【第6章】 花火キャンプ編 12
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再会したナツと近況を話し、売店で冷凍うどんを買って、途中で自分のサイトからカレーの材料を持ち出して、買った花火をご機嫌で手に持つナツとともにAサイトに入った春香は、悲鳴を上げそうになった。
ナツに聞いた幽霊のカンナとやらが、地面に寝転がる形で、じーとキャンピングカーの下をガン見していたからだ。
ナオちゃん、まさかキャンピングカーの下に隠れてる? 普通にバレてるじゃん!
しかし、無理もない話ではあるのだ。奈緒には霊感がない。だからカンナも見えない。
奈緒はかくれんぼのプロだが、認識できない相手から隠れるなど出来ようもないだろう。
それに、ナツの話によると、カンナはキャンピングカーと一体化しているらしい。そりゃあ、自分の身体の下に見知らぬ女が潜んでたら、のぞき込むわな。
「あちゃー。まだすねてるよ」
幸運なことに、ナツはカンナの様子を単にいじけているだけと受け取ったらしい。
「カンナ。お客さんだよ」
ナツがカンナの背中に声をかけると、カンナは「え?」という表情でこちらを振り向いた。よほどキャンピングカーの下に気をとられていたらしい。そりゃそうか。
春香が「こんにちは。カンナちゃん」と会釈すると、カンナは慌てふためいてその場に立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。礼儀の正しい子だ。
ナツから、カンナは喋れないが手話ができると聞いていた。なので、ナツが焚き火台に気をとられた瞬間に、急いで手話を送る。
「車」「下」「女」、「内緒」「お願い」
カンナは眉をひそめた。そりゃそうだろう。初対面の女に、明らかな不審者を黙っておいてくれと急に頼まれたのだ。
火起こしを始めたナツを指さしながら手話を連打する。
「友達」「ケンカ」
そこで、カンナがはっとしたような顔をする。そして、春香に向かって流れるような動きで手話を繰り出す。
『もしかして、あの人、ナオさん?』
知っているのか。ナツが話していたのか。
ナツがどのように奈緒の話をしていたのかはわからないが、カンナはどうやら奈緒に対して悪い印象は持っていなかったらしい。「事情は察した」とでも言わんとするように、訳知り顔でうんうんと頷く。
「ちょっと。あんた達。さっきから二人だけで話しすぎ」
ナツがちょっとむくれた声を出す。
「カンナは仕方ないにしても、春香は口に出しなさいよ。会話の内容がわかんないでしょうが」
じとっとした目で二人を見るナツのその顔を見て、春香は懐かしくなった。
夏休みキャンプで、春香が奈緒と急激に仲良くなった際も、ナツはこんな顔をしていた。
変わってないなあ。なっちゃん。
その後、三人で焼き肉を食べながらビールを飲んだ。
カンナはノリノリで協力してくれることを決めたようで、何度もアシストしてくれた。一度など、焼き肉の煙がキャンピングカーの下に流れ込み、奈緒が咳き込んでしまったのだが、すぐさまキャンピングカーからダンスミュージックを大音量で流して誤魔化してくれた。ナツもなぜか「なんだ。CDも気に入ってたんじゃない」と言ってご満悦だった。
そんな時に葵少年が現れ、春香とカンナを見て逃げてしまい、カンナがテンション駄々下がりで消えてしまって、ナツもかなり酔いが回った様子。
とりあえず、どうやらなんとかなりそうだと安心したところで。
春香はナツに腕を掴まれた。
「誰にやられたんだ。春香」
ひっかき傷だらけの春香の腕を掴んだナツの目つきが鋭くなっている。そこでようやく再認識する。このほろ酔いの彼女は、紛れもなくナツであると。あの、あらゆる事に真っ先に気づき、恐ろしいほど頭が切れ、どんな状態でも冷静な思考を止めない、あの斉藤ナツであると。
春香は苦し紛れに言葉をひねり出した。
「・・・・・・ね、猫だよ」
「・・・・・・猫?」
ナツが小首を傾げる。
「う、うん。去年の冬にね。電話ボックスの中で震えてるのを拾ったんだ」
ナツは「そうなの」と言いながらも春香の目を見つめ続ける。ダメだ。疑われている。
「何色?」
「え?」
「猫よ。毛並みは何色?」
春香は想定外の突っ込みに一瞬言葉を失う。そこで、昨日の職場での恵子さんとの会話を思い出した。
「し、白! 白猫」
ナツは「へえ」と答えつつも春香の腕を掴んだ手の力を緩めない。
春香は必死に言葉を紡ぐ。
「そ、その猫がね。最近、子猫を産んじゃって・・・・・・」
「何匹?」
「・・・・・・よ、四匹・・・・・・」
「それで? 何で引っかかれたの?」
間髪入れずに続きを促してくる。怖いよ。
「生まれたての子猫を抱こうとしたら、あれ、母親の本能かな。親猫が怒ってめちゃくちゃにひっかいてきて・・・・・・ ベッドの下に潜り込んで大変だったんだよ」
嘘をつくときはある程度真実を混ぜるのがコツだと奈緒が言っていたことがある。確かに、やってみると嘘話にリアリティが増した。気がする。
だが、ナツはまだじっとりとした上目遣いで春香の顔をのぞき込み続けている。
流石なっちゃん。そう簡単には誤魔化しきれないか。
「ほ、本当だよ! 子猫、めっちゃ可愛いんだから!」
ナツは春香の目を見たまま言った。
「写真は?」
「え?」
「猫飼ってるんだったらあるはずだよね。白猫の写真。四匹の子猫」
詰め方がすごい。なっちゃん、刑事とかになった方がいいんじゃないか。
「う、うん。勿論」
春香は即座にスマホを取り出す。その様子をナツはじっと無言で見ていた。画像検索など絶対にさせる隙を与えないであろう眼光だった。
だが、幸運なことに、春香の画像フォルダには、すでに一枚の写真があった。ありがとう恵子さん。
「は、はい。これ。親猫と子猫」
数秒で出した完全に状況一致の写真。横たわった白猫と四匹の子猫。
それを見て、ナツはようやく信じたようだった。
「え、かわいい」
春香のスマホを覗きこんでそう呟き、すっと春香の腕を放す。
「で、でしょ!」
ナツは今度はじいっと子猫の写真を見つめた。鋭くとがっていた目つきが柔らかくなっていく。
なっちゃん、こう見えて可愛いのも好きなんだ。
そうだ。ここで恵子さんに恩を返せるのでは?
「えっとね、私のマンションじゃ、その、飼いきれないから、引き取ってくれる人を探そうと思ってね。どう? なっちゃん。一匹」
すると、ナツの表情が再び固くなった。
「・・・・・・それ、私が無職、住所不定だとわかって言ってるの?」
やべ。墓穴ほった。
「あ、そ、そうだったね。た、旅の邪魔になっちゃうよね」
春香としてはフォローのつもりだったが、ナツにはそうは聞こえなかったようで、ナツは口をへの字に曲げた。
「な、なによ。別に私だって、好きでさすらってるわけじゃないわよ」
「う、うん。そうだよね」
急にナツが顔を赤くする。
「だ、だって、マスコミやらなんやらが職場にもマンションにも押しかけてくるんだもん。私がいるだけで、みんなに迷惑かけちゃうんだもん」
ナツの怒ったような目も、心なしか潤み始めた。
あ、なっちゃん、酔ってる。
「わ、私、別に悪いことしてないもん。キャンプをしてただけだもん。ちゃんとマンションの家賃も遅れずに払ってたし、玄関も掃除してたもん」
ナツが床を睨み付けて両の拳を握る。
「仕事だってそう。私、ちゃんとしてたもん。業務をサボったことはないし、職場では同僚にちゃんと気を遣って、誕生日プレゼントとか一人一人に渡してたもん」
え、そうなんだ。意外。なっちゃんもちゃんと社会人してたんだな。
「嫌いな飲み会だって参加したし、形だけの誕生祝いもがんばって喜んでる振りしたし、全然いらないスキレットも笑顔で受け取ったし、まあ、その結果的にスキレットはすごくよかったけど・・・・・・でも、その時はウザかったの! なんだよ。大して私のこと興味ないくせに適当に祝いやがって! そういうのが一番ムカつくんだよ! それで、結局、事件の事で私が職場に迷惑かけ始めたらあからさまに冷たくしてきやがって! 別に私は悪くないだろうがよ! だって。私は、私は・・・・・・ただ・・・・・・」
ナツは感極まったようにダンッとキャンピングカーの床を踏みならした。
「キャンプがしたかっただけなの!」
春香は急激なナツの情緒の波にどう対応して良いかわからず、あたふたしてしまった。
「そ、そうだね。その通り!」
ガクガクと何度も頷きながら、ナツの背をさする。
「なっちゃんは悪くない! 悪くないよ!」
ナツは身体を小刻みに揺らしながら床を睨み付け、しばらく「うー」と唸っていたが、急に顔を上げると、きっと春香を睨み付けた。
「春香!」
え、なに?
「飲むわよ! つきあいなさい!」
そう言い放つと、ナツは肩を怒らせながらキャンピングカーを出て行った。
春香はぽかんとその背を見つめながら思った。
お酒って、怖いね。
午後八時
ナツはその後、ポンポンとビール缶を開けていった。クーラーボックスから無限に出てくる地ビールに、春香は目を見張る。一体、何本買ったんだ。
焚き火台の上に置かれた網で次々と肉が焼かれていく。食べても食べてもクーラーボックスから次の肉が出てくる。どうなってるんだ。
ナツはというと、自席に戻って肉を頬張った瞬間に機嫌が直り、今はご機嫌に鼻歌を口ずさみながらホルモンを焼いている。
「春香。鉄板、とってくれない?」
そう言われて春香は隣に置いていた水切りカゴを覗く。
「あれ? ここに置いてたはずなんだけどなあ」
春香もすでに数本ビールを空けている。自分も酔っているのだろうか。
「ない? じゃあいいや! あははは」とナツが笑う。
「そうだね! あははは」と春香も笑う。
見事な酔っ払いが二人、そこにいた。
盛り上がる二人を、望遠鏡で覗く人影があった。
ランタンの光と、焚き火の炎で温かく照し出されている二人とは対照的に、彼は暗い林の中から二人を観察していた。
耳にはスマートフォンが当てられ、小声で会話をしている。
「ええ。一人、予定にない人物が。どうします?」
電話の向こうで依頼人はしばらく沈黙する。
「久々に再会した友人だそうです」
依頼人が沈黙を破る。
『問題ありません。追加で一人ぐらい、対応できます』
「そうですか。では、よかったです」
彼はくるりと背を向けると、林をぬけた。すたすたと管理棟に向かう。
「では、もうすぐですね」
『お願いします』
通話が切れる。
彼は鍵を使って施錠された管理棟のドアを開けた。
ああ。正門も開けに行かなければ。彼らを迎え入れなければならない。時間的にあまり余裕はないな。準備を整えておこう。
彼は管理人室に入り、一つの小箱を取り出した。中には、今日のこの仕事のために新調した道具が入っている。
大ぶりのナイフ。刃渡り30センチはあるだろうか。
彼はそれを鞘から数センチだけ抜き出し、刃の具合を確認する。
よし。よく切れそうだ。
彼はにんまりと笑うとナイフを鞘に戻し、身につけた。外側から見えないように、作務衣の袖にしっかりと隠す。
さあ。パーティーの始まりだ。
Cサイト。
切り株の上にその人物は座っていた。
背後には昼間に設営したワンポールテントが立っている。だが、設営されっぱなしと言う感じだった。中に寝袋が入れられる訳でも、ランタンがつけられている訳でもない。なんなら、ファスナーすら一度も開かれていない様子だった。
切り株の前にはこじんまりした焚き火がパチパチと爆ぜていた。焚き火台を使わない直火である。このキャンプ場は直火禁止なはずなのだが、その人物からしたら知ったことではなかったのだ。
焚き火のそばにはすっかり冷えてしまった卵スープが入った小鍋がある。
そのスープを一人分取り分けたカップを手に、「くそ」と呟く。
地面には一本の包丁が突き立てられていた。包丁の刃に焚き火の炎が艶めかしく反射している。
カップと包丁、その二つを目線が何度も行き来する。
木々に囲まれたサイトは焚き火以外に光源がない。暗闇の中にただ一人。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかったんだ。
全部、あの女のせいだ。
斉藤ナツのせいだ。
「飲まないの? 美味しそうなのに」
その突然の声に、びくりと顔を上げる。
まるで暗闇が具現化したかのように、彼女はぬっと、すっと闇夜の中から姿を現した。
小枝や小石が散乱する自然の地面の上を、これほどの距離に近づくまで全くの物音をさせなかったと言う事実が、にわかに信じがたかった。
「誰?」
そう絞り出した問いかけに、彼女はにっこりとした微笑みを返した。かわいらしい犬歯が覗く。
彼女は焚き火を挟んだ向かい側に、さも当然のように腰を下ろした。体育座り。
「な、なんの用?」
その問いには彼女は答えた。微笑んだまま。
「邪魔をしに来たのよ」
微笑を浮かべる彼女の目だけは、全く笑っていなかった。
「だって、あなた。なっちゃんを殺すつもりでしょ」
夜風が、ざあっと木々を揺らした。
「ねえ。葵くん。いや、こう呼んだ方がいい?」
女は笑みを崩さないまま、葵に向かってささやいた。
「スワンちゃん」




