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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第6章 自分で決めて何が悪い
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【第6章】 花火キャンプ編 15


 15


 黙って話を聞いていた女は、さらりと聞いた。

「おばあちゃん、どうなったの」

 葵はぽつりと「死んだわ」と答えた。

「その年の冬。風邪をこじらせて。私が病院でもらってきた薬は、親父が捨てやがった。医者なんか信用するなって」

 葵は、手に持った包丁を呆けたように見つめながら、声を震わせた。

「あ、あいつ、そ、葬式すら出さなかった。葬式なんて意味ないからって。どうせ誰も参列なんかしないって」

 葵の目が真っ赤に染まる。

「そうだろうと思うよ。ゴミ屋敷の、嫌われ者のばばあだもん。息子は明らかにめんどくさい奴だしさ。親戚にすら会ったことない。みんな関わりたくも無かったんでしょうよ。そんな人の葬式なんて、誰も来ないよ。それはわかるよ。でもさ」

 悼むぐらい、いいじゃないか。

 たとえ、私たちだけでも。

 悲しんであげるぐらい、してあげたっていいじゃないか。

「葵ちゃんは、好きだったんだね。おばあちゃんのこと」

 女の言葉に、葵は反射的に、こくんと頷いた。

 ケチな老人だった。身なりも汚かった。腰は曲がっていたし、いつも悪態ばかりついていた。葵が支えないとまっすぐ歩けないし、でも、杖を使うのはプライドが許さなくて、外では人に迷惑ばっかりかけて。お酒好きで、自堕落で、ほんと、どうしようも無くて。

 でも、いつも葵には笑ってくれた。いたずらっぽく。皺だらけの顔で、にかっと。

 だから、葵は好きだった。葵だけは、そのみすぼらしい老人が好きだった。祖母だけが、孫の葵を愛してくれたように。


 この世界で一番だって言えるぐらい、大好きだった。




「あの女のせいだ。あの女。あの斉藤ナツとかいう意味のわからない女が、白鳥さんを刑務所にぶちこんだせいで」

 葵は包丁を地面に突き立てた。何度も。何度も。

「あと数日だった。あと少しだったの。白鳥さんが家に来てくれさえすれば、くそ親父は死んで、私は解放されて、そ、そしたら、お、おばあちゃんだって・・・・・・」

「いいえ。そうはならなかったわ」

 葵の振りかざした手が、ピタリと止まった。

「・・・・・・はあ?」

 葵の目が据わる。

「今、なんて言った?」

 女が肩をすくめる。

「例え、ゆきおちゃんが捕まらなくても、おばあちゃんはどうせ死んじゃったでしょうってそう言ってるのよ」

 葵は女を睨み付けた。殺意を持って。

「何言ってるの? 話聞いてなかった? 白鳥さんが来てくれさえすれば、親父を殺してくれた。計画は完璧だった」

「ええ。そうでしょうね。お父さんは確実に殺してもらえたと思うわよ。ゆきおちゃんの計画だもん。そりゃあ完璧よ。ただ、それは残念ながら、あくまでゆきおちゃんのための計画だけどね。葵ちゃんのための計画じゃあ、ない」

 意味がわからない。包丁を振り上げた状態で固まっている葵に、女は微笑んで続けた。

「お父さんを殺した後、あのゆきおちゃんがあなたを生かしておくと思う?」

 指先から力が抜け、すとんと、包丁が地面に落ち、突き刺さる。

「中学生の共犯者なんて、最も信用ならないでしょ。いつ思春期の弾みで、罪悪感が生まれて警察に駆け込むかわかったものじゃないもの。そんな不安要素、残しておく訳ないじゃ無い。ゆきおちゃんは、どうせ、あなたもおばあちゃんも、まとめてガスで眠らせて、そのまま一家心中させるつもりだったのよ。だって、父親一人だけ練炭自殺ってのもあきらかに不自然だしね。父親の無理心中ならよくある話になる」

「そ、そんなこと」と葵は震える声で言った。

「そんな、ひどいこと、白鳥さんがするわけない!」

 女は可哀想なものを見る目で、葵を見返す。

「するのよ。それをなんの躊躇も無くできるからこそ、ゆきおちゃんは世紀の連続殺人鬼になりえたのよ」

 白鳥湖から引き上げられた遺体の数は十を超える。

 だが、白鳥幸男が所持していた「旅立ちの記録」というアルバムには、明らかにそれを上回る人数の遺体の写真が納められていた。そして、その写真すらも、被害者全てであるかは不明である。

 刑務所で黙秘を続ける白鳥幸男が、その人生で何人を死に追いやったのかは、いまだに明確にされていない。

「あなたは、ゆきおちゃんのことをヒーローか何かに思っちゃったんでしょうね。それは仕方のない事よ。あいつ、若い頃からずっとヒーロー願望をもったやつだったから。でも、同時に、明らかな加虐趣味も持ってた。だから、ゆきおちゃんは、葵ちゃんみたいな可哀想な子を見つけ出しては、たっぷり時間をかけて、その不幸な生い立ちを聞き出した後に、まるで救世主のようにふるまって甘い言葉をたくさん並べるの。そして『この子をこの苦しみにあふれた世界から救ってあげるんだあ』って自分に酔いしれながら、嬉々として殺すのよ」

 葵は沈黙した。十秒か二十秒か。一際大きな風がふいて、木々が揺らぎ、その揺れが完全に止まるまで。それぐらいの時間。そして唸るように呟いた。

「うそだ」

「うそじゃないわ」

「うそだああああ!」

 葵は地面に突き刺さった包丁を手に、立ち上がった。刃を女に向ける。

「勝手な想像で、白鳥さんを侮辱するな! 白鳥さんは、確かに人殺しだ。でも、それは殺された人たちも望んでたんだ。みんな死にたいと思ってたんだ。その願いを白鳥さんは叶えてただけだ!」

 女は立ち上がりもしなかった。

「誰だって、死にたいと思うことぐらいあるわ」

 座ったままに、葵の顔を見上げる。

「あなただって、そうでしょ」

 葵は、言葉を詰まらせた。

「苦しみのない人生を送っている人なんていないわよ。誰だって、絶望するときはある。死んじゃいたいなんて思うこともある。そこに、あの男は入り込むの。自分の歪んだ欲望のために。そういう奴なのよ。彼はあなたを救いにきたんじゃない。ただ都合良く自分の欲求を満たせそうな獲物がいたから、話しかけてきただけよ」

 葵は首を横に振った。そんなわけない。そんなはずない。でも、なぜか言葉が出なかった。

「あなた自身が言ってたじゃない。自分たちになんか、誰も関わりたいなんて思わないって。見て見ぬ振りするのが当然だって。そんな中、笑顔で近づいてくる奴がいればそれは」

 きっとただの捕食者だ。

 女はすっと、葵のリュックにつるされたキーホルダーを指さした。小さな小瓶のキーホルダー。中に入っていたはずの白い粉は無くなっている。

「それ、ゆきおちゃんにもらったんでしょ。ゆきおちゃん、あれを何個も持ってたわ。『こんな代物でも、すごくよろこぶんだよあの子達は。愛に飢えてるから、言葉だけでなく、物という形でもらうと安心するんだろうね。可哀想に』そう言ってたわよ」

 葵は目を見開いた。

 そして、ずっと持っていた違和感に気がつく。なんでこの女はこんなに白鳥さんに詳しいんだ。ゆきおちゃんなんて、随分なれなれしい。

「あ、あんた、白鳥さんの・・・・・・なんなの」

 女は座ったまま、小首を傾げて笑う。

「うん? 別にそんな大した関係じゃ無いわよ。出会ったのは小学6年生。ちょっと一緒に戦ってね。だから、戦友? かな」

 ふと、女が真顔になる。

 

「ねえ。葵ちゃん。なんで、今になって、お父さんを刺したの? なんかあった?」

 葵は答えなかった。

「ニュースによると、犯行の様子を見てた女性が一人いたらしいわね。お母さん?」

 葵はかぶりを振った。その顔が再び怒りに染まる。

「知らない女よ。私がいつもより早く家に帰ると、派手なハイヒールがあった。多分、そういう商売の人」

 手に持った包丁が小刻みに震える。

「私に、男みたいに生きることを強制して、一切の楽しみを奪って、その末におばあちゃんまで殺したくせに。あいつ、あいつ! 貯めた金で。おばあちゃんのお金で! 裏で女の人を買ってたんだ。そんなの、そんなの」

 許せなかった。

「それで、勢いで、刺しちゃったんだね。その台所にあった包丁で」

 女はあきれたような息を吐いた。

「でも、お父さん、重症だけど病院で助かったらしいじゃない。どこ刺したの? どうせ適当に背中でも刺したんでしょ。ダメじゃない。ちゃんと急所狙わないと」

 葵は耳を疑った。何を言ってるんだ。この女。

 女は「よいしょ」と立ち上がった。ぱんぱんとおしりを払う。

 女の立ち姿を見て、葵は後ずさった。改めてお互い立つと、この女、背が高い。170センチは超えている。

「いい? 人を刺すときは、ここを狙うのよ。ここ」

 そう言って女は自分のみぞおちの少し上部、その左側を示した。大仰に。とんとんと親指で何度もつつく。

「心臓よ。でも、ここには肋骨もあるからね、刃は横にするの。そうすればスッと入っていくわ」

 葵は後ずさった。

「葵ちゃん。わかった? 次からここを狙って確実に・・・・・・」

「なんなのよ! あんた!」

 そこで葵は気がついた。

 この女、見覚えがある。

 髪型が変わっているからわからなかったが、見たことがある。

 斉藤ナツのことを調べれば調べるほど、何度もでてきた動画。荒い画質。雪景色。斧を振り回しながら斉藤ナツと殺し合う、あの姿。

「あ、あなた・・・・・・」

 思考を先回りするように、女は葵の言葉を遮った。


「誰でもないわよ」

 犬歯を覗かせる、とびきりの笑顔で清水奈緒は言った。


「ただの、通りすがりの殺人鬼」


 珍しくも、ないでしょ。





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