【第7章】 廃村キャンプ編 2 約束
2 約束
「いきなり殴るかな。普通」
そうぼやきながら日暮秋人は顎をさすった。少し腫れてきている。
「いや、あんたがいきなり抱き着いてきたからでしょうが」
私たちはまだアウトドアショップの店内にいた。騒ぎに驚いて駆けつけてきた店員さんのご厚意で、今はキャンピングチェアのコーナーの展示品に座らせて貰っている。「落ち着くまで座っててくださいね」と店員さんは若干ひきつった笑顔を作った。どうやら痴話喧嘩だと思われたらしい。あのまま棚の前で暴れられてはたまらないと考えたのだろう。申し訳ない。お詫びにこのチェア買おうかな。
そう思ってちらりと値札を見た私はすぐにその考えを捨て、何事もないように視線を戻した。道理で座り心地が良い訳だ。
「まさか僕のこと忘れてるなんて思わないじゃん」
向かいに座った秋人を改めて見つめる。
「いや、随分変わってたから」
最後に会った時、彼はまだ高校生だった。身長も自分と同じくらいだったはずなのだが、今は随分としゅっとしたものだ。気づかなかったのも無理はないだろう。というか、学生時代の思い出なんてほとんど忘れてしまっている私がこうもすぐに思い出すなんてそれだけで奇跡のように思う。
「でも、僕は時々Ytubeで見てたからね。すぐわかったよ」
見てるんかい。
いい加減、自分を知っている人間に遭遇することには慣れてきたと思っていたのだが、予想外に精神的ダメージを受けた。春香と話した時もそうだったが、なんだろ。昔からの知り合いにワイチューバーという極限に似合わない姿を知られるのは普通に恥ずかしい。そもそも私はこんなに人嫌いなのになんで配信者なんてやってるんだ。紗奈子の口車にのせられた自分が恨めしい。
「キャンピングカーでキャンプ場を巡る旅。いいなあ。夢があって」
「そんないいもんでもないわよ」
私は目を輝かせている秋人の言葉をため息交じりに否定する。
「その日のキャンプ地を探すだけで毎日一苦労よ」
「でも、最近キャンプ場いっぱい増えてるしさ。選り取り見取りなんじゃないの?」
「そう思うでしょ」
私はキャンプチェアから身を乗り出した。
「今、手ぶらで来てもらっても大丈夫、みたいな気軽にできるキャンプが流行ってるじゃない」
「ああ、グランピングとか」
「それ」と私は人指し指を秋人に向ける。「人を指さすのはよくないよ」という小言を無視して続ける。
「レンタル品が充実してて、サイトには電気が通ってて、トイレも清潔で、なんなら温泉も並列しているような高規格キャンプ場。そういうのがボンボンできてるわけ」
「いいことじゃないか。ナツ姉も嬉しいでしょ」
私はキャンプチェアの背もたれにぐっと沈み込んだ。
確かに、キャンプ場の選択肢が増えるのは喜ばしいことだ。だが、切実な問題がある。
「高いのよ。そういうキャンプ場はサイト代が」
当然の話だ。サイトのクオリティを上げようと思えば設備代も人件費もかかるのだから。プランによっては一泊数万円のところもある。まあ、お客さんの多くは週末のちょっとした贅沢として利用するのだろうから、そこまで高いとも思わないのだろう。
だが、定職についていない底辺ワイチューバーの毎日の寝床にするには不相応が過ぎる。
「え、ナツ姉。お金ないの? ワイチューバーなのに?」
「ええ。夢がなくて悪いけどね」
広告費も大して入らないし、ライブ配信のスパチャもすっかり落ち着いてしまっている。時折、旅先で短期バイトをこなして何とか糊口をしのいでいる感じだ。
という訳で、私が普段利用できるのは昔ながらのほったらかしスタイルの格安キャンプ場や、市町村が経営している無料キャンプ場に絞られてくる。しかも、そういったキャンプ場は新設の高規格キャンプ場に押される形で閉業に追いやられてしまう流れすらあるのだ。
「キャンプ場が新しくできても、私の選択肢がそのまま増えるわけじゃないの。むしろ減ってるかも」
「ふうん。難しいんだね」
そうわかったように頷いて見せる秋人に、話題を変えるつもりで近況を聞く。
「あんた、最近はなにやってるの? 万引き?」
「んなわけないだろ。普通に勤め人だよ。サービス業。毎日こき使われてる」
「へえ」と片方の眉が自然と上がる。あの非行少年が立派になったものだ。
「でも、最近、会社勤めにも嫌気がさしてきちゃって。僕のやりたいことは本当にこれかなあって」
20代前半のはずだから、いろいろ考える時期ではあるのだろう。時代が時代だしなあ。
「辞めるの?」そう問うと、秋人はぐうっと背もたれに体重を預け、天井を仰いだ。
「うーん。近々。タイミングが合えば。独立して、フリーランスになろうかなと」
「万引きの?」
「しつこいな。僕をなんだと思ってるんだ。もういいよ」
すねた顔が記憶と重なって、思わず笑う。私の中では、やはりこの子はまだ年端も行かない万引き小僧だ。
いつまでも展示品に座っているのもあれなので、私たちは店の中を物色し始めた。とはいえ、買いたいものがあるわけではないので、本当に「見てるだけです」状態である。
「お、これ欲しいんだよね。煙突通せるタイプ持ってなくてさ」
秋人が指さしたのは展示品のテントだった。生地に煙突用の穴が開いていて、薪ストーブを入れることが出来るタイプである。
「へえ。あんたもキャンプやるんだ」
私の言葉に「もちろん!」と秋人は胸を張る。
「僕のキャンプ道具はすごいよ。どれもこだわりの逸品さ」
「へえ」と気のない返事を私は返す。人のギアを見るのは嫌いではないが、この場に無いのではどうしようもない。
「僕はミリタリーキャンプを目指してるんだ。世界の軍官給品を集めてて……」
そういえば、こいつ、ミリオタだったなと朧げに思い出す。
「やっぱり北欧の官給品がよくてね。寒い地域だから野営関係の装備が充実してるんだ。やっぱりいいものは古くてもちゃんと手入れすれば何年でも使える。例えば僕の持っているハンガリー軍の……」
うわ。勝手に語り出した。好きなことに話題が行くと急に語りが止まらなくなる現象、実際に自分が聞く側に回るとなんとも気まずいな。自分もこんな感じだったのだろうか。紗奈子の微妙な顔にも納得である。
秋人はその後、自分のキャンプ愛というか後半からはミリタリー愛を延々と話し続けた。私は適当に生返事をしながら、キャンプ道具を物色していた。BGMにしてしまえば何のことはない。
数十分後、秋人は一通り語って満足したのか、「ナツ姉のこだわりは?」と話題を振ってきた。
そこで少し首をかしげる。決してこだわりがないわけではない。ギア愛は誰にも負けないと言ってもいいぐらいだ。しかし、秋人のように「このジャンルを集めています!」とか、「このブランド一筋です!」というようなわかりやすい指針はないように思う。その場、その時にいいと思ったものを買っているイメージだ。だが、まあ、強いて言うならば……
「黄色かな」
秋人が「なるほど。色は大事だよね」と頷く。
「僕もカーキ色や迷彩色でそろえるのが好きなんだけど、あえてタンカラーには手を出さないと決めているんだ」
どうでもいいよそのこだわり。隙あらば語ろうとするな。まったく。
「そういえばナツ姉、高校生の頃から黄色い小物持ってたよね」
「そうね。昔から好きね」
好きな色があるのはいい。モノがあふれるこの時代、選択の指針で揺るがないものがあると何かと楽だ。
「でも、黄色いギアってなかなか無いのよね」
そう言いながらガスバーナーが並んだ棚を覗き込む。黒。シルバー。カーキ。ベージュ。どうしてもキャンプ道具は武骨なカラーリングになりがちだ。野営道具なのだから当然と言えば当然だろうが。
「この形、黄色だったら買ったのになあってこと、結構ある」
形が好みのギアでもカラーリングであと一歩、購入に踏ん切りがつかないという話はキャンパー全員が一度は経験する悩みであろう。だから私は共感を求めて秋人に目をやった。ギアをこだわりぬいていると豪語するなら当然経験済みだろうと思ったのだ。
だが、秋人は首を傾げていった。
「え、そんなの。自分で塗装すればいいじゃん」
「塗装……」私は予想外の単語に思わずオウム返しになった。
「うん。ギアをカスタムするんだ。塗装なんて基礎の基礎だよ。金属用の塗装スプレーなんていくらでもあるし」
天才か。
私は自分には全く無かった発想に驚きおののいた。確かに一番の解決策である。よくよく考えれば、今自分が乗っているキャンピングカーも黄色に再塗装してもらったではないか。なぜ気が付かなかったのだろう。
ギアをカスタム。実に甘美な響きである。
さっそく近々またコンテナを覗きにいって、素材になりそうなギアを見繕おう。
「僕、自分のギアもよく塗装するから、コツ、教えてあげるよ」
「流石。助かる」
そういえば、秋人は昔から機械いじりやらなんやらが大好きだった気がする。今も変わらないんだな。
そう思って再び感慨に浸ろうとした矢先に、元万引き小僧は私の記憶に無い大人な笑みを浮かべた。
「でも、嬉しいなあ。これでようやくナツ姉との約束を果たせるね」
「え? 約束?」
なんかしたっけ? そう頭をひねる私に秋人はショックを受けた顔をする。
「したじゃん! ほら、別れ際にしたあの約束だよ」
「記憶に無い」
「うそだあ。結構、感動的な流れでした約束なんだけど」
「全く記憶に無い」
「そう来たかあ」と秋人は項垂れた。
「そうだよなあ。当時から物忘れは激しかったもんなあ。記憶力はいいはずなんだけど、人の話を聞かないというか、興味がないというか、自己中心的というか、身勝手というか、無責任というか」
随分言ってくれるぜ。まあ、大切な約束を忘れてしまったらしいので何とも反論できないが。
「悪かったって。どんな約束?」
そう改めて問うた私に、彼はさらりと答えた。
「キャンプだよ」
「はい?」
「言ったじゃん。いつか二人でキャンプに行こうって」
日暮秋人はにっこり笑った。中学生のような屈託のない笑顔であった。
「僕は一日だって忘れたことなかったよ」