をついて再度目を凝らす。やはり瓦屋根だ。屋根は黒一色の……いや、正確には瓦のところどころが、赤黒く変色している。経年劣化でさび付いたのだろう。ん? 錆?

 私はようやく不可解な点に気が付いた。土を焼いて作る瓦が錆びるはずがない。窓に身を乗り出して、屋根の表面を凝視する。そして気づく。瓦が敷き詰められているように見えたそれは、分裂しているように見せかけているが、実は全ての瓦がひとつながりであった。これは、瓦屋根じゃない。瓦屋根風にデザインされた一枚の板だ。

「トタン板じゃよ」

 老婆は淡々と言った。

「この村の屋敷はもともとすべて茅葺き屋根じゃ。二百年前からな。まあ、正確には茅ではなく藁を使っておったから、藁葺き屋根じゃな」

 老婆は頭の後ろで手を組んだ。目をつむり、首を伸ばす。

「五十年ほど前か。『かぶせ』というての。藁葺きの上に板を張る改築が始まったんじゃ」

「じゃあ、あの屋根の下には藁葺きが内蔵されてるってこと?」

 秋人の問いに老婆が頷く。

「そういうことじゃな。この村には廃墟も合わせて十の屋敷が残っとるはずじゃが、みんなそうじゃ。全部、藁葺き屋根の上にかぶせがされておる」

 私は改めて古民家を眺める。確かによく見れば屋根の軒先が妙に分厚い。言われてみるとその形状からトタンで覆われている金色の藁葺き屋根がありありと想像できた。

「知らなかった」と素直に呟く。

「藁葺きがはがされて、代わりに瓦屋根を付けたんだとばかり思ってたわ」

 そう言うとてっきりまた老婆に馬鹿にされるかと思ったが、素直に無知を認めたためだろうか。老婆は「無理もないわい」と鼻を鳴らした。

「儂かて、藁葺きの時代はまだわしが若い頃じゃ。おぬしらは生まれてもおらなんだろう」

「でも、なんだかもったいない気もするね。藁葺き屋根ってなんかロマンあるじゃん。日本昔話みたいで。隠さずにおけばカッコいいと思うけど。この村も文化遺産にだってなったかも」

 秋人の素朴な意見を老婆は鼻で笑った。

「見栄えはそりゃいいじゃろうな。じゃが、藁葺き屋根は面倒も多い。雨漏りをするし、隙間風は吹くし、蛇やら小動物が入ってきて屋根裏に住み着くしの。何より、雨ざらしの藁は劣化が激しい。数年に一回は藁を家のもん総出で取り換えねばならん。随分な手間と出費じゃ。だから、全国的にかぶせが流行ったんじゃ。今でいう、りふぉーむ、じゃな」

 老婆は目を細めた。昔を思い出しているのだろう。

「かぶせによって、藁葺きは風雨にさらされないようになって長持ち。雨漏りも隙間風も無くなったし、面倒なメンテナンスもいらんくなった。みんな大喜びしたもんじゃ。ま、小動物は相変わらず屋根裏に住みついとったがな。夜な夜ながたがたうるさいんじゃあいつら」

「全く、どこから入ってくるのかの」そう言って老婆は懐かしそうに笑った。

 私はフロントガラスを通して、立ち並ぶ家屋を見回した。

 秋人の言うとおり、この自然環境に藁葺き屋根がそろえば文化遺産ものである。だが、「日本の文化だ。伝統だ。だから大事だ。だから守らなければ」そんな意見はあくまでも「今となっては」のお話だ。

その時代時代の人たちが自分の生活をより新しく快適に豊かにしようとするのは当然である。当時の人々にとっては、その日その日を生き抜くことが何より大事であったはずなのだから。それを「古き良き生活様式が失われた!」と責める権利など、誰にもあろうはずがない。何が「大事」なのかを決めていいのは当事者だけだ。

 とは言え、残念は残念だ。今の保存状態も十分素晴らしいが、どうせなら藁葺き屋根が立ち並ぶ当時の姿を見たかった。きっと見事なものであったろう。

 私は感慨にふけりながら車を発進させた。その後、管理棟とおぼしき建物が見えてくる。この施設は新設らしい。管理棟の前はちょっとした広場になっていた。「P」の看板が立てられていたので乗り入れる。

 管理棟前に「受付はこちら」と書かれた看板が見える。

 スライドドアを開けると、老婆が「世話になったの」と真っ先に飛び降りた。

「ほな、坊主もヒッピー娘もせいぜい楽しめ」

 そう言うと老婆は大きな布団巻きをまた横に背負って、スタスタと歩き出した。この村に住んでいたというのは事実なのだろう。一見、ただの雑木林に見えるようなススキの生い茂る中を躊躇なく入っていく。きっと昔は田んぼだったのだろう。どうやらあぜ道があるらしかった。

「あ、おばあちゃん! 受付はこっちだよ!」

 秋人がキャンピングカーから身を乗り出して叫ぶ。老婆は無視した。その様子を見て、秋人は続けて声を張った。

「僕、秋人っていうんだけど、おばあちゃん、名前は?」

 老婆は立ち止まることも振り向くこともしなかった。

「知らんでいい。儂もどうせ覚えん」そう言い捨てると、老婆はすっと路地の裏に消えた。

 いや。ばあさん。受付はしろよ。





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