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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第6章 自分で決めて何が悪い
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【第6章】 花火キャンプ編 17


 17


 立花春香は奈緒の腕を掴みながら、肩を上下させながら息を整えた。全力疾走は飲酒後にするものではない。

 ずっと二人の会話はワイヤレスイヤホンを通して聞いていた。事情を知って心底驚いたが、奈緒の話術でうまくその場を納めるだろうと判断し、ひたすらナツを引き留める事に専念していた。だが、イヤホンから流れ出る会話はどんどんきな臭くなっていって春香は大いに焦った。

 タイミングよくナツが酔い潰れてくれたので、テントに放り込んで後はカンナに任し、このCサイトまでダッシュしてきたと言うわけだ。

「もお。ハルちゃん。遅いよお。思わず殺しちゃうところだったじゃん」

 そう言って奈緒はへにゃりと笑う。

 そう言いながらも、奈緒は右手の力を抜かない。春香が手を離したら即座にぶすりといきそうだ。

「あんたが言うと冗談にならないのよ」

 そういって力尽くで葵から引き離す。

 葵は解放された瞬間に四つん這いでばたばたと奈緒から離れた。そして必死の表情でサイトの奥の切り株のところまで這っていくと、その切り株に捕まってわんわん泣きじゃくり始めた。

 そりゃあ。怖かっただろう。可哀想に。

「まあ、これで懲りたでしょ」

 そう得意げに笑う奈緒の頭頂部に、春香は右の手刀でチョップを食らわせた。

「いったあ! 何するのよ!」

「限度というのを知りなさいあんたは」

 春香は大きくため息をつくと、すたすたと葵のもとに近寄る。

 奈緒が背後で「なによ。自分はなっちゃんとビール飲んでただけのくせに」とぶつくさ言っていたが、完全に無視する。

 春香はしくしくと泣く葵の前に膝をつき、目線を合わせた。

「葵ちゃん。事情はだいたいわかったけどね。でも、あなたも悪いのよ」

 葵は顔を上げず、しゃくり上げ続ける。

「いい? これに反省したら、これからはもう、死ぬとか殺すとか軽々しく・・・・・・」

 葵はおいおいと泣き続ける。その姿に、春香は黙った。どうしたものか。

 春香は自分の両腕を見た。おもむろに上着の袖を捲る。

 まず、左腕を見る。焚き火のわずかな光の中、もうほとんど見えなくなった火傷や打ち身の痣を見つめる。

 そして右腕をみる。今朝ついたところの、無数のひっかき傷。


 さきほどの、イヤホン越しに聞こえた葵の言葉を思い出す。


『わたしが悪いんだ』

『生まれてこなきゃよかった』


 春香はすっと立ち上がった。

 そして、しゃがみ込んでいる葵の頭のど真ん中に、思いっきり手刀をぶち込んだ。

 ゴン!

 鈍い音がサイトに響いた。

 葵が短い悲鳴を上げた。突然の激痛に、それどころではなくなったのだろう。泣くのも忘れて、葵は両手で頭を押さえて尻餅をついた体勢で、目を丸くして春香を見上げる。

「ちょ? 春香? 何やってんの?」

 奈緒が慌てた声を出す。奈緒としても予想外だったらしい。

「別に。なんかムカついたから、殴った」

 春香はそう言い放った。二人が呆気にとられるのがわかる。

 春香はばっと手を伸ばし、葵の胸ぐらを掴んで、無理矢理引き立たせた。

 葵の戸惑った顔を見つめる。その潤んだ瞳をまっすぐとのぞき込む。

 かつて、斉藤ナツが立花春香にそうしたように。

 岸本あかりがそうしてくれたように。

 まっすぐ、正面から、見つめる。

「あなたには罪がある」

 葵が顔を強ばらせる。

「その罪は消えないわ。あなたが大人になっても。家族を持っても、それは消えない。ずっとあなたを苦しめ続ける。おばあちゃんの死や、お父さんを刺した事実は決して消えないし、忘れることだってできない。あなたは何度でも夢に見るし、幾晩も悪夢に苦しめられる。なくなることは決してない」

 葵の口がわなわなと震える。

 つらいよね。

 きついよね。

 わかるよ。

「あなたの周りの人間は言うかもしれない。あなたのせいだって。あなたの責任だって。それは奈緒かもしれないし、お父さんかもしれない。警察官かもしれないし、裁判官かもしれない。見ず知らずの大人かもしれない。会ったこともない顔も見たことも無いネットの誰かもしれない。きっと、心ない言葉を、あなたは受ける。何度も。何度も。その度に消えてしまいたくなるほど、死にたくなるほど苦しむことになる」

 葵の顔が歪む。顔をそらそうとする葵を、春香は睨み付けた。目力一つで葵の視線を掴まえる。

「でもね、これだけは覚えておいて」

 葵の丸い、あまりに幼い瞳に、春香はありったけの思いを込めた。


「あなたは悪くない」


 葵が目を見開く。

 知らず知らず、春香自身の目から、スーと一筋の涙が頬を伝った。

「だれがなんと言おうと、私は、あなたに言ってあげる。何度でも、何回だって言ってあげる」

 あなたは悪くない。

「きっと、沢山間違えたと思う。きっと、沢山のことを後悔していると思う。その間違いは決して消えないし、あとになって正しくなることもない。でもね、あなた自身は悪くないの。毎日を、自分の人生を、必死に今日まで生きてきたあなたが悪いわけ無い。あなたの罪と、あなたの存在は別。存在自体が罪なんて、そんなことあるはずないの。生まれたこと自体が悪いなんて、そんなことあるはずない」


 春香は言った。言い聞かせるように。諭すように。鼓舞するように。

 吉岡葵に、そして、後ろでただ見ているだろう清水奈緒に向けて。


「あなたは、生きていいの。生きていいのよ」


 葵が両目を閉じる。その目尻から静かに涙が流れた。

 春香はゆっくりと手から力を抜いた。葵はゆっくりと、その場にしゃがみ込み、両膝を抱えた。

 暗い林、焚き火にわずかに照らされたキャンプサイトに少女の嗚咽だけが微かに響いた。




「・・・・・・名演説だったわね」

 そう言って奈緒は音もなく拍手の真似をした。

「あたし、感動しました」

 そのおどけた顔の真意は春香には測りかねた。

 まあ、いい。今日はこれで。

 振り返って葵の様子を見る。膝を抱え、時折しゃくり上げているが、もう取り乱してはいない。少なくとも、もうナツに何かしようなんて気は無くなったようだ。

 一件落着。で、いいのかな?

 春香は首をぐるりと回した。

「ああ。疲れた。もう早く寝たい」

「おつかれー。ハルちゃん」

 軽くそう返す奈緒を「誰のせいよ」と睨み付ける。

 せめて事前の情報共有ぐらいしときなさいよ。今日だけでどれだけ寿命が縮む思いをしたことか。

「てか、なっちゃんは大丈夫なの? かなり酔ってたみたいだけど」

 そう聞く奈緒の声に、春香は肩をぐるぐる回しながら「大丈夫」と答える。

「カンナちゃんに様子を見ていてもらうように頼んだからね。なにかあれば教えて・・・・・・」

 その時だった。

 林の奥。ちょうどAサイトの方向から。

 クラクションの甲高い音が鳴り響いた。

「は?」

 春香は呆然と音の方向を見つめた。

 クラクションは何度も何度も鳴らされる。

 春香の車の音じゃない。ということはキャンピングカー。

 カンナだ。

 なにかあったのだ。ナツの身に。

 春香と奈緒はほぼ同時に走り出した。しゃがみ込んだ葵を置いて、Cサイトを飛び出す。

 暗い林道を、クラクションの音を頼りに、二人で肩をぶつけるようにして全力疾走した。

 一分も立たずにキャンピングカーが見えてくる。運転席に必死に手を振るカンナの姿が見えた。

「ナオちゃん! テント見て!」

 春香は奈緒にそう指示すると、キャンピングカーに飛び込んだ。カンナが必死に手話を繰り出す。だが、焦っているのか、動きが早くて読み取れない。

「カンナちゃん! ゆっくり!」

 外から、奈緒の「テントにいない! どこにも!」という声が聞こえる。

 春香はカンナの指の動きを凝視した。そして読み取った。


「管理人、ナツ、連れて行った」

 


 


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